マザーテレサについて知ったとき、なんて美しい生き方なんだろうと感銘を受けた
苦しむ人たちに仕えること
人のために自分の全てをかけて生きること
マザーテレサの言葉を読んでいたら、苦しむ人々のためではなく、その人たちの中に神を見出し、神のために生きているのだと
何歳だったか分からないけど、その時のわたしはなんか「なーんだ」と思ってちょっと、いや結構がっかりした
12歳のときに国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞
これだ!とビビっときて
思い込みが強く猪突猛進型のわたしの夢はそれ以来 「お医者さんになること」
世界が平和になるようにと口では言いながら、家族にあたったり、身近な人にちっとも親切じゃなかったり
17歳の誕生日はインドで迎え
父に誕生日プレゼントとして「あるヨギの自叙伝」をもらって
18歳大学受験、そこで長年の夢をなんか諦めて
それに代わる夢が見つからなくて、いわゆる「自分探し」の数年
自分のことでいっぱいいっぱいの毎日
23歳東日本大震災、福島第一原発事故
30歳インドはマザーテレサが活動の拠点としていたコルカタで、インターンとして患者さんの診察をする毎日
ここまで
正直何度も「自分はここで何をしてるのか」と自問し、ただ意地を張り続けてやめなかっただけで
日本の人にどれほどホメオパシーが受け入れられるのかもわからない
将来自分がホメオパシーを通して何ができるのかもわからない
ほんとに真っ暗以外の何物でもなかった時期があって
それが
気がついたら最高の師匠にめぐり合わせてもらっていて
気がついたらすてきな友達のかわいい息子さんにレメディを選ぶ機会をもらって
気がついたら日本の患者さんを診る機会をもらっていて
気がついたらその機会が日に日に増えていていて
気がついたらレメディの効果を感じてもらえる機会も増えていて
気がついたら日本人でもインド人でもない患者さんを英語で診る機会までもらっていて
気がついたら師匠になんでも聞いて答えてもらえるくらいの師弟関係が築かれていて
さらにさかのぼれば
ホメオパシーを学ぶことを応援してくれるちょっと変な家族の元に生まれ
インドとも人生の早めにご縁をもらっていて
わたしにすごく才能があるとか運があるとか、すごい努力をしたとかそういうことでは全くなく
この全てが与えられたものなんだなぁと、思います
望んでいたことが、望んでいたそのままの形でその時にではなかったけど
ベストな形でベストな時に
そうなるようにずっと導いてもらってきた
今だってイライラすることも感情的になることもいくらでもあるけど
なんなら患者さんにイライラしちゃうこともあるけど
世界平和を大きな声で叫びながら、近くの人に大して親切じゃなかったあの頃より
自分の生きたい生き方に近付いているように思います
わたしがホメオパシーを実践するのは、わたしなりの人々への愛情表現で
他に表現の仕方を持ち合わせない不器用なわたしのベストの尽くし方
診察の機会をもらうということは、愛する機会をもらっているようで
若い頃、何度読んでも意味がわからなかった、マザーテレサが引用する聖フランシスの祈りの言葉
「 わたしたちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、自分自身に死ぬことによって永遠の命をいただくのですから。」
ほーんのちょっと分かるような気がしなくなくもない気もする今日この頃
あなたが神の愛に生きたことに、今のわたしはあの頃よりもっとずっと美しさを感じます
どれほどのものを与えてもらっているのだろう
ちゃんとあなたに返せますように
何度も疑ってしまったけど
もっと信じて生きていけますように
さぁ明日の外来でイライラしないように寝ようっと!
苦しむ人たちに仕えること
人のために自分の全てをかけて生きること
マザーテレサの言葉を読んでいたら、苦しむ人々のためではなく、その人たちの中に神を見出し、神のために生きているのだと
何歳だったか分からないけど、その時のわたしはなんか「なーんだ」と思ってちょっと、いや結構がっかりした
12歳のときに国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞
これだ!とビビっときて
思い込みが強く猪突猛進型のわたしの夢はそれ以来 「お医者さんになること」
世界が平和になるようにと口では言いながら、家族にあたったり、身近な人にちっとも親切じゃなかったり
17歳の誕生日はインドで迎え
父に誕生日プレゼントとして「あるヨギの自叙伝」をもらって
18歳大学受験、そこで長年の夢をなんか諦めて
それに代わる夢が見つからなくて、いわゆる「自分探し」の数年
自分のことでいっぱいいっぱいの毎日
23歳東日本大震災、福島第一原発事故
30歳インドはマザーテレサが活動の拠点としていたコルカタで、インターンとして患者さんの診察をする毎日
ここまで
正直何度も「自分はここで何をしてるのか」と自問し、ただ意地を張り続けてやめなかっただけで
日本の人にどれほどホメオパシーが受け入れられるのかもわからない
将来自分がホメオパシーを通して何ができるのかもわからない
ほんとに真っ暗以外の何物でもなかった時期があって
それが
気がついたら最高の師匠にめぐり合わせてもらっていて
気がついたらすてきな友達のかわいい息子さんにレメディを選ぶ機会をもらって
気がついたら日本の患者さんを診る機会をもらっていて
気がついたらその機会が日に日に増えていていて
気がついたらレメディの効果を感じてもらえる機会も増えていて
気がついたら日本人でもインド人でもない患者さんを英語で診る機会までもらっていて
気がついたら師匠になんでも聞いて答えてもらえるくらいの師弟関係が築かれていて
さらにさかのぼれば
ホメオパシーを学ぶことを応援してくれるちょっと変な家族の元に生まれ
インドとも人生の早めにご縁をもらっていて
わたしにすごく才能があるとか運があるとか、すごい努力をしたとかそういうことでは全くなく
この全てが与えられたものなんだなぁと、思います
望んでいたことが、望んでいたそのままの形でその時にではなかったけど
ベストな形でベストな時に
そうなるようにずっと導いてもらってきた
今だってイライラすることも感情的になることもいくらでもあるけど
なんなら患者さんにイライラしちゃうこともあるけど
世界平和を大きな声で叫びながら、近くの人に大して親切じゃなかったあの頃より
自分の生きたい生き方に近付いているように思います
わたしがホメオパシーを実践するのは、わたしなりの人々への愛情表現で
他に表現の仕方を持ち合わせない不器用なわたしのベストの尽くし方
診察の機会をもらうということは、愛する機会をもらっているようで
若い頃、何度読んでも意味がわからなかった、マザーテレサが引用する聖フランシスの祈りの言葉
「 わたしたちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、自分自身に死ぬことによって永遠の命をいただくのですから。」
ほーんのちょっと分かるような気がしなくなくもない気もする今日この頃
あなたが神の愛に生きたことに、今のわたしはあの頃よりもっとずっと美しさを感じます
どれほどのものを与えてもらっているのだろう
ちゃんとあなたに返せますように
何度も疑ってしまったけど
もっと信じて生きていけますように
さぁ明日の外来でイライラしないように寝ようっと!
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