ドクターはわたしが通う大学の学生さんたちを無料で診ていて
やっぱり学生たちも結構深刻な疾患だったり、自分の親だったりは、大学の先生ではなくてドクターに診てもらいたがる
特に学校の先生に処方してもらったけど、改善しなかったケース
ドクターの診療所はopenで、だれでもきて診察を見学できる
だれか新しい人が現れては、いなくなり
最近同級生の女の子が、慢性のニキビを診てもらいたいとドクターの診療所にきた
学生は無料だけど、患者さんが少なくなるまで自分の番を待たないといけない
彼女もホメオパシーを学ぶ学生なので、自分の診察までの待っている時間にドクターの診察を見学してたら?とわたしはいってみたけど
彼女はただ黙々と待っていた
患者さんとしてきた人は、患者さんにしかなれないのかもなぁと
今までの自分を重ねて思った
それがいい悪いではなくて
自分の一つの変化
ドクターの患者さんから学生になった今
やっと学ぶ準備ができたのかも
仕事をするということは、きっと少なからず人と向き合うということなのかもしれない
八百屋さんは野菜がほしい人と接し
車屋さんは車がほしい人と接する
震災のとき、保険会社で働く友人は「人の不幸が起こって初めて仕事になる仕事」といっていたように思う
ホメオパシー医は、ホメオパシーで健康状態を改善したい人と向き合う
心身ともに健康な人は、当然だけど診療所にはこない
毎日毎日向き合うはどこかしらを病める人
ドクターが診る患者さんを通して、今、自分ではできない経験をさせてもらっている
ガンの痛みを泣きながら訴える人
救急車で運ばれてきて、震えっぱなしで意識朦朧とする人
今までどうにも止まらなかったガン患部からの出血が止まって、ドクターに感謝の祈りを捧げる人
西洋医学の病院で一ヶ月以内に死ぬだろうと言われた子供が一ヶ月を超えて生きていて、症状がどんどん改善していることに、涙を流して喜ぶ両親
まさかこんなに良くなるとは思わなかったと語る笑顔のガンの患者さんたち
ドクターが使うレメディの数はほんとに多い
わたしなんか毎日新しいレメディに出会うくらい
力をつければつけるほど、できることが増える
毎日パワーアップするドクターの処方
比例するように出る患者さんたちのいい治療結果
自分の全てを捧げる
という言葉が決して過言ではないその生き方
学校や教室というところに通うようになってから、たくさんの先生と呼ばれる人たちに出会ってきた
すてきなところをみなさんお持ちだった
だけどここまでこの世界で
生き様から学ばせてくれる人、初めて心から師と仰げる人に出会えたことはなかったよ
日々人の命に向き合い、自分の実力に向かい合い
決して折れることなく、体調の悪いときまでも患者さんに向き合おうとする姿
ヒンドゥー教のスワミのお話
「昔、あるマハラジャのところに仕えていた執事がいた
彼は本当に良く身を粉にして、自分の全てを捧げてそのマハラジャに仕えた
そんな彼にも死期がせまってきた
マハラジャは彼のこれまでの功績を讃えて、彼に聞いた
『最後の望みはなんだ?わたしが願いをなんでも叶えよう』
『ではわたしの寿命を延ばしてください』
『すまないが、それはさすがのわたしでもできない。。。』
その執事はそこで、なんて今まで自分は価値のないもののために尽くしてきたのだろうと思った」
わたしは今、ドクターに身を捧げているわけではなく
そしてこれからホメオパシーに身を捧げていこうと思っているのではなくて
ホメオパシーを通して身を捧げていきたいのです
ホメオパシーという奇跡と呼ばれるような結果をもたらしうる医学に出会えたこと
ドクターというわたしにとって最高の師匠に出会えたこと
いいことばかりじゃないだろう
苦しいことがいっぱいあるだろう
それでもこの与えられた役割を命いっぱい全うしたいな
乗り越えられるだけの力も同時に授かっていると信じて
生きていくためにお金は少なからず必要で
でもお金じゃ買えないものが、ほんとにあるんだってこと
健康、尊敬、愛、心が満たされること
コテコテな言葉を書き連ねているようだけど
ここインドで、痩せた身体に布一枚を身にまとう物質的に恵まれない人から
アクセサリーは全部ダイヤモンドの非常にふくよかな身体のお金持ち
みんなドクターの診療所にきて、自分の症状を訴えていく
最近ひさしぶりにピアスを買ったけど
買ったとき、友達にほめてもらったときはうれしかったけど
やっぱりその喜びはほんの束の間で
どんなにおいしものを食べてもまたいつか必ずお腹が空いて
どんなに気に入ったクルタを買っても着ているうちにほかのものが欲しくなり
お金持ちもそうでない人も病を患う
お金があれば費用のかかる治療を受けることができるけど、だからって健康が取り戻るとも限らない
命はお金じゃ買えない
生活する上でお金はもちろん大事だけど、でも全然全てじゃないなぁって
そんなことを思ったり
あー!ドクターの田舎の診療所に学びに行かない日曜日の退屈さ!
力をつけたい
もっともっと
たしなむということは、古語の語源をたどると苦しむことを意味するとか(おやじ談)
これからわたしが正しい努力を続けていけますように
やっぱり学生たちも結構深刻な疾患だったり、自分の親だったりは、大学の先生ではなくてドクターに診てもらいたがる
特に学校の先生に処方してもらったけど、改善しなかったケース
ドクターの診療所はopenで、だれでもきて診察を見学できる
だれか新しい人が現れては、いなくなり
最近同級生の女の子が、慢性のニキビを診てもらいたいとドクターの診療所にきた
学生は無料だけど、患者さんが少なくなるまで自分の番を待たないといけない
彼女もホメオパシーを学ぶ学生なので、自分の診察までの待っている時間にドクターの診察を見学してたら?とわたしはいってみたけど
彼女はただ黙々と待っていた
患者さんとしてきた人は、患者さんにしかなれないのかもなぁと
今までの自分を重ねて思った
それがいい悪いではなくて
自分の一つの変化
ドクターの患者さんから学生になった今
やっと学ぶ準備ができたのかも
仕事をするということは、きっと少なからず人と向き合うということなのかもしれない
八百屋さんは野菜がほしい人と接し
車屋さんは車がほしい人と接する
震災のとき、保険会社で働く友人は「人の不幸が起こって初めて仕事になる仕事」といっていたように思う
ホメオパシー医は、ホメオパシーで健康状態を改善したい人と向き合う
心身ともに健康な人は、当然だけど診療所にはこない
毎日毎日向き合うはどこかしらを病める人
ドクターが診る患者さんを通して、今、自分ではできない経験をさせてもらっている
ガンの痛みを泣きながら訴える人
救急車で運ばれてきて、震えっぱなしで意識朦朧とする人
今までどうにも止まらなかったガン患部からの出血が止まって、ドクターに感謝の祈りを捧げる人
西洋医学の病院で一ヶ月以内に死ぬだろうと言われた子供が一ヶ月を超えて生きていて、症状がどんどん改善していることに、涙を流して喜ぶ両親
まさかこんなに良くなるとは思わなかったと語る笑顔のガンの患者さんたち
ドクターが使うレメディの数はほんとに多い
わたしなんか毎日新しいレメディに出会うくらい
力をつければつけるほど、できることが増える
毎日パワーアップするドクターの処方
比例するように出る患者さんたちのいい治療結果
自分の全てを捧げる
という言葉が決して過言ではないその生き方
学校や教室というところに通うようになってから、たくさんの先生と呼ばれる人たちに出会ってきた
すてきなところをみなさんお持ちだった
だけどここまでこの世界で
生き様から学ばせてくれる人、初めて心から師と仰げる人に出会えたことはなかったよ
日々人の命に向き合い、自分の実力に向かい合い
決して折れることなく、体調の悪いときまでも患者さんに向き合おうとする姿
ヒンドゥー教のスワミのお話
「昔、あるマハラジャのところに仕えていた執事がいた
彼は本当に良く身を粉にして、自分の全てを捧げてそのマハラジャに仕えた
そんな彼にも死期がせまってきた
マハラジャは彼のこれまでの功績を讃えて、彼に聞いた
『最後の望みはなんだ?わたしが願いをなんでも叶えよう』
『ではわたしの寿命を延ばしてください』
『すまないが、それはさすがのわたしでもできない。。。』
その執事はそこで、なんて今まで自分は価値のないもののために尽くしてきたのだろうと思った」
わたしは今、ドクターに身を捧げているわけではなく
そしてこれからホメオパシーに身を捧げていこうと思っているのではなくて
ホメオパシーを通して身を捧げていきたいのです
ホメオパシーという奇跡と呼ばれるような結果をもたらしうる医学に出会えたこと
ドクターというわたしにとって最高の師匠に出会えたこと
いいことばかりじゃないだろう
苦しいことがいっぱいあるだろう
それでもこの与えられた役割を命いっぱい全うしたいな
乗り越えられるだけの力も同時に授かっていると信じて
生きていくためにお金は少なからず必要で
でもお金じゃ買えないものが、ほんとにあるんだってこと
健康、尊敬、愛、心が満たされること
コテコテな言葉を書き連ねているようだけど
ここインドで、痩せた身体に布一枚を身にまとう物質的に恵まれない人から
アクセサリーは全部ダイヤモンドの非常にふくよかな身体のお金持ち
みんなドクターの診療所にきて、自分の症状を訴えていく
最近ひさしぶりにピアスを買ったけど
買ったとき、友達にほめてもらったときはうれしかったけど
やっぱりその喜びはほんの束の間で
どんなにおいしものを食べてもまたいつか必ずお腹が空いて
どんなに気に入ったクルタを買っても着ているうちにほかのものが欲しくなり
お金持ちもそうでない人も病を患う
お金があれば費用のかかる治療を受けることができるけど、だからって健康が取り戻るとも限らない
命はお金じゃ買えない
生活する上でお金はもちろん大事だけど、でも全然全てじゃないなぁって
そんなことを思ったり
あー!ドクターの田舎の診療所に学びに行かない日曜日の退屈さ!
力をつけたい
もっともっと
たしなむということは、古語の語源をたどると苦しむことを意味するとか(おやじ談)
これからわたしが正しい努力を続けていけますように