2017/03/12

苦しむこと

インドにきてから、ほぼ苦しみについてしか語っていないような気がするけど
今日は肉体の苦しみについてを

試験勉強からのlaptopで翻訳作業の流れ、加えてホメオパシーの分厚い本を抱えての長時間バスや飛行機での移動のためか
腰痛から首痛
インドでの雑なX線撮影で、見事に「頸椎症」とのお名前を頂戴し
追試の前に泣き崩れたのは、わたしの記憶に新しいところ笑

しかし、なぜか師匠はこの首の痛みをちっともまともに取り合ってくれない!笑
(意地悪ではなくて、もう一つ診断名がついてることの治療中のため、のはず)

世界中の頸椎症の人とわかりあえるくらい痛いのにー

そこから三十路直前の肉体的自己改革が始まりました笑

インドでの生活は明らかに運動不足で、それまでインドなのに俄然エクササイズ系のハタヨガ(逆輸入系)に、ちょいちょい通っていた頃は肩こり知らずだった身体
まずは定期的に運動をすることから

インドの友人たちのセルフィーへの情熱は、基本自分のベストショットを携帯の待ち受けにするレベルなので
なんてことない授業中もセルフィーのタイミングだったりして
そこに映る自分の姿に違和感
隣に映るインド美人と比べてどうにもならない顔の大きさはさておき、なんか姿勢が悪いかも
俗に言う巻き肩とかいうやつにカテゴライズされるやつで
姿勢改善も

さらにこの疲れやすさ
スリランカでシーフードを食べまくってるときはハイパーに過ごせたので
わたしのベジで牛乳苦手なインドでの食生活は、もしかしてタンパク質不足なのかも
プロテイン風なものも追加

ああでもないこうでもない、いろいろ試して数ヶ月
気付けば、首の痛みがほぼ良くなっている!

もし
なんかのレメディのおかげでスルスルとこの痛みが改善していたら、わたしはきっと自分を不健康にしている要因に注意を払わないままだっただろう

基本的に具合の悪いときは寝て治す家に育ったので
なにかある度に、なにか飲まなきゃ!なにかしなきゃ!
という感覚はあまりないのだけど

やっぱり痛かったり苦しかったら、どうにかしたくなるのも今回すごくよく分かりました
特に状況的に休んでいられないときなんか

いろんな自分なりの試行錯誤の果てに、
苦しむというとは、「苦しみを生むなにか」が自分にあるからなんだと

それがわたしの頸椎症の場合は、上に書いたようなことで
人によってはそれが食事であったり、生活リズムであったり、トラウマだったり、遺伝的なことだったり、精神的なことだったり
同じ頸椎症という診断名でも、「苦しみを生むなにか」は人それぞれなのでしょう

師匠もガンのホメオパシー治療のときによくこう言います
「ガンを発症する原因は、一概に語ることはできない
それは単純なものではく、複合的なもので
人によって違う
同時にそこがガン治療におけるホメオパシーの可能性なのだ」

ホメオパシーは、同じ病名でも一人一人を個別化をして治療します
一人一人のその複合的な原因を、明らかにして見極めてレメディを選んでいくのです

よく「なになに(病名)のレメディはありますか?」と聞かれるけど、答えはyesでno
というのもホメオパシーは”病気”を治すのではなくて、病気を患っている”人”の治療をするからです

さらにホメオパシーは、この遺伝的な部分(ホメオパシー的にマヤズムと呼ぶもの)へのアプローチができるところも、すごい強みだと思ってます
(ただ遺伝的な部分に対する治療は、やはり相当時間がかかります)


ホメオパシーから話を戻して

苦しみ万歳!的なマゾヒズムを唱えたいわけでも、苦しみありがとう!的なエモーショナルな感じでもなく
今回師匠の見事なスルーによって、教えてもらったことは

苦しんでいるということは、自分に直さなければいけないなにかがあるということ
周りにではなくて、自分に
同じ環境でも苦しむ人と苦しまない人がいるということは、やっぱり自分になにかがあるんだということ
そのなにかが改善されるまで、苦しみは続く
苦しみは「なにかが変だよー」というサインなんだということ

これは決して肉体だけの話ではなくて、わたしの得意分野精神的苦しみについてもきっとそうで
わたしはインドにほんとに自分を改善しにきたんだなぁと何度も何度も思う
ただ精神的なことは、肉体以上に変化に時間がかかるようで
今もまだいまいち進化を感じられないのですが
きっと苦しみが苦しみじゃなくなったときに、わたしはインドを出発できるのだと、時に前向きに思ってます

たとえば、以前も書いたルームメイトのこと
前のルームメイトは今回の部屋替えで一人部屋をget(彼女は最高学年なので)
実はわたしも一人部屋をgetできるかもという噂が流れ、大いに期待しちゃってたのに
やはりまだ苦しみ足りなかったのか、神さまからの許可がおりず
初めての後輩ルームメイトを迎えました
後輩としてめっちゃ気を遣ってくれるからなのか、いまだかつてない快適感!
一人よりいいかもと思うくらいの過ごしやすさで、これをcompatibleというらしい(というかなんでもしてくれるw)
なんか、これまでの苦しみが報われるときがくるんだと
大袈裟すぎるかもしれないけど、わたしはふいに確信しました

いつかきっとインドでのこの日々が、報われるときがくる
いつかわからないけど、いつか必ず
どんな小さな苦しみも、すべて

3.11からこの6年、「忘れないように」と思って生きてきていたけど
今年は、忘れないなぁと
わたしが今歩く道は、そこから伸びているから

早くに亡くなった友達たちも
忘れないようにと体に刻もうとしたこともあったけど、忘れようがないのだと
その子たちとの時間があって、今のわたしがいるのだから

この6年間
忘れないということは、苦しみ続けることだと思っていたような気がします
でも、なんかそうではないのだと
わたしにとっては
そこから伸びる道を、しっかり生きること
今のわたしをしっかり生きること

祈るように生きる時間が少しでも増えていきますように

ホメオパスという、人の苦しみと向き合う職を選んだこと

それは確かにこのインド修行が必要なはずで
そしてそれは確かに苦しみネタが絶えないわけで

今のわたしにとっては、苦しむことは生きることそのものでもあるのかもしれない
全然前向きに聞こえないけど、前向きな意味で笑


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