2016/01/15

卒論とホメオパシー

まだまだ全然レメディが作用していると思うのだけど

わたしは日本の大学で森林生態学の研究室で卒論を書かせていただいたのですが
そのできの悪さはさておき

沖縄は亜熱帯気候で植物も動物も種の多様性の宝庫

卒論のテーマは種それぞれの特性が森の遷移に影響するかというもの
種の特性というのは、例えば
種の重さ(軽いほど散布力が高いと想定される)
萌芽率(増殖力の強さ)
幹の密度(密度が高いほど台風への耐性が強いと想定される)
成長速度
などなど

時が経った今うろ覚えですけれども

森の中を歩いていると(自慢できるほどは全然歩いてない)
単純に葉っぱの生え方もいろいろあって
光を吸収して光合成するために
あんな生え方でもこんな生え方でも
見た目一見効率悪そうでも
それでも今を生きていて
今まで種の存続を可能にしてきた葉っぱの生え方

それがほかにも花の色だったり種の形や重さだったり

人間的にいえば成長戦略だったり繁殖戦略だったり
ほんとにいろーんな多様性があって

わたしの卒論はそんな彼らの戦略が実際に森の種の移り変わりに反映されているかというものだったのだけど

今ではすっかり忘れた関数を使いまくり
有意差検定ではなく
当時なかなか先をいっていたと思われる統計のグラフ化するというやり方で
検討していったのだが

特にこれといって種の特性があきらかに反映されているものはみつけられなかった

もちろんもってるデータが足りなかったのかもしれないし
わたしの比較検討の仕方が全然なってなかったような気も十分にするけど

やっぱり森の中だったり、自然の中だったり、道ばたの街路樹をみたって

いろんな特徴をもってそれでその種が今を生きているという事実

感性によって美しい美しくないとか
都合によっていいとか悪いとか
あったりなかったりするでしょう

でもそれ以前に、どんな種もその在り方で今をその場所で生きているということ

なんかそれでいいような気がしたのでした

なんせインドではThujaが街路樹として使われまくりなのでね

なんのこっちゃな話かもしれません
理系気取りからいきなりみつを気取りに見えても致し方ありません

なんかなんとなくわたしは腑に落ちたのでした



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