2018/05/04

ホメオパシー医の脳みそ

世界のいろんな所で、ホメオパシーが実践されていて同じホメオパシーのレメディを使い、ホメオパシーの名の下に臨床が行なわれていますが、そのスタイルは非常に様々です
ほぼ一様の学校教育を受け、こんなに狭いコルカタという地域のホメオパシー医師の臨床スタイルでさえ、見事に多岐に渡っています
(大学内は科によって先生方の大事と思うポイントが違うので、科対抗の冷戦が起きてるほど)

それは、ホメオパシーの父であるハーネマン医師が、事細かな臨床マニュアルを残さなかったから
ホメオパシーの臨床では、各自の『経験』に委ねられている部分がすごくすごく大きい
何のスケールを使うのか、ポーテンシーの選び方、反復のタイミングと頻度、どこからアプローチするのか、いつレメディを変えるのか、どれくらい待つのか
というのも、ホメオパシーの前提は、「個々が違っている」こと=Individualization
師匠はよく「その違った個々の治癒力にスイッチを入れる、それぞれの特有な鍵を探し出んだ」と言います
全員違う鍵を持っている
よって治療は完全オーダーメイド制
1人として同じレメディのパターンが必要となる人はいないでしょう
(だからこそホメオパシーはガン治療に大きな可能性があると思ってます。ガン発病の原因は複合的で、みんな異なるから)

だからマニュアル化するのは無理!

しかもハーネマン先生は晩年まで、速やかで穏やかで永久的に続く治癒を求めて、自分のやり方を進化させていったので、マニュアル化することによる『ホメオパシーという医療体系の成長』を止めたくなかったのかもしれません

真実であるからこそホメオパシーの基本となる原理原則は、時の試練に屈することなく、今も世界中で人を治癒し続けている
だけどその応用の仕方は人によって異なるのです

という前提のもと、以下わたしスタイルについて書かせていただきます
前提で既に熱くなり過ぎたw

最近自由研究として、男女の違いについての本を読んでいたのですが
自分自身において、男性的なところと女性的なところがあるなぁと思い



特に健康相談を行うとき、すごく男性的な面が働いているのじゃないかと思います
「患者さんの問題を解決しようと頭を使いながら話を聞く」
特に初診では、まるで数式を解いてるような脳の使い方をしているように思う
それも3次以上の方程式
柄の細かいマトリョーシカのパズルを組み立てているようでもある
あれこっちの方が大きかったな?あ、いややっぱりこっちか?
みたいな複雑怪奇な立体的なパズル

この複雑立体パズルが1日1、2件であれば、たのしいまま終わるものの
それが5件、10件、15件となってくると、脳みそ気絶状態に
午前中の病院の診察でそれだけの数をやると、その日は残りの時間何もできないくらいぐったりしている

最近気付いたのだけど、わたしは割とホメオパシーを知った始めの頃から、師匠の診療風景やライフスタイルを見て育ち、ほとんど「他のホメオパシー医師のスタンダード」に目もくれずにいたので、何においても、師匠の在り方が「自分のスタンダード」になっていた
だから自分もそれを目指すことが当然だと思っていたし、そうできるものだと疑うことなく思っていた

ところが、いざ始めてみると、そうではなかったという事実に衝撃を受けることから始まり
さらに師匠への畏敬の念が深まるという。。。

冷静に考えれば、もちろん「個々は違う」のであり、今の師匠の姿は、ほぼ毎日欠かさず誠実に臨床を重ねること約40年、その集大成的ものなのでした
それも毎日より良くなっていく集大成

この複雑立体パズルを解くためには、特定の脳の使い方があるのかなと
よく分かってないので一般的に言われることを真似て言えば、パズルを解こうとしてる瞬間は最大限に左脳を使っているような気がします
そして今のわたしは、このパズルを解く回路のコネクションを良くする作業を必死に行っているというか
比喩的に言えば、パズルを解くための特定の筋肉を鍛えている感じ
きっと筋肉が育てば育つほど、レメディが選ぶ瞬発力も、長時間やるスタミナもつくのかと
パズルを解くヒントを拾ってくるのは右脳なような気もするので、両方を使っているとは思うんだけど、圧倒的に育ってなかったのが左脳だったみたいで

AI研究者の男女の脳の違いに関する本も読んだのですが
男の子が小さい頃にぼーっとするのは、その空間認知力を伸ばすために必要な時間なのだと
まさにわたし最近めっちゃぼーっとしてます

ホメオパシーのマテリアメディカの翻訳もやったりしてますが、こっちはすごく右脳的な感じで
逆に脳が休まるというか快感に近い

びっくりするかもしれませんが、コルカタのホメオパシーの問診に「カウンセリング効果」を期待してるホメオパシー医はほぼ皆無だと思います
こうはっきり言ってしまうとショックかもしれないけど、私たちはただ単純に最適なレメディを探し出すために情報収集をすることを目的として話を聞いてます
だから「そんなに?」ていうくらい細くしつこく質問するときもあります
(師匠は同じ質問を時間を空けて何回かすることもあるくらい)
「現代医学で価値のないとされる症状ほど、ホメオパシーでは価値がある」と言われたり
 一般的な世の中では多分どうでもいいとされる類のことが、ホメオパシーではレメディ選択をぶんぶん左右させる
コルカタでは、レメディが選べたら、まだどんなに患者さんが話し足りなくてもそこで診察終了
ゴングが鳴ってしまうのです
無慈悲に聞こえるけど、毎日決まった時間でその日の患者さんを全員こなさなければいけない
そんな毎日が続くのです
だからこそ、私たちは症状を暗記します
4.5年かけてみっちり勉強します
そしてほぼ必ずその場でレメディを選びます
ここがきっと一番大きなコルカタのホメオパシーと日本や西欧諸国のホメオパシーの違いかもしれません
どのスタイルがより優れているということではなくて、これは環境から生まれた必然なのだと

狙ってないけど、結果として「話を聞いてもらった」感や、しつこく思いもよらぬ質問をされることで「気付き」なんかもあるかもしれないけど
特に「話を聞いてもらった」感による病状の改善は、一過性のものだと思っていて
私たちは、適切に選ばれたレメディの効果を信じています

あれ、何が言いたかったか忘れたけど、今日はなんか終始熱が入ってますw

そういう意味でも、毎日が本番でありながら、修行期間でもあり
このインターンの1年がきっとわたしにもたらしてくれるものは大きいはず
師匠の言葉「自分でやってみて初めて理解する」実践期間です

筋肉をつけるためには、筋肉痛という痛みを伴う段階を経なければならないように
やはり良くなるということは、簡単ではないけれど
同時に、苦しむということは良くなり始めているサインなのだと
『自然の法則』
これはホメオパシーの治癒の過程にも共通するもの

普段「がんばって」と言われても、ほとんどありがたく「がんばろう!」と思えないわたしですが
今は「きみもがんばれ!ぼくもがんばる!」な気持ちです(妹の高校のスローガン。一方わたしが通った高校のスローガンは自主自律だったので、それを聞いたとき軽く衝撃を受けた)

2018/05/01

2018年春ホメオパシー日本ツアーを終えて

今日はまるでJBかのようなタイトルで始めます

4月に約1週間程、一時帰国していました!
思いの外、ほぼ全ての日々、もとい時間がホメオパシーで、夢のようでした
というか「夢に見ていたことが、ほんとに現実になってる!」を実感させてもらう祝福された時間を過ごさせてもらいました

普段インドでの診察は、ほぼ100%実際に会って行う対面式です
そのメリットは、ホメオパシー医サイドからは

⑴ 触診を行えること、自己の観察によって客観的症状の情報量が増え確実性も上がること
例えば胸にしこりがある場合、インドではそのしこりの目視と触診を行い、皮膚が熱を持っているのか、どの程度の大きさなのか、どんな硬さなのか、しこりは動くのか、痛みはどこからどこにあるのか、他に周囲に異常はないかなど確認します
硬さ:石のように硬いのか、 ゴムボールのような硬さなのか、柔らかいのか→候補となるレメディが変わる
痛みの範囲:指一本で覆われる範囲なのか、それ以上なのか、また痛みが乳房から上方向に走るのか、下方向に広がるのか→候補となるレメディが変わる
このような客観的な症状は、とても信頼できる症状となるので、確実なレメディ選択に大いに貢献してくれます
むしろその中心にレメディの候補を上げるのが、わたしのレメディ選択のfirst step

⑵ 診察をする環境が整っている
わたしも診察時のマストアイテムがいくつかあって、大学病院で診察するときは
①Allen's keynotes(本)
②Boericke Materia medica(分厚い本)
③Kent Repertory(分厚い本)
④聴診器、ペンライト、消毒液、 血圧計、白衣、ペン
⑤おじさんが巡回販売するチャイ
を必ず携帯して、側に置いています
ビデオチャットで診察の機会を頂くときも、少なくとも①ー③が机に置かれていないと、わたしは診察準備が整っていないなーと感じてしまいます
条件反射的に選べるレメディのときはいいのですが、そうではないケースの場合、レメディ選択の確実性を上げる為にこれらの本を参照することは、わたしにとって必須です
ちなみに師匠の診療所の机にも②③はあって、今でも診察中にしょっちゅう参照する姿を見かけます(①はページの何行目あたりにどんな症状が書かれているかまで記憶されているので必要なさそう)

⑶ 『今のこの診察の時間』にお互い最大集中し、最大限の努力ができる
⑵に続いて、これは心の準備ということ
大学病院にくる患者さんは携帯を持っていればいい方で、スマフォはまだまだと行った感じ
医師によっては自分の携帯番号を教えたがらない人もいます
さらに結構遠方から(列車で3-5時間とか) やってくるので、そう簡単に診察を受けにやってこれない
だからこそ、その機会を大事にするし、全力で症状を教えてくれます
レメディの飲み方の説明をするときも、真剣に聞いてくれる
SNSが発展している社会ではついつい
「後でLineで聞けばいいやー」
「Lineがあるからいつでも連絡できる」
「言いにくいことは後でメッセージすればいいや」感が、自分も含め蔓延しているように感じます
日本は安全性も高く、「確実に起こる」ことが前提で生活を営んでいるようなところがありますが、でも人生ってほんとはあんまりそうじゃないと思ったり
少なくともインドでの生活で、今まで「確実性」の高さを感じたのは、わたしは師匠の処方くらいです
電気だってしょっちゅうなんの予告もなく停電します
だから「良いレメディを選ぶぞ!」「症状を伝えて良くなるぞ!」とそれぞれが集中して取り組む時間ってまたとない場であり、瞬間であると思ってます
その患者さんがまた戻って来て様子を教えてくれる保証はなく、わたしが明日もレメディを選ぶ機会を天に与えられる保証もない

わたし自身はもともと真剣な会話をメッセージや電話でするのが苦手なところもあり
大変申し訳ないのですが、常に診察モードで生活を送っているわけではないので、ランダムに入ってくるメッセージに対応するのが苦手だなぁと思うこともあり
実際に会って診察しているときであれば完全に『診察モード』なので、ホメオパシー医として今の自分の最大&最高の状態でいやすいのです

むしろ健康相談とはそんな掛け替えのないチャンスなので、わたしはせめてその時間だけでもホメオパシー医として、心や環境の準備を含めベストコンディションでありたいと思っています
そして今の自分として最高の処方ができるようにと

そしてわたしはできることなら故Allen先生のように肉体を離れる日まで患者さんを見続けたい
この先何年になるか分からないけど、きっとロングランになるかなぁと
そのためには健康な身体と健やかな精神の維持が必須であると思い立ち、ここ2週間ほど健康相談のお休みをいただいていました!
日本でプロのホメオパシー医として生き抜く準備の準備期間
またインドは今が真夏なので単純に作業効率が下がっている感プラスそろそろ卒論やらないとやばいのもあり

このタイミングで日本に戻り、自分に何が足りないかを実感できた
そしてまだインドで準備する時間が十分に残っていること
完璧ベストタイミング!

と長くなりましたが、結局何が言いたいかと言うと
今回ビデオチャットではなく対面式で健康相談をする機会をいただけたことは、本当にありがたいことでした^^
遠方から貴重な時間を割いて、相談しに来てくれた皆さま、本当にありがとうございました♡
わたしとしては、ビデオチャットでの診察よりもこの在り方がずっとインドの日常で行なっているものに、そして理想のカタチに近いのです (まだまだ改良しますが)
今はインドにいるのでどうしようもないのですが、日本に完全帰国してからは、「本当に無理です!」な状況以外はこのように対面式で行なっていこうと思っています

さらに今回の旅ではすごく素敵な出会いもあり。。。♡

今インドでしっかり準備をして、日本に帰るんだ!とすっかり士気高まりました

インドに行くことを決めたとき、インドでもがいている間
日本に戻ったとき、自分がどうやって生きて行くかちっとも見えていなかったけど
いろんなところから差し伸べてくれるあたたかな手によって、今はハッキリとしたvisionが見えるようになりました

いろんなところでいろんな人がそれぞれ真摯に積み重ねて来た努力や思いが、絶妙なタイミングで、まるで予定してたかのように重なって。。。
大きなものに祝福されている道に感じます

今回祖母に電車の乗り方までご指導いただくほど、インド人化甚だしいわたしですが、でもインドに慣れることができて、どうして母国に慣れることができなかろう!とのほほんとしてます
多分インドで一番養われた力がこれなのかも
「やればできると思える」力!

チャレンジ多い分しょっちゅうずっこけますが、また立ち上がりますとも!
Never a failure, always a lessen

おじさんにblogが長すぎと言われたことを気にして、この辺で切り上げまーす








2018/03/04

ホメオパシーの治療って?

わたしは日本でホメオパシーの治療を受けたこともなければ、学校に通ったこともなく
日本語のホメオパシーの本をほぼ読んだこともない状態で
インドにすっ飛んで行ってしまったので
日本の人たちがホメオオパシーにどんなイメージを持っているのか
どんな風に捉えられているかもほぼ分かっていません

わたしのホメオパシーは生粋のインド生まれのインド育ちであるため
日本の人とホメオパシーについて話をすると、ビックリすることがしばしば

漢方みたいなものですか?
うーん違います

アーユルヴェーダみたいなものですか?
うーん違います

何にも例えられない、ホメオパシーはホメオパシーなんですね

インドでは、患者さんたちは現代医学(以下、アロパシーと呼びます)の病院に行くのとまるっきり同じ感覚でホメオパシーの病院に行きます
生後間もない赤ちゃんから、今生の生を全うしようとしている人生の大先輩方まで
喉が痛いから、発熱したから、お腹が痛いから、関節が痛いから、心臓が痛いから、落ち込んで何もできないから、眠れないから、アレルギーだから、ガンだから。。。


(↑わたしがインターンをしているホメオパシーの大学病院の外来受付の様子)

アロパシーとの違いは、まずもっと問診に時間を割くこと
ホメオパシーは病名ではなくて、『兆候と症状』に基付いて処方をするから

治療の仕方はホメオパシーの独自の方法で作られた薬を飲むだけ
日本や西欧ではレメディと呼ばれているようですが、インドではHomoepathic medicine(薬)と呼ばれています
この薬は基本的に自然のものからできていて、高度に希釈され震盪を与えられています

ホメオパシーの治療中は、食事制限はガンの患者さんを除いてほとんどありません
薬の種類によってコーヒーを避けた方がいいものもありますが(Acon.やIgnatiaなどコーヒーで悪化するもの)、インドではそれ以外の薬を摂取する際にコーヒーを制限をすることはありません

「決められた時間に決められた量の薬を飲む」
治療はいたってシンプルです

ホメオパシーの薬はアロパシーの薬のように飲んでいる間だけ作用するものではないので、飲んだ後しばらく経過観察の時間をとります(LMポテンシーを除く)
この間に薬の作用(症状を一旦悪化させるような)が先に起こり、それに反応してそれと真逆の方向の反応(症状を良くするような)を身体が起こして、治癒が完了します

ホメオパシーの治癒とは、症状を抑え込むことではなく、症状の原因となっている根本の改善なので、ホメオパシーで「治癒した」と言った時には、ホメオオパシーの薬さえもいらなくなります
よってホメオパシーでは「薬漬け」とか「死ぬまで薬を飲み続ける」状態はあり得ません

また「ヘリングの治癒の法則」というものがあって、
治癒の過程で、症状は
①上から下へ
②内側から外側へ
③より重要なものからそうでないものへ
と順に治癒が起こっていくのです

例えば
①湿疹が最初顔に出ている→顔が良くなったと思ったら手足に出てきた→手足も良くなった(これが上から下へ治癒が起こっていく)
②過去にアトピーをステロイドで抑圧した人が喘息になった場合→喘息の症状が良くなると同時に昔のアトピーの症状が出てきた→アトピーも良くなった(気管支や肺という体内の臓器から皮膚という外側の臓器へ治癒が起こっていく)
③肝臓ガンを患っている→肝臓のあたりの皮膚に帯状疱疹ができてきた→肝臓ガンは治癒→今一番辛いのは帯状疱疹→ 帯状疱疹も治癒(肝臓というより重要な臓器から皮膚へ治癒が起こっていく)(肝臓に1cmの傷を負うのと皮膚に1cmの傷を負うのでは生命維持における重篤さが異なる、そういう意味での”重要”です)

したがって、これらの反応が起こった時、ホメオパスとしてはガッツポーズです
患者さんは良くなり始めたのですから
ただ皮膚に痒みの症状が出てくるとそれはそれで大変辛いようですが、そこを乗り切れば完治が待っています

またホメオパシーでは、『病気』を治すのでなく『病を患っている人』を治すので、頭から足の先さらに精神まで全部をまるっと考慮して、一種類のレメディを選びます
だから今相談している症状に関係ないと思っても、精神面も含めて全部気になることを教えてくださいね!

治療の期間は人や症状の程度にもよります
冷えてから発熱、雨に濡れて発熱、などとその症状を引き起こす原因にどれだけ晒されていたか
それが短ければ短いほど、治療期間も短くなるでしょう

ホメオパシーの治療は「玉ねぎの皮を剥くように」行うと師匠はよく言います
慢性病を患っている患者さんは、その状態を引き起こす原因が何重にも重なっていることが多いのです
そう言われてもイマイチピンとこないと思うのですが、例えばそれが4層の玉ねぎだとすると
1番外側の層:寝不足、食べ方の問題、働き方の問題、天気や気候や環境からの影響、突然の強い感情など
2番目に外側の層:身体的・精神的トラウマ、アロパシーなどの治療による症状の抑圧の経歴(ピル、ステロイド、抗生物質、痛み止め、解熱剤etc.)、既往歴、予防接種など
2番目に内側の層:マヤズムと呼ばれる親や祖先から受け継がれた、ある特定の病気になりやすい傾向(Psora, Syphilis, Sycosis)
1番内側の層:その人が持って生まれた体質

まず外側の層にアプローチして、その層が外れないと、次の層に取りかかれません
そうやって順番に層を一つずつ剥がしていく

わたしは2012年11月にインドに来てから、風邪を引いた時、生理不順の時、痔になった時、多嚢胞性卵巣腫と診断された時、頸椎症と診断された時。。。全てホメオパシーで師匠に治療してもらっていて
つい最近処方してもらった薬が、「子ども時はこれだったな」とずっとわたしが思ってたものでした
確かにそれを飲んでから、小学生の頃に感じた腹痛とか、いろんな症状が戻って来ています
それなのにこの精神の晴れやかさがすごい!
わたしは子どもの頃から大病はなく、予防接種は一通り受けたものの、アロパシーに積極的ではない両親のもと育ったので、大して抗生物質を摂ったこともないし、解熱剤や痛み止めはほぼゼロだと思います
マヤズム的にも、ガンは祖母だけで、あとは母方がリウマチ痛風体質程度で、そんなに大したことないと思うのですが、
それでもこの1番内側の層にたどり着くまでに約6年
昔は風邪をひくと大体副鼻腔炎になってしばらくティッシュが離せないような感じだったけど、最近はレメディをすぐ飲むのもあるけど、ほぼ数日でスッキリ完治するように
今まで人生で一度も皆勤賞がないくらい風邪を引きやすかった(無理してまで行くほど学校が好きではなかったものもある)のが、最近はそれもめっきり減って

師匠の患者さんは5年とか10年レベルも結構いて
家族全員診てもらってるとかも多々

最近自分も患者さんを診ていて、家族丸ごとやらせてもらえると、いろんな背景がすっきりと見えてくるのでとてもやりやすいなぁと思います
日常の不調から慢性病までいつでも気軽に連絡が取れる、『おうちのお抱えホメオパス!』が理想の形かも

次はマヤズムについて
一例をあげると、最近診た症例で、日本人の赤ちゃんの化膿からの下痢の鼻水に発熱
この赤ちゃんはスーパーナチュラル志向のご両親のもとに生まれたので、自宅出産で、ビタミンK2シロップもとってなければ、今まで予防接種も受けていない
食事も大変気を使っているので、病気を引き起こすような有害なものはほとんど体内に入っていなさそうです
それでもこの赤ちゃんが最初に必要として、その赤ちゃんを治癒させたレメディは、ホメオパシーでいうところの抗マヤズム薬(2番目に内側の層を外すレメディ)
それだけマヤズムって根強いんだなと
ホメオパシーの父ハーネマンは「マヤズムによって引き起こされる慢性病は、どんなに壮健な人であっても抗マヤズム薬なしに治癒しない」と
赤ちゃんのお母さん曰く、その症状の一切がRSウィルスの感染にすごく似ていたということでした
そう生まれてから起こる乳児湿疹だったりRSウィルスの感染などというのは、もしかすると「わたしマヤズム持ってるから治しておくれよ!」という身体の訴えなのかもとこの症例を診ていて思いました

一見大したこともないように思うかもしれない不調を一つ一つレメディで治療して行くと、いつの間にか外側の層がすっと外れて、内側に近づいていくように思います
ホメオパシーの治療を始めると、どんどん新しい症状が出てくるように思うかもしれないけど(薬の選択が正確でない場合、その薬の作用としてそれらが出てくる場合もあります。要注意)
内側にあったものがどんどん外側に出て来ている可能性があります
したがって、慢性病の完治はやはりある程度時間がかかります
(わたしのやり方では、診察は1〜2ヶ月に1回程度をゆるーく継続してくような感じです)

解毒や予防にホメオパシーという使い方も多いようですが、
ホメオパシーの基本はどこまでいっても「今現れている兆候と症状に基づいて薬を選ぶこと」
アロパシーの薬で症状を抑え込んでいる状態、ピルによって自然な生理が起こっていない状態などは本当の症状の姿が見えないので、とっても薬を選びづらいです
その場合その状態をありのままの本来の状態に戻すまでに、時間がかかってしまいます
戻ればまだいい方で、それによって他の病気になってしまうことも。。。
ホメオパシーで解毒できるからとりあえず予防接種打っちゃおう!という考え方には、😰
毒は入れないにこしたことがない
身体は傷つけないにこしたことがない
と思っています
その有毒性が分からなかった場合はもちろん仕方がないと思います!(わたし自身も治療の過程で複数の予防接種の悪影響を解毒するレメディを摂りました)

また日本とインドの差異なのかわかりませんが、「どうして私このレメディなんですか?」問題
私の師匠は、『レメディの処方』以外は全く何も行いません
例えば患者さんの人生へのアドバイスとか、共感の姿勢を見せるとか、選んだレメディの解説を行うとか
これは私の解釈で、また師匠のスタイルの問題でもあるかと思いますが、師匠はレメディの力を何よりも信じているのだと思います
「あとは選んだレメディが患者さんを癒してくれる」
誰よりもそう信じていて、実際に彼の臨床40年近くそうだったのだと思います
日本のマテリアメディカを見ていると、レメディ毎の精神症状が大いに強調されていて、まるで〜占いのような印象を受けるものもチラホラ
確かにそこに面白みを感じやすいのも分かりますが、インド的処方からするとあくまで精神症状というのは身体症状に並ぶ一つの症状に過ぎません(症状の評価をする時には、精神症状に重きを置くこともあります)(私はほぼ必ず精神症状プラス身体症状の組み合わせでレメディを選びます)
自分に選ばれたレメディをネットで検索してみて、そこに書いてあることに一喜一憂はしなくていいのかと
それは『今の患者さんの状態』が必要としているもので、その層が外れればまた違うものが必要となっていくのですから
また聞かれたらなるべくお答えするようにしたいのですが、「どうしてそのレメディなのか」を一般の方に解説するのは結構難易度が高いなぁと
これまで学んできたものの全てがその処方に詰め込まれていて、それを理解してもらうためにはどこから説明を始めたらいいのか途方に暮れてしまう。。。というのが本音です
今でも私は師匠の処方の深さが分かっていないなぁと思うことがしばしば


さてさて大変長くなってしまいましたが
非常にシンプルでありながら深い治療を行うホメオパシー
最近は日本の患者さんたちにも最初の処方からその効果に喜びの声を聞かせていただくことが多く、ホメオパシーって本当にすごいなぁと感嘆することがしばしば (これまでアロパシーの治療をたくさん受けている人でも)

まずは花粉症にも!
いつでもお声がけください^^
必要なところにホメオパシーが届きますように!




2018/03/03

after 7years

マザーテレサについて知ったとき、なんて美しい生き方なんだろうと感銘を受けた
苦しむ人たちに仕えること
人のために自分の全てをかけて生きること

マザーテレサの言葉を読んでいたら、苦しむ人々のためではなく、その人たちの中に神を見出し、神のために生きているのだと
何歳だったか分からないけど、その時のわたしはなんか「なーんだ」と思ってちょっと、いや結構がっかりした

12歳のときに国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞
これだ!とビビっときて
思い込みが強く猪突猛進型のわたしの夢はそれ以来 「お医者さんになること」

世界が平和になるようにと口では言いながら、家族にあたったり、身近な人にちっとも親切じゃなかったり

17歳の誕生日はインドで迎え
父に誕生日プレゼントとして「あるヨギの自叙伝」をもらって

18歳大学受験、そこで長年の夢をなんか諦めて

それに代わる夢が見つからなくて、いわゆる「自分探し」の数年
自分のことでいっぱいいっぱいの毎日

23歳東日本大震災、福島第一原発事故

30歳インドはマザーテレサが活動の拠点としていたコルカタで、インターンとして患者さんの診察をする毎日


ここまで
正直何度も「自分はここで何をしてるのか」と自問し、ただ意地を張り続けてやめなかっただけで
日本の人にどれほどホメオパシーが受け入れられるのかもわからない
将来自分がホメオパシーを通して何ができるのかもわからない
ほんとに真っ暗以外の何物でもなかった時期があって

それが
気がついたら最高の師匠にめぐり合わせてもらっていて
気がついたらすてきな友達のかわいい息子さんにレメディを選ぶ機会をもらって
気がついたら日本の患者さんを診る機会をもらっていて
気がついたらその機会が日に日に増えていていて
気がついたらレメディの効果を感じてもらえる機会も増えていて
気がついたら日本人でもインド人でもない患者さんを英語で診る機会までもらっていて
気がついたら師匠になんでも聞いて答えてもらえるくらいの師弟関係が築かれていて

さらにさかのぼれば
ホメオパシーを学ぶことを応援してくれるちょっと変な家族の元に生まれ
インドとも人生の早めにご縁をもらっていて

わたしにすごく才能があるとか運があるとか、すごい努力をしたとかそういうことでは全くなく
この全てが与えられたものなんだなぁと、思います

望んでいたことが、望んでいたそのままの形でその時にではなかったけど
ベストな形でベストな時に
そうなるようにずっと導いてもらってきた

今だってイライラすることも感情的になることもいくらでもあるけど
なんなら患者さんにイライラしちゃうこともあるけど
世界平和を大きな声で叫びながら、近くの人に大して親切じゃなかったあの頃より
自分の生きたい生き方に近付いているように思います

わたしがホメオパシーを実践するのは、わたしなりの人々への愛情表現で
他に表現の仕方を持ち合わせない不器用なわたしのベストの尽くし方
診察の機会をもらうということは、愛する機会をもらっているようで

若い頃、何度読んでも意味がわからなかった、マザーテレサが引用する聖フランシスの祈りの言葉
「 わたしたちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、自分自身に死ぬことによって永遠の命をいただくのですから。」
ほーんのちょっと分かるような気がしなくなくもない気もする今日この頃

あなたが神の愛に生きたことに、今のわたしはあの頃よりもっとずっと美しさを感じます


どれほどのものを与えてもらっているのだろう
ちゃんとあなたに返せますように
何度も疑ってしまったけど
もっと信じて生きていけますように


さぁ明日の外来でイライラしないように寝ようっと!


2018/02/06

LMポテンシー

わたしのホメオパシーに対する知識と感覚は、完全に師匠とわたしが通う大学(National Institute of Homoeopathy、通称NIH)由来なので
インターンシップで外部の病院に勤務するまで気付かなかったのですが、こんなにLMポテンシーを常用しているのは、コルカタ内でもNIH卒業生ぐらいらしいのです

そこで、日本でもあまりなじみのないであろうLMポテンシーについてまとめてみました

主にNIHの薬学の授業(1年生の必修科目)で使われている薬学の教科書
の抜粋を翻訳し、少しわたしからのコメントを加えています

学術文書として、わざと「レメディ」ではなく直訳の「ホメオパシー薬」と表記しました

異なるホメオオパシー薬の調合方法
(↑dropboxのリンクに飛びます)

翻訳ミス、誤字脱字、よく分からないところなど、ありましたらお知らせください^^

2018/02/04

一処方入魂

わたしが勉強する機会をもらっているインドの患者さんたちは
携帯電話を持っていたとしても、スマフォではないタイプの電話で
簡単にやれFBだ、やれIGだ、やれLINEだのでつながることはないので

「あー、あの処方、こうしておけばよかった。。。」
と家に戻ってきてから悔やんでも、どうすることもできない

今回の分の処方が終わって、また自ら診察に来てくれることを祈るのみ

まさに
一処方入魂

受付のお姉さんに(おばさんと呼ぶと怒られる)適当に振り分けられて、わたしのところにくる患者さん

良くなって来なくなることもあるし
全く効き目を感じなくて来なくなることもあるだろう
また会えるかどうか分からない
様子を尋ねるために、連絡のしようもない

インドにいながらにして日本に生きているようなところがあるわたしは
正直携帯電話とネットコネクションはマストアイテムで
一日の時間をどれほど、そのネットの繋がりに費やしているか分からない
もちろんそれで助けられることはいっぱいあるし、いっぱいあった

インドではその場で薬を選んで処方するということが基本で
また患者さんは次から次へとやってくるので
最適な薬を選ぶために悠長に調べ物をしている時間はそれほどなく(わたしはそれでもしている方で、患者さんに急かされることもしばしば)
ましてやラップトップの助けを借りて薬を選ぶ習慣が、特にここコルカタではほぼ皆無なので
これまた出るとこ勝負というか

その診察の瞬間までに、どれほど勉強してきたか
どれほど自分の身になっているか
その成果をその数分の中で出し切っていく

どんなに長い問診をしても、どんなに丁寧な触診や聴診をしても
わたしたちには処方箋が全て
大げさなようだけど、全てはその処方箋を書くまでの道のりで

さらに結果が全ての世界であるとも思っている
それは治る、治らない、良くなる、ならないということもだけど、患者さんやその家族が治療を通してどのような印象を受けるのかということも含めて
今のところ生まれた以上、肉体の死は誰にも避けられないことなので

言葉たどたどしくしかコミュニケーションをとれないけど
またいつか会えるか会えないのかも分からないけど
人生のほんの一瞬しか共有しないけど
その時に目の前にいるこの人たち
その人たちをとても大切に思う

 一処方入魂

そんなTシャツでもあれば月曜日から来て行きたいくらい、そんな気持ちであります

2018/01/14

満を持す

食べ物をシェアするために使った小皿がスリランカの友人から戻ってこないこと、はや3週間
その間、あれ彼氏がわたしの小皿使ってご飯食べてるよね?
そろそろ返してって言おうかなぁ
もしかして皿ごともらったと思ってる?
みたいな思惑を経つつも、なんとなく放置していたら

「あなたのためにちょっとこしらえたわよー」とお皿と一緒にスリランカンスイーツ

わたしがインドで学んでいるのは、こういうことかもしれないなぁと
徳川家康精神
満を持す
ベストを尽くして結果は委ねる

すでに帰国モード気味で、振り返りが多い近頃ですが
ここまで、わたしはインドで青い鳥を探し求めていたんじゃないかという気がするのです
それも直接見たことのある青い鳥ではなくて、何かで読んだのか、人から話を聞いたのか、本当にあるのかないのかもわからないような青い鳥

それを自分探しと呼んでもいいような気もするし

未だにはっきりとした表現を持たない曖昧な放浪だったように思うのですが

青い鳥のお話と同様に、放浪の終わりは、「ここにあった」

というかそもそもが探し求めるものではなかったのじゃないかという

だからと言って、この放浪が無駄だと思うこともなく、時間がかかり過ぎたという後悔もなく

すっきりとエネルギーを使うベクトルを変えていけるようになりつつあるような

まだまだ過程にいるので、言葉が泳いでいますが

こんなに贅沢に存分に放浪させてもらえたこと、ありがたいなぁと振り返りつつ

もしかしてあんなに嫌いだったインドを恋しいと思う日が来るような気がしてならない今日この頃