世界のいろんな所で、ホメオパシーが実践されていて同じホメオパシーのレメディを使い、ホメオパシーの名の下に臨床が行なわれていますが、そのスタイルは非常に様々です
ほぼ一様の学校教育を受け、こんなに狭いコルカタという地域のホメオパシー医師の臨床スタイルでさえ、見事に多岐に渡っています
(大学内は科によって先生方の大事と思うポイントが違うので、科対抗の冷戦が起きてるほど)
それは、ホメオパシーの父であるハーネマン医師が、事細かな臨床マニュアルを残さなかったから
ホメオパシーの臨床では、各自の『経験』に委ねられている部分がすごくすごく大きい
何のスケールを使うのか、ポーテンシーの選び方、反復のタイミングと頻度、どこからアプローチするのか、いつレメディを変えるのか、どれくらい待つのか
というのも、ホメオパシーの前提は、「個々が違っている」こと=Individualization
師匠はよく「その違った個々の治癒力にスイッチを入れる、それぞれの特有な鍵を探し出んだ」と言います
全員違う鍵を持っている
よって治療は完全オーダーメイド制
1人として同じレメディのパターンが必要となる人はいないでしょう
(だからこそホメオパシーはガン治療に大きな可能性があると思ってます。ガン発病の原因は複合的で、みんな異なるから)
だからマニュアル化するのは無理!
しかもハーネマン先生は晩年まで、速やかで穏やかで永久的に続く治癒を求めて、自分のやり方を進化させていったので、マニュアル化することによる『ホメオパシーという医療体系の成長』を止めたくなかったのかもしれません
真実であるからこそホメオパシーの基本となる原理原則は、時の試練に屈することなく、今も世界中で人を治癒し続けている
だけどその応用の仕方は人によって異なるのです
という前提のもと、以下わたしスタイルについて書かせていただきます
前提で既に熱くなり過ぎたw
最近自由研究として、男女の違いについての本を読んでいたのですが
自分自身において、男性的なところと女性的なところがあるなぁと思い
特に健康相談を行うとき、すごく男性的な面が働いているのじゃないかと思います
「患者さんの問題を解決しようと頭を使いながら話を聞く」
特に初診では、まるで数式を解いてるような脳の使い方をしているように思う
それも3次以上の方程式
柄の細かいマトリョーシカのパズルを組み立てているようでもある
あれこっちの方が大きかったな?あ、いややっぱりこっちか?
みたいな複雑怪奇な立体的なパズル
この複雑立体パズルが1日1、2件であれば、たのしいまま終わるものの
それが5件、10件、15件となってくると、脳みそ気絶状態に
午前中の病院の診察でそれだけの数をやると、その日は残りの時間何もできないくらいぐったりしている
最近気付いたのだけど、わたしは割とホメオパシーを知った始めの頃から、師匠の診療風景やライフスタイルを見て育ち、ほとんど「他のホメオパシー医師のスタンダード」に目もくれずにいたので、何においても、師匠の在り方が「自分のスタンダード」になっていた
だから自分もそれを目指すことが当然だと思っていたし、そうできるものだと疑うことなく思っていた
ところが、いざ始めてみると、そうではなかったという事実に衝撃を受けることから始まり
さらに師匠への畏敬の念が深まるという。。。
冷静に考えれば、もちろん「個々は違う」のであり、今の師匠の姿は、ほぼ毎日欠かさず誠実に臨床を重ねること約40年、その集大成的ものなのでした
それも毎日より良くなっていく集大成
この複雑立体パズルを解くためには、特定の脳の使い方があるのかなと
よく分かってないので一般的に言われることを真似て言えば、パズルを解こうとしてる瞬間は最大限に左脳を使っているような気がします
そして今のわたしは、このパズルを解く回路のコネクションを良くする作業を必死に行っているというか
比喩的に言えば、パズルを解くための特定の筋肉を鍛えている感じ
きっと筋肉が育てば育つほど、レメディが選ぶ瞬発力も、長時間やるスタミナもつくのかと
パズルを解くヒントを拾ってくるのは右脳なような気もするので、両方を使っているとは思うんだけど、圧倒的に育ってなかったのが左脳だったみたいで
AI研究者の男女の脳の違いに関する本も読んだのですが
男の子が小さい頃にぼーっとするのは、その空間認知力を伸ばすために必要な時間なのだと
まさにわたし最近めっちゃぼーっとしてます
ホメオパシーのマテリアメディカの翻訳もやったりしてますが、こっちはすごく右脳的な感じで
逆に脳が休まるというか快感に近い
びっくりするかもしれませんが、コルカタのホメオパシーの問診に「カウンセリング効果」を期待してるホメオパシー医はほぼ皆無だと思います
こうはっきり言ってしまうとショックかもしれないけど、私たちはただ単純に最適なレメディを探し出すために情報収集をすることを目的として話を聞いてます
だから「そんなに?」ていうくらい細くしつこく質問するときもあります
(師匠は同じ質問を時間を空けて何回かすることもあるくらい)
「現代医学で価値のないとされる症状ほど、ホメオパシーでは価値がある」と言われたり
一般的な世の中では多分どうでもいいとされる類のことが、ホメオパシーではレメディ選択をぶんぶん左右させる
コルカタでは、レメディが選べたら、まだどんなに患者さんが話し足りなくてもそこで診察終了
ゴングが鳴ってしまうのです
無慈悲に聞こえるけど、毎日決まった時間でその日の患者さんを全員こなさなければいけない
そんな毎日が続くのです
だからこそ、私たちは症状を暗記します
4.5年かけてみっちり勉強します
そしてほぼ必ずその場でレメディを選びます
ここがきっと一番大きなコルカタのホメオパシーと日本や西欧諸国のホメオパシーの違いかもしれません
どのスタイルがより優れているということではなくて、これは環境から生まれた必然なのだと
狙ってないけど、結果として「話を聞いてもらった」感や、しつこく思いもよらぬ質問をされることで「気付き」なんかもあるかもしれないけど
特に「話を聞いてもらった」感による病状の改善は、一過性のものだと思っていて
私たちは、適切に選ばれたレメディの効果を信じています
あれ、何が言いたかったか忘れたけど、今日はなんか終始熱が入ってますw
そういう意味でも、毎日が本番でありながら、修行期間でもあり
このインターンの1年がきっとわたしにもたらしてくれるものは大きいはず
師匠の言葉「自分でやってみて初めて理解する」実践期間です
筋肉をつけるためには、筋肉痛という痛みを伴う段階を経なければならないように
やはり良くなるということは、簡単ではないけれど
同時に、苦しむということは良くなり始めているサインなのだと
『自然の法則』
これはホメオパシーの治癒の過程にも共通するもの
普段「がんばって」と言われても、ほとんどありがたく「がんばろう!」と思えないわたしですが
今は「きみもがんばれ!ぼくもがんばる!」な気持ちです(妹の高校のスローガン。一方わたしが通った高校のスローガンは自主自律だったので、それを聞いたとき軽く衝撃を受けた)
ほぼ一様の学校教育を受け、こんなに狭いコルカタという地域のホメオパシー医師の臨床スタイルでさえ、見事に多岐に渡っています
(大学内は科によって先生方の大事と思うポイントが違うので、科対抗の冷戦が起きてるほど)
それは、ホメオパシーの父であるハーネマン医師が、事細かな臨床マニュアルを残さなかったから
ホメオパシーの臨床では、各自の『経験』に委ねられている部分がすごくすごく大きい
何のスケールを使うのか、ポーテンシーの選び方、反復のタイミングと頻度、どこからアプローチするのか、いつレメディを変えるのか、どれくらい待つのか
というのも、ホメオパシーの前提は、「個々が違っている」こと=Individualization
師匠はよく「その違った個々の治癒力にスイッチを入れる、それぞれの特有な鍵を探し出んだ」と言います
全員違う鍵を持っている
よって治療は完全オーダーメイド制
1人として同じレメディのパターンが必要となる人はいないでしょう
(だからこそホメオパシーはガン治療に大きな可能性があると思ってます。ガン発病の原因は複合的で、みんな異なるから)
だからマニュアル化するのは無理!
しかもハーネマン先生は晩年まで、速やかで穏やかで永久的に続く治癒を求めて、自分のやり方を進化させていったので、マニュアル化することによる『ホメオパシーという医療体系の成長』を止めたくなかったのかもしれません
真実であるからこそホメオパシーの基本となる原理原則は、時の試練に屈することなく、今も世界中で人を治癒し続けている
だけどその応用の仕方は人によって異なるのです
という前提のもと、以下わたしスタイルについて書かせていただきます
前提で既に熱くなり過ぎたw
最近自由研究として、男女の違いについての本を読んでいたのですが
自分自身において、男性的なところと女性的なところがあるなぁと思い
特に健康相談を行うとき、すごく男性的な面が働いているのじゃないかと思います
「患者さんの問題を解決しようと頭を使いながら話を聞く」
特に初診では、まるで数式を解いてるような脳の使い方をしているように思う
それも3次以上の方程式
柄の細かいマトリョーシカのパズルを組み立てているようでもある
あれこっちの方が大きかったな?あ、いややっぱりこっちか?
みたいな複雑怪奇な立体的なパズル
この複雑立体パズルが1日1、2件であれば、たのしいまま終わるものの
それが5件、10件、15件となってくると、脳みそ気絶状態に
午前中の病院の診察でそれだけの数をやると、その日は残りの時間何もできないくらいぐったりしている
最近気付いたのだけど、わたしは割とホメオパシーを知った始めの頃から、師匠の診療風景やライフスタイルを見て育ち、ほとんど「他のホメオパシー医師のスタンダード」に目もくれずにいたので、何においても、師匠の在り方が「自分のスタンダード」になっていた
だから自分もそれを目指すことが当然だと思っていたし、そうできるものだと疑うことなく思っていた
ところが、いざ始めてみると、そうではなかったという事実に衝撃を受けることから始まり
さらに師匠への畏敬の念が深まるという。。。
冷静に考えれば、もちろん「個々は違う」のであり、今の師匠の姿は、ほぼ毎日欠かさず誠実に臨床を重ねること約40年、その集大成的ものなのでした
それも毎日より良くなっていく集大成
この複雑立体パズルを解くためには、特定の脳の使い方があるのかなと
よく分かってないので一般的に言われることを真似て言えば、パズルを解こうとしてる瞬間は最大限に左脳を使っているような気がします
そして今のわたしは、このパズルを解く回路のコネクションを良くする作業を必死に行っているというか
比喩的に言えば、パズルを解くための特定の筋肉を鍛えている感じ
きっと筋肉が育てば育つほど、レメディが選ぶ瞬発力も、長時間やるスタミナもつくのかと
パズルを解くヒントを拾ってくるのは右脳なような気もするので、両方を使っているとは思うんだけど、圧倒的に育ってなかったのが左脳だったみたいで
AI研究者の男女の脳の違いに関する本も読んだのですが
男の子が小さい頃にぼーっとするのは、その空間認知力を伸ばすために必要な時間なのだと
まさにわたし最近めっちゃぼーっとしてます
ホメオパシーのマテリアメディカの翻訳もやったりしてますが、こっちはすごく右脳的な感じで
逆に脳が休まるというか快感に近い
びっくりするかもしれませんが、コルカタのホメオパシーの問診に「カウンセリング効果」を期待してるホメオパシー医はほぼ皆無だと思います
こうはっきり言ってしまうとショックかもしれないけど、私たちはただ単純に最適なレメディを探し出すために情報収集をすることを目的として話を聞いてます
だから「そんなに?」ていうくらい細くしつこく質問するときもあります
(師匠は同じ質問を時間を空けて何回かすることもあるくらい)
「現代医学で価値のないとされる症状ほど、ホメオパシーでは価値がある」と言われたり
一般的な世の中では多分どうでもいいとされる類のことが、ホメオパシーではレメディ選択をぶんぶん左右させる
コルカタでは、レメディが選べたら、まだどんなに患者さんが話し足りなくてもそこで診察終了
ゴングが鳴ってしまうのです
無慈悲に聞こえるけど、毎日決まった時間でその日の患者さんを全員こなさなければいけない
そんな毎日が続くのです
だからこそ、私たちは症状を暗記します
4.5年かけてみっちり勉強します
そしてほぼ必ずその場でレメディを選びます
ここがきっと一番大きなコルカタのホメオパシーと日本や西欧諸国のホメオパシーの違いかもしれません
どのスタイルがより優れているということではなくて、これは環境から生まれた必然なのだと
狙ってないけど、結果として「話を聞いてもらった」感や、しつこく思いもよらぬ質問をされることで「気付き」なんかもあるかもしれないけど
特に「話を聞いてもらった」感による病状の改善は、一過性のものだと思っていて
私たちは、適切に選ばれたレメディの効果を信じています
あれ、何が言いたかったか忘れたけど、今日はなんか終始熱が入ってますw
そういう意味でも、毎日が本番でありながら、修行期間でもあり
このインターンの1年がきっとわたしにもたらしてくれるものは大きいはず
師匠の言葉「自分でやってみて初めて理解する」実践期間です
筋肉をつけるためには、筋肉痛という痛みを伴う段階を経なければならないように
やはり良くなるということは、簡単ではないけれど
同時に、苦しむということは良くなり始めているサインなのだと
『自然の法則』
これはホメオパシーの治癒の過程にも共通するもの
普段「がんばって」と言われても、ほとんどありがたく「がんばろう!」と思えないわたしですが
今は「きみもがんばれ!ぼくもがんばる!」な気持ちです(妹の高校のスローガン。一方わたしが通った高校のスローガンは自主自律だったので、それを聞いたとき軽く衝撃を受けた)
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