「ホメオパシー!」
というと合言葉のように
「毒をもって毒を制す!」
と返ってくるような気がする日本ですが、
インドでホメオパシー教育を受けているわたしは、これを聞くといつもどうもモヤモヤしてしまうのです。。。
【前提として、インドのホメオパシー教育】
・Organon of Medicineは第5版と第6版が両方記載された英語のものを勉強する
・なぜかというと第5版はハーネマン医師が生きている間に出版された最後のバージョンで、他の人に加筆修正されている疑いがないのに対し、第6版はハーネマン医師の死後78年経過してから出版されているものなので、ハーネマン医師が一人で書き上げたままなのかはたまた誰かに加筆修正されてしまっているのか神のみぞ知る状態だから
・英語なので、原典であるドイツ語の'Organon der Heilkunst'の翻訳本である
・第5版の翻訳者はR. E. Dudgeon
・第6版の翻訳者はWilliam Boericke
よってわたしの知識は英語に翻訳されたOrganon of Medicineの第5版と第6版の合同バージョンによるところであります
【「毒をもって毒を制す」の元となった言葉】
それは"Similia Similibus Curantur"(ラテン語)
英語訳は"Like Cures Like" or "Like is cured by like"
これこそがホメオパシー医学の名前の由来(Homoeos=similar + pathos=suffering)になった、そして最も核となる原則でしょう
しかしこの原則自体は、ハーネマン医師が発見したものではありません
ではだれが!?
医学の父と称されるヒポクラテスさんの登場!
彼の著書"Natura Morborum Medicatex"の中に、この原則が言及されています
しかし厳密には第一発見者はヒポクラテスさんではなく、アーユルヴェーダの本だとかヒンドゥーの本だとかなんとか
今日は歴史の会ではないので、ここは掘り下げずにおきますが
ヒポクラテス医師は、病気を治療するにあたっての原則として
"Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like / Like is cured by like)と
"Contraria Contrariis Curantur" (Opposite Cures Opposite / Opposite is cured by opposite)の2つをあげました
ヒポクラテス医師もこれらの原則に基づいて臨床を行っていたそうですが
このうち "Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like)のみを基礎として臨床を始めたのがハーネマン医師です
"Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like)に戻りましょう
【これをリーダーズ英和辞典でひいてみると】
毒をもって毒を制する
なんと辞典に明記されちゃってる!(冷汗)
【これを医学英和大辞典(南山堂)でひいてみると】
”類似物をもって類似症は治癒される”というヒポクラテスの格言で、パラセルサスParacelsusも"同類は同類を癒す"と宣言したが、後年Hahnemannはこの信念に基づいて同毒療法または類似療法の一医療派を創立した
とのこと(ほっ)
【辞典はいったんおいといて、直訳してみよう】
"Similia Similibus Curantur"
わたしもラテン語はよくわかりませんが、ここは英語の
"Like Cures Like"に着目して、素直に日本語に訳してみると「似たものが似たものを治す」
"Like is cured by like"だと直訳は「似たものは似たものによって治癒される」
これをカッコよくフォーマルにいえば、医学英和大辞典(南山堂)のように「類似物をもって類似症は治癒される」ということになるのでしょう
素直に訳したら、どこにも”毒”という言葉はないのです
【そもそもホメオパシーのレメディは毒なのか?】
「毒をもって毒を制す」というホメオパシーの説明を聞いて、なぜわたしがモヤモヤするのかというと、「ホメオパシーのレメディは毒である」と思っていないからです
たしかに毒物を素として作られているものもあります
有名なところで、
Lachesis:クサリヘビ科に属する毒ヘビの一属であるヘビ毒を素として作られている
Nux vomica:マチンという数種のアルカロイド、特にストリキチーネ・ブルシンという毒を含む植物の種を素として作られている
などなど
では、例えば!
Lachesisという毒ヘビに咬まれて症状が出た場合、Lachesisというヘビ毒を素として作られたレメディを処方し、効果を得られたとします
これは確かに毒をもって毒を制す的な治療法のように思えます
でもここでもう少し踏み込んで考えてみたいのは、
1. Lachesisというレメディは一般的に毒と言えるのか?
2. 今回はLachesisの毒の悪影響にLachesisの毒を素として作られたレメディが効いたけど、毎回そうなのか?
3. ホメオパシーはいつもいつも「毒をもって毒を制す」なのか?
1. Lachesisというレメディは一般的に毒と言えるのか?
忘れてはいけないのが、ホメオパシーのレメディを作る過程での希釈震とうというプロセスです
これによって、レメディにはその素となった物質が分子レベルで含まれていないくらいに希釈されるのです(12C以上)
そんなものが効くのか?ということについては、これまでの歴史や身近な人やご自身の経験にお任せするとして
ホメオパシーのレメディがいつも毒であるとは、わたしは言えないと思っています
なぜなら、レメディを飲む人にそのレメディに対する感受性がない場合、なんの変化も起こらないからです
しかし、それは飲む量、飲むタイミング、飲む期間によって、もちろん毒にもなりえます
(あらゆる薬と称されるもの、健康食品などにしかり)
特にLachesisのように毒物からできているレメディはその効力が強いので、適当にポイポイ飲むのは全くおすすめしません
なんの変化も起こらないというのは、かなりいろんな条件の上で言えることです
しかし、逆に、例えば植物からできているレメディで、ポーテンシーがそれほど高くなくて、反復回数も少なかった場合、そしてレメディを飲む人にそれレメディへの感受性が全くなかった場合には、なんの反応も得られないでしょう
俗に言われる、レメディ外した状態です
そんなレメディは毒と言えるのでしょうか?
2. 今回はLachesisの毒の悪影響にLachesisの毒を基として作られたレメディが効いたけど、毎回そうなのか?
ホメオパシーのレメディ選択は、患者さんのもつ兆候と症状に基づいて行われます
「毒をもって毒を制す」的に、病を患っている状態がなにかの毒性物質によって引き起こされている場合、その毒性物質からできているレメディを処方することも多々あります
(Radium brom. X ray. Tabacumなどなど)
でも、”いつも”ではない
蚊に刺されによるひどい腫れが、Apisというミツバチからできているレメディによって治ることもあれば、Caladiumというサトイモ科の植物からできているレメディによって治ることもある
同様にLachesisのヘビ毒による影響でも、必ずしもその患者さんの症状がLachesisというレメディによってよくなるわけではないのです
(ここがホメオパスの腕の見せ所でもあるわけなのですが)
3. ホメオパシーはいつもいつも「毒をもって毒を制す」なのか?
レメディはかなりいろんなものからできていて、前述したように毒物であったり、植物であったり、鉱物であったり、細菌やカビなんかからもできていたりします
身近なもので、水晶とか塩とか砂糖とか蜂蜜とかイカ墨とか。。。
アーユルヴェーダでは、「水さえも薬になる」と言うそうで、たしかにそれぞれ使い方によっては原物質のままでもなんらかの影響を身体に与えるでしょう
たしかにそれが毒となることもあるでしょう
でも一般的に、 水晶とか塩とか砂糖とか蜂蜜とかイカ墨を毒とみなすでしょうか?
【一応パラケルススにも触れておくと】
この方wikiを読むとなかなかぶっ飛ばしてる方みたいなんですが、毒性学の父と呼ばれているそうで
↓以下wikiからのコピペ
「全てのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ」 (ドイツ語: Alle Dinge sind Gift und nichts ist ohne Gift; allein die Dosis macht es, dass ein Ding kein Gift ist.) あるいは「服用量が毒を作る」 (ラテン語: sola dosis facit venenum) という格言は、パラケルススによるものである[28]。
ーコピペ終了ー
またこちらによると、"Poison can be cured by poison"ともいってるとかなんとか
これぞまさに毒をもって毒を制す!
おそらくですが、リーダーズ英和辞典の訳はこのパラケルススのコンセプトに準じた訳なのではないかと推測しました
(パラケルススについて全くの勉強不足をここに宣言します)
【まとめると】
自分でもなんだか揚げ足をとっているような、細かいニュアンスにこだわりまくってるような気もしてきましたが
あまりにもこの「毒をもって毒を制す」という言葉のインパクトに、ホメオパシーがひっぱられているような気がして
ホメオパシーがまっすぐに伝わっていないのではないかと懸念してきました
たしかに広義に解釈して、そういえることがあるかもしれない
でもそれをホメオパシーの核の原理として語るには、意訳しすぎているというか、飛ばしすぎというか
翻訳をするとき、ベタな例えで恐縮ですが"LOVE"という英語の言葉に対して、日本語では
愛、好意、慈悲、敬愛、恋、恋愛、色情、性交、(夫婦恋人間で)あなた…
といろんな言葉が該当して、これらのうちのどれを意味するかというのは、文の前後であったり、話す人同士の関係性であったりで、変わってくるし決まってくるものなんではないかと思います
"Similia Similibus Curantur"には、意訳して毒をもって毒を制すという意味もあるでしょう
でもホメオパシーの話をするときの、 "Similia Similibus Curantur"は
「似たものが似たものを治す」
「類似物をもって類似症は治癒される」
といった表現を用いたほうが、誤解なくホメオパシーを伝えられるのではないかとわたしは思っています
さて、いかがでしょうか?
というと合言葉のように
「毒をもって毒を制す!」
と返ってくるような気がする日本ですが、
インドでホメオパシー教育を受けているわたしは、これを聞くといつもどうもモヤモヤしてしまうのです。。。
【前提として、インドのホメオパシー教育】
・Organon of Medicineは第5版と第6版が両方記載された英語のものを勉強する
・なぜかというと第5版はハーネマン医師が生きている間に出版された最後のバージョンで、他の人に加筆修正されている疑いがないのに対し、第6版はハーネマン医師の死後78年経過してから出版されているものなので、ハーネマン医師が一人で書き上げたままなのかはたまた誰かに加筆修正されてしまっているのか神のみぞ知る状態だから
・英語なので、原典であるドイツ語の'Organon der Heilkunst'の翻訳本である
・第5版の翻訳者はR. E. Dudgeon
・第6版の翻訳者はWilliam Boericke
よってわたしの知識は英語に翻訳されたOrganon of Medicineの第5版と第6版の合同バージョンによるところであります
【「毒をもって毒を制す」の元となった言葉】
それは"Similia Similibus Curantur"(ラテン語)
英語訳は"Like Cures Like" or "Like is cured by like"
これこそがホメオパシー医学の名前の由来(Homoeos=similar + pathos=suffering)になった、そして最も核となる原則でしょう
しかしこの原則自体は、ハーネマン医師が発見したものではありません
ではだれが!?
医学の父と称されるヒポクラテスさんの登場!
彼の著書"Natura Morborum Medicatex"の中に、この原則が言及されています
しかし厳密には第一発見者はヒポクラテスさんではなく、アーユルヴェーダの本だとかヒンドゥーの本だとかなんとか
今日は歴史の会ではないので、ここは掘り下げずにおきますが
ヒポクラテス医師は、病気を治療するにあたっての原則として
"Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like / Like is cured by like)と
"Contraria Contrariis Curantur" (Opposite Cures Opposite / Opposite is cured by opposite)の2つをあげました
ヒポクラテス医師もこれらの原則に基づいて臨床を行っていたそうですが
このうち "Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like)のみを基礎として臨床を始めたのがハーネマン医師です
"Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like)に戻りましょう
【これをリーダーズ英和辞典でひいてみると】
毒をもって毒を制する
なんと辞典に明記されちゃってる!(冷汗)
【これを医学英和大辞典(南山堂)でひいてみると】
”類似物をもって類似症は治癒される”というヒポクラテスの格言で、パラセルサスParacelsusも"同類は同類を癒す"と宣言したが、後年Hahnemannはこの信念に基づいて同毒療法または類似療法の一医療派を創立した
とのこと(ほっ)
【辞典はいったんおいといて、直訳してみよう】
"Similia Similibus Curantur"
わたしもラテン語はよくわかりませんが、ここは英語の
"Like Cures Like"に着目して、素直に日本語に訳してみると「似たものが似たものを治す」
"Like is cured by like"だと直訳は「似たものは似たものによって治癒される」
これをカッコよくフォーマルにいえば、医学英和大辞典(南山堂)のように「類似物をもって類似症は治癒される」ということになるのでしょう
素直に訳したら、どこにも”毒”という言葉はないのです
【そもそもホメオパシーのレメディは毒なのか?】
「毒をもって毒を制す」というホメオパシーの説明を聞いて、なぜわたしがモヤモヤするのかというと、「ホメオパシーのレメディは毒である」と思っていないからです
たしかに毒物を素として作られているものもあります
有名なところで、
Lachesis:クサリヘビ科に属する毒ヘビの一属であるヘビ毒を素として作られている
Nux vomica:マチンという数種のアルカロイド、特にストリキチーネ・ブルシンという毒を含む植物の種を素として作られている
などなど
では、例えば!
Lachesisという毒ヘビに咬まれて症状が出た場合、Lachesisというヘビ毒を素として作られたレメディを処方し、効果を得られたとします
これは確かに毒をもって毒を制す的な治療法のように思えます
でもここでもう少し踏み込んで考えてみたいのは、
1. Lachesisというレメディは一般的に毒と言えるのか?
2. 今回はLachesisの毒の悪影響にLachesisの毒を素として作られたレメディが効いたけど、毎回そうなのか?
3. ホメオパシーはいつもいつも「毒をもって毒を制す」なのか?
1. Lachesisというレメディは一般的に毒と言えるのか?
忘れてはいけないのが、ホメオパシーのレメディを作る過程での希釈震とうというプロセスです
これによって、レメディにはその素となった物質が分子レベルで含まれていないくらいに希釈されるのです(12C以上)
そんなものが効くのか?ということについては、これまでの歴史や身近な人やご自身の経験にお任せするとして
ホメオパシーのレメディがいつも毒であるとは、わたしは言えないと思っています
なぜなら、レメディを飲む人にそのレメディに対する感受性がない場合、なんの変化も起こらないからです
しかし、それは飲む量、飲むタイミング、飲む期間によって、もちろん毒にもなりえます
(あらゆる薬と称されるもの、健康食品などにしかり)
特にLachesisのように毒物からできているレメディはその効力が強いので、適当にポイポイ飲むのは全くおすすめしません
なんの変化も起こらないというのは、かなりいろんな条件の上で言えることです
しかし、逆に、例えば植物からできているレメディで、ポーテンシーがそれほど高くなくて、反復回数も少なかった場合、そしてレメディを飲む人にそれレメディへの感受性が全くなかった場合には、なんの反応も得られないでしょう
俗に言われる、レメディ外した状態です
そんなレメディは毒と言えるのでしょうか?
2. 今回はLachesisの毒の悪影響にLachesisの毒を基として作られたレメディが効いたけど、毎回そうなのか?
ホメオパシーのレメディ選択は、患者さんのもつ兆候と症状に基づいて行われます
「毒をもって毒を制す」的に、病を患っている状態がなにかの毒性物質によって引き起こされている場合、その毒性物質からできているレメディを処方することも多々あります
(Radium brom. X ray. Tabacumなどなど)
でも、”いつも”ではない
蚊に刺されによるひどい腫れが、Apisというミツバチからできているレメディによって治ることもあれば、Caladiumというサトイモ科の植物からできているレメディによって治ることもある
同様にLachesisのヘビ毒による影響でも、必ずしもその患者さんの症状がLachesisというレメディによってよくなるわけではないのです
(ここがホメオパスの腕の見せ所でもあるわけなのですが)
3. ホメオパシーはいつもいつも「毒をもって毒を制す」なのか?
レメディはかなりいろんなものからできていて、前述したように毒物であったり、植物であったり、鉱物であったり、細菌やカビなんかからもできていたりします
身近なもので、水晶とか塩とか砂糖とか蜂蜜とかイカ墨とか。。。
アーユルヴェーダでは、「水さえも薬になる」と言うそうで、たしかにそれぞれ使い方によっては原物質のままでもなんらかの影響を身体に与えるでしょう
たしかにそれが毒となることもあるでしょう
でも一般的に、 水晶とか塩とか砂糖とか蜂蜜とかイカ墨を毒とみなすでしょうか?
【一応パラケルススにも触れておくと】
この方wikiを読むとなかなかぶっ飛ばしてる方みたいなんですが、毒性学の父と呼ばれているそうで
↓以下wikiからのコピペ
「全てのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ」 (ドイツ語: Alle Dinge sind Gift und nichts ist ohne Gift; allein die Dosis macht es, dass ein Ding kein Gift ist.) あるいは「服用量が毒を作る」 (ラテン語: sola dosis facit venenum) という格言は、パラケルススによるものである[28]。
ーコピペ終了ー
またこちらによると、"Poison can be cured by poison"ともいってるとかなんとか
これぞまさに毒をもって毒を制す!
おそらくですが、リーダーズ英和辞典の訳はこのパラケルススのコンセプトに準じた訳なのではないかと推測しました
(パラケルススについて全くの勉強不足をここに宣言します)
【まとめると】
自分でもなんだか揚げ足をとっているような、細かいニュアンスにこだわりまくってるような気もしてきましたが
あまりにもこの「毒をもって毒を制す」という言葉のインパクトに、ホメオパシーがひっぱられているような気がして
ホメオパシーがまっすぐに伝わっていないのではないかと懸念してきました
たしかに広義に解釈して、そういえることがあるかもしれない
でもそれをホメオパシーの核の原理として語るには、意訳しすぎているというか、飛ばしすぎというか
翻訳をするとき、ベタな例えで恐縮ですが"LOVE"という英語の言葉に対して、日本語では
愛、好意、慈悲、敬愛、恋、恋愛、色情、性交、(夫婦恋人間で)あなた…
といろんな言葉が該当して、これらのうちのどれを意味するかというのは、文の前後であったり、話す人同士の関係性であったりで、変わってくるし決まってくるものなんではないかと思います
"Similia Similibus Curantur"には、意訳して毒をもって毒を制すという意味もあるでしょう
でもホメオパシーの話をするときの、 "Similia Similibus Curantur"は
「似たものが似たものを治す」
「類似物をもって類似症は治癒される」
といった表現を用いたほうが、誤解なくホメオパシーを伝えられるのではないかとわたしは思っています
さて、いかがでしょうか?
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