2016/12/13

ホメオパシーって「毒をもって毒を制す」?

「ホメオパシー!」
というと合言葉のように
「毒をもって毒を制す!」
と返ってくるような気がする日本ですが、
インドでホメオパシー教育を受けているわたしは、これを聞くといつもどうもモヤモヤしてしまうのです。。。

【前提として、インドのホメオパシー教育】
・Organon of Medicineは第5版と第6版が両方記載された英語のものを勉強する
・なぜかというと第5版はハーネマン医師が生きている間に出版された最後のバージョンで、他の人に加筆修正されている疑いがないのに対し、第6版はハーネマン医師の死後78年経過してから出版されているものなので、ハーネマン医師が一人で書き上げたままなのかはたまた誰かに加筆修正されてしまっているのか神のみぞ知る状態だから
・英語なので、原典であるドイツ語の'Organon der Heilkunst'の翻訳本である
・第5版の翻訳者はR. E. Dudgeon
・第6版の翻訳者はWilliam Boericke

よってわたしの知識は英語に翻訳されたOrganon of Medicineの第5版と第6版の合同バージョンによるところであります


【「毒をもって毒を制す」の元となった言葉】
それは"Similia Similibus Curantur"(ラテン語)
英語訳は"Like Cures Like" or "Like is cured by like"

これこそがホメオパシー医学の名前の由来(Homoeos=similar + pathos=suffering)になった、そして最も核となる原則でしょう

しかしこの原則自体は、ハーネマン医師が発見したものではありません
ではだれが!?
医学の父と称されるヒポクラテスさんの登場!
彼の著書"Natura Morborum Medicatex"の中に、この原則が言及されています

しかし厳密には第一発見者はヒポクラテスさんではなく、アーユルヴェーダの本だとかヒンドゥーの本だとかなんとか
今日は歴史の会ではないので、ここは掘り下げずにおきますが

ヒポクラテス医師は、病気を治療するにあたっての原則として
"Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like / Like is cured by like)と
"Contraria Contrariis Curantur" (Opposite Cures Opposite / Opposite is cured by opposite)の2つをあげました

ヒポクラテス医師もこれらの原則に基づいて臨床を行っていたそうですが
このうち "Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like)のみを基礎として臨床を始めたのがハーネマン医師です

"Similia Similibus Curantur" (Like Cures Like)に戻りましょう


【これをリーダーズ英和辞典でひいてみると】
毒をもって毒を制する

なんと辞典に明記されちゃってる!(冷汗)


【これを医学英和大辞典(南山堂)でひいてみると】
 ”類似物をもって類似症は治癒される”というヒポクラテスの格言で、パラセルサスParacelsusも"同類は同類を癒す"と宣言したが、後年Hahnemannはこの信念に基づいて同毒療法または類似療法の一医療派を創立した

とのこと(ほっ)


【辞典はいったんおいといて、直訳してみよう】
"Similia Similibus Curantur"
わたしもラテン語はよくわかりませんが、ここは英語の
"Like Cures Like"に着目して、素直に日本語に訳してみると「似たものが似たものを治す」
"Like is cured by like"だと直訳は「似たものは似たものによって治癒される」
これをカッコよくフォーマルにいえば、医学英和大辞典(南山堂)のように「類似物をもって類似症は治癒される」ということになるのでしょう

素直に訳したら、どこにも”毒”という言葉はないのです


【そもそもホメオパシーのレメディは毒なのか?】
「毒をもって毒を制す」というホメオパシーの説明を聞いて、なぜわたしがモヤモヤするのかというと、「ホメオパシーのレメディは毒である」と思っていないからです

たしかに毒物を素として作られているものもあります
有名なところで、
Lachesis:クサリヘビ科に属する毒ヘビの一属であるヘビ毒を素として作られている
Nux vomica:マチンという数種のアルカロイド、特にストリキチーネ・ブルシンという毒を含む植物の種を素として作られている
などなど

では、例えば!
Lachesisという毒ヘビに咬まれて症状が出た場合、Lachesisというヘビ毒を素として作られたレメディを処方し、効果を得られたとします
これは確かに毒をもって毒を制す的な治療法のように思えます

でもここでもう少し踏み込んで考えてみたいのは、
1. Lachesisというレメディは一般的に毒と言えるのか?
2. 今回はLachesisの毒の悪影響にLachesisの毒を素として作られたレメディが効いたけど、毎回そうなのか?
3. ホメオパシーはいつもいつも「毒をもって毒を制す」なのか?

1. Lachesisというレメディは一般的に毒と言えるのか?
忘れてはいけないのが、ホメオパシーのレメディを作る過程での希釈震とうというプロセスです
これによって、レメディにはその素となった物質が分子レベルで含まれていないくらいに希釈されるのです(12C以上)
そんなものが効くのか?ということについては、これまでの歴史や身近な人やご自身の経験にお任せするとして
ホメオパシーのレメディがいつも毒であるとは、わたしは言えないと思っています
なぜなら、レメディを飲む人にそのレメディに対する感受性がない場合、なんの変化も起こらないからです
しかし、それは飲む量、飲むタイミング、飲む期間によって、もちろん毒にもなりえます
(あらゆる薬と称されるもの、健康食品などにしかり)
特にLachesisのように毒物からできているレメディはその効力が強いので、適当にポイポイ飲むのは全くおすすめしません
なんの変化も起こらないというのは、かなりいろんな条件の上で言えることです
しかし、逆に、例えば植物からできているレメディで、ポーテンシーがそれほど高くなくて、反復回数も少なかった場合、そしてレメディを飲む人にそれレメディへの感受性が全くなかった場合には、なんの反応も得られないでしょう
俗に言われる、レメディ外した状態です
そんなレメディは毒と言えるのでしょうか?


2. 今回はLachesisの毒の悪影響にLachesisの毒を基として作られたレメディが効いたけど、毎回そうなのか?
ホメオパシーのレメディ選択は、患者さんのもつ兆候と症状に基づいて行われます
「毒をもって毒を制す」的に、病を患っている状態がなにかの毒性物質によって引き起こされている場合、その毒性物質からできているレメディを処方することも多々あります
(Radium brom. X ray. Tabacumなどなど)
でも、”いつも”ではない
蚊に刺されによるひどい腫れが、Apisというミツバチからできているレメディによって治ることもあれば、Caladiumというサトイモ科の植物からできているレメディによって治ることもある
同様にLachesisのヘビ毒による影響でも、必ずしもその患者さんの症状がLachesisというレメディによってよくなるわけではないのです
(ここがホメオパスの腕の見せ所でもあるわけなのですが)

3. ホメオパシーはいつもいつも「毒をもって毒を制す」なのか?
レメディはかなりいろんなものからできていて、前述したように毒物であったり、植物であったり、鉱物であったり、細菌やカビなんかからもできていたりします
身近なもので、水晶とか塩とか砂糖とか蜂蜜とかイカ墨とか。。。
アーユルヴェーダでは、「水さえも薬になる」と言うそうで、たしかにそれぞれ使い方によっては原物質のままでもなんらかの影響を身体に与えるでしょう
たしかにそれが毒となることもあるでしょう
でも一般的に、 水晶とか塩とか砂糖とか蜂蜜とかイカ墨を毒とみなすでしょうか?


【一応パラケルススにも触れておくと】
この方wikiを読むとなかなかぶっ飛ばしてる方みたいなんですが、毒性学の父と呼ばれているそうで

↓以下wikiからのコピペ
「全てのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ」 (ドイツ語: Alle Dinge sind Gift und nichts ist ohne Gift; allein die Dosis macht es, dass ein Ding kein Gift ist.) あるいは「服用量が毒を作る」 (ラテン語: sola dosis facit venenum) という格言は、パラケルススによるものである[28]
ーコピペ終了ー

またこちらによると、"Poison can be cured by poison"ともいってるとかなんとか
これぞまさに毒をもって毒を制す!

おそらくですが、リーダーズ英和辞典の訳はこのパラケルススのコンセプトに準じた訳なのではないかと推測しました
(パラケルススについて全くの勉強不足をここに宣言します)


【まとめると】
自分でもなんだか揚げ足をとっているような、細かいニュアンスにこだわりまくってるような気もしてきましたが
あまりにもこの「毒をもって毒を制す」という言葉のインパクトに、ホメオパシーがひっぱられているような気がして
ホメオパシーがまっすぐに伝わっていないのではないかと懸念してきました

たしかに広義に解釈して、そういえることがあるかもしれない

でもそれをホメオパシーの核の原理として語るには、意訳しすぎているというか、飛ばしすぎというか

翻訳をするとき、ベタな例えで恐縮ですが"LOVE"という英語の言葉に対して、日本語では
愛、好意、慈悲、敬愛、恋、恋愛、色情、性交、(夫婦恋人間で)あなた…
といろんな言葉が該当して、これらのうちのどれを意味するかというのは、文の前後であったり、話す人同士の関係性であったりで、変わってくるし決まってくるものなんではないかと思います


"Similia Similibus Curantur"には、意訳して毒をもって毒を制すという意味もあるでしょう




でもホメオパシーの話をするときの、 "Similia Similibus Curantur"は

「似たものが似たものを治す」
「類似物をもって類似症は治癒される」

といった表現を用いたほうが、誤解なくホメオパシーを伝えられるのではないかとわたしは思っています

さて、いかがでしょうか?

2016/11/23

I made up my mind

インドに戻ってきて最初3日間くらいは、未だに呆然としてしまうというか
こんなところで生活してたんだっけ?
カルチャーショックというか、カルカッタショック
落ち込む、どん底まで

というのを毎回日本から戻るたびに繰り返している

インドでの生活に慣れてしまえば、まぁそれがふつうになるんだけど
そこにもっていくまでに、やはり、どうしても、時間がかかる

インドではなにかをしようとすると、日本の10倍くらいエネルギーを使って
100倍くらい時間がかかることが多い(逆に1/100で済むなぞの勢いのときもある)
そのなにかっていうのは、買い物とか外食っていう日常のことから始まり、学校での事務手続きやなんかも例にもれず

そして事件はなぜかわたしの身に起こったのである

試験のあとマークシートといって、得点表?成績表?が発行される
得点が基準を超えていれば、合格
超えていない科目は、追試
通常は試験の結果が出るまで(マークシートが発行されるまで)1.5ヶ月〜2ヶ月かかる

今回わたしの名前で、なぜかマークシートが2枚発行されたというハプニング発生
そしてそれはわたしの手元に渡ることなく、回収されたらしい

それが発覚したのが、ちょうどインドの盆と正月を合わせたような時期PUJAのタイミングで(インド中の業務はだいたいお休み、みんなVacation)
このpuja vacationが終わってからしか、 新しいマークシートは発行されないとのこと

でも
2枚のマークシート、1枚はあきらかめちゃめちゃ変な結果で、正しい結果を示してるのがどっちなのかは、一目瞭然だったので
ただ新しいのを再発行するだけ
そんな大仕事じゃないだろう
と、わたしは事態を甘めにみていた
(ここで書いてみても、やっぱり全然大問題じゃなさそうw)

てな具合で、気楽に日本に帰り、大充実の約1ヶ月を過ごし

戻ってきたコルカタでは
未だ新しいマークシート発行されず
事務のおじさんは逃亡
もう一人の事務のおじさんは電話で、逃亡おじさんにキレちらかし
(何度も同じことを言わせてわたしの電話代をムダにしないでくれと←個人的)
「〜日後に発行されるから」と言われて、その日に行く度に、また新たな日付を告げられ
試験の結果が変わるかもしれないという噂が流れ
(個人的には、外科の不合格がなにかの間違いではないかという淡い期待を抱き)
そうこうしている間に追試の申し込みが始まり
事務所にいってもだれもいなかったり
予定の日にちはどんどん伸びて
いつの間にか追試の申し込み締め切りが終わり
とうとうマークシートを発行しているuniversityに直談判しては、追い返され
担当の先生に会いにいっては面会拒絶宣言をくらい
やっぱり外科不合格は間違いではないらしいということが判明し
もう一度直談判にいっては、「なんて問題の多い大学!」とうんざりされ
会う人会う人に同じことを何度も説明しては、適当なアドバイスや独自の見解をいただき
ついには同じマークシート問題を抱えた同級生のお父さんも登場して
ついでに高額ルピー札の切り替えというインドの歴史に残る一大事もはさみ
ちゃっかり銀行の大行列に並ぶのにも参加して
いよいよ追試の日程も決定
ここにきて、なぞの出席率問題が急浮上
いい加減universityでは顔も覚えられ、なぜか担当の先生には名前すら知らておらず
今日は先生を授業終わりに待ち伏せして

。。。。

未だ問題解決してまへん!

かれこれ3ヶ月経過!

おそるべし、インド

同級生のインド人もインドにうんざりしてます


そんな毎日で、キレることにも疲れ
なんなら疲れることにも疲れ

わたしは気付いたのであった

インドに修行しにきてるのであると

これ乗り越えたら、わたし結構最強レベルのタフネスになっちゃうけど!


これまでも振り返れば割と絶え間なくインドにもてあそばれてきました

これまではどうしても自分はインドに連れてこられた感があって
どこかでなにかかだれかを責めてしまう気持ちがあって

でも、やっぱり、よくよくよく考えたら
インドにくることは、わたしが、決めたのでした

だから誰のせいにもできない
(もうちょっと深くみたら、すべては自分のカルマ的なやつなんですけど)

made up my mind

受け入れるしかない

これまでの人生で、これまた苦手としてきたやつ
”人やなにかに合わせる”
ということ

インドにきてからぶっとばされ続けて、失いがちだった
自分への信頼や自信

なにより
しあわせに過ごす
ということを大事に過ごしたい
と思って日本から飛び立ったのに、このマークシート騒動でこれまたおもいっきるぶっ飛び
インドでは基本生きるか死ぬかモードになってしまうので
だけどそんなときこそもしかしたら
しあわせモードが必要なのかもしれないと
また思い直したりして

インドであんまり笑ってないなぁとか
生きることをたのしむって概念とかも吹っ飛んでるなぁとか

修行は修行なんだけど
しあわせに生きることの修行
なんではないかと

ようやく受け入れることのスタートラインに立ったのでした!
(そういいつつ、また明日早速インド人にキレてる可能性大)

なかなかね、インドでの成長を感じられなくて
(ホメオパシーに関してだけは、毎日良くなってる感がある)(最初のレベルが低すぎるというかゼロだったので)
特に、人間としての、とか、魂の、とか

地味な努力を積み重ねるという
これまた苦手なやつを

わたしの人生は、わたしにかかっているのである

わたしは、わたしのために、努力したい


2016/09/22

外科不合格のまき

できないから、やらないじゃなくて
できないから、やる

なんで、こんなに苦手なことばっかり降りかかってくるんだろうと
思って

苦手なことだからなんだなぁと気付く

とはいえ、苦手なことを乗り越えるってほんとエネルギーいります

あー強くなろう

強くしてもらってます

今回は自信のあった試験が1教科追試になって、少しガクッとして
これまでの2年間は追試になっても、追試になる覚悟満点だったので、むしろ通った科目があることに喜んでいたけど
今回この悔しさ
そう甘くないというか
わたしもっといけるというか

褒められるよりも、悔しさでのびるタイプ、わたし!

あーでも落ち込む


修行!修行!

2016/09/03

深さ 深み

インドにきてたったひとつのことを学んできたように思う
これを理解するのに、わたしはとてもとても時間を要した

それは”深さ”ということなのだと思う

素早くその場所にたどり着きたい
なんとかラクして成し遂げたい
簡単にする方法はないものか

早く、ラクして、簡単に

このコンセプトを適用していいこともあるだろう

でもしてはいけない
というかしようがないことがあるということ

それがわたしにとっては、
ホメオパシーを学ぶということであり
自分が進化するということであり
生きるということそのものなのかもしれない

ホメオパシーを学ぶということに「早く、ラクして、簡単に」というコンセプトを適用させようとする人をみると、どうしてもイライラしてしまう自分がいて
でも自分だって、そうできないことを学ぶまでに4年近くかかったのではないか
イライラするとは、まだ自分が学んでいる途中なんだと今気付いたり
深さが腑に落ちてないから、こんなに焦ったり、うまくいかないことにイライラしたりするんだな

もとい
学ぶと一言でいっても
言葉やコンセプトとしてそれを知ること
その知識を心が受け入れること、または実際に体感すること
そしてそれを実践に移すこと
と段階があるのだということ

学ぶことにも’深さ’の程度があるらしい

お金を払えば、知識は買える
ホメオパシーを学ぶのにお金がかかるという人がいたけど
それは学ぶことのまず最初の段階の「知識を得る」というところで
それを自分に落とし込んでいくという次の段階に進んでいくには、苦痛をともない、時間もかかるし、とにかく努力と忍耐が必要で
落とし込んだあとも、それを維持するのにまたさらなる努力が必要で
お金をかければかけるほど、ホメオパシーを学べるかというと、そうではないとわたしは思う
(本を買ったりするのにある程度のお金は必要だけど)
(お金がよりかかるセミナーに出たり学校にいくより、すでに持っているマスターたちの本を読むことで学ぶことがあるときもある)

「無知の知」がこれ程までに尊ばれているということ

実践することにも尻込みしそうになりつつ、実践しなければ深くなってはいけないんだと持ち直し

深みの探求を続けていきましょう

知識を自分に落とし込んでいくという作業は、ほかのだれにしてもらうこともできない
自分だけができる作業

ホメオパシーのケース同様に、ひとつとして同じもののない人生は
手探り、暗中模索、試行錯誤の連続で

地味な努力を積み重ねていくこと

それでも前を歩く師がいて、先輩がいてくれること

恐怖に打ち勝つ方法は、恐怖を引き起こしているものにまっすぐ向き合うことだと

こわくない
ポジティブな想念で世界をかきまわしてく

わたしの人生
わたし
どこまで深くいけるかな


2016/06/14

ハングリー精神

FBになにかを投稿すると、身にあまるコメントをいただくことがしばしば

「輝いてるね!」
「充実してる!」
「たのしそう!」

実際のわたしのインドの日常は
シャンプーなんて日本にいたら考えられないギャップでしかしてないから、髪の毛は文字通り油で輝いていることのほうが多いし
外出は、部屋着よりもさらにゆったり感の高いインド着を着てでかけ
試験前の今なんか、勉強して食べて寝て勉強して食べて寝て
日本人の友達から電話がかかってこなければ、1日言葉を発したかどうかもわかんないくらいの充実っぷりであります

大きな夢と理想をもって
特に深く考えずに、貯金も持たず
勢いでインドに乗り込んだわけですが

インドにくれば人生が変わるとか

そんな劇的な体験記とは程遠くて

たしかにわたしの人生は、ここで今までのものから大きく変わっていると思う
日本でのこれまでの人生だって、辛いこと苦しいことはあったけど
今はそれが鼻くそに思えるくらいのインドのタフさで
人からみたら自分がどう変わっているのか、はたまた変わっていないのかそれはわからないけど
わたしにとってのわたしの人生のあり方はここで変わった
でもそれは毎日毎日のほんとーに地味な積み重ねによる変化なように思う

英語圏に住んだからって英語がしゃべれるようになるわけじゃない
世界一ホメオパシーのレベルが高い場所でホメオパシーを勉強したからって、世界一のホメオパシーを実践できるようになるわけじゃない

英語を話すためには、どこにいようが英語を話すための努力をしなきゃいけないし
世界一のホメオパシーを実践するためには、世界一の努力を生涯し続けないといけない

環境からの影響はもちろん大きいのだろうけど
でもやっぱり自分の努力があってはじめて環境の力が生きてくるのだと実感してる

ここまでの4年間
インドでないものをうめることに必死だったような気がする
満たされないものを、なんとか低いクオリティのものでもいいからかき集めて、うめようとしてきた

アメリカ在住bffにいわせれば
「女花盛りをインドに費やすってすごいよねw」

わたしの24〜30歳の6年間

そのシチュエーションに焦ったか、20代後半女の呪いにもまんまとかかってました

ここにきて
日本よりもっと遠い先進国とは決してよばれることのないだろう国からはるばるインドにやってきた子たちの姿をみてて

彼らはインドのことを汚いとか、決してこの環境に満足しているのではないのだけど
自分のこれからの人生で成功するために
家族や恋人をはるか彼方の大陸において
飛行機代も高いから3年は帰国せずに
インド人たちからガン見されながらも
ここで3年間をサクリファイスすることに腹をくくったそうな
(3年後自分の国に戻ったときに彼女がだれかと結婚して妊娠してることまで覚悟してきたらしい) 

1人の子はキング牧師ばりに力強くわたしにいった
「今この目標のためにこれをしてるんだ、これはこの目的があってこうしているんだ、ってことをいつもクリアに意識してやるんだよ」


わたしはインドでなんとか日本と同じように満たされようと必死こいてきたのだけど

彼らは同じその満たされなさを、未来をより良いものにするための努力にまっすぐ変えているようにみえた

満たされないことー食べ物、生活環境、街の汚さ、あそびの少なさ、人間関係、さびしさ
全部の満たされなさを適当にごまかさずに、今の自分のバネにする

足りてないからできない、やらないんじゃなくて
足りてないからこそ今がんばる
未来の成功のために

これをハングリー精神と呼ぶのではないのかと

わたしにはそんなものちっともなかったなぁって

望めば満たされることが当たり前の環境で生きてた日本での日々

満たされない環境というものを受け入れることができずに、きっとここまできてたんだと思う

満たされないものは満たされないで、もうしょうがない

チープさで満たすより

今我慢して、いろんなものやことを犠牲にしてでも、いつか本物で満たされたい

(といっても今も十分恵まれていると思う瞬間もある)



インド4年目にしてハングリー精神

まだまだいける

わたしはわたしの人生を投げ出すわけにはいかない
というかわたしがわたしの人生をfullyに生きなくてだれが生きてくれるのだろう

負けない

負けず嫌いが闘う相手は自分


"Heaven helps those who help themselves"




2016/05/19

Honesty

ずっと心にステイしてる人がいて
だけどなかなかその人がどうしてステイしてるのか、自分がそこに対してどんな感情を抱くのか
向き合えずにきてました   

後悔だったり自責の念だったり
がちらちら浮かんではかき消して

泣きたい気もするけど泣けず

毎年恒例の
夏の暑さプラスホームシックかける試験のプレッシャー→無限大にツライ
時期にいて

あの手この手を尽くし、乗り越えようと励んでいる中で

ふと、
あの人は本当に人生を生きていたなぁ
と思った

ツライ、苦しい
に逃げずに力の限り、リテラリー命の限り向き合っていたなぁと

その苦しみの原因は自分で生み出したものなのかもしれない
でもなのかだからこそなのか
まっすぐに立ち向かっていたように思う


その人の人生に関わらせてもらったこと


教えてもらったことがたくさんあった
学ぶことがたくさんあった
まだまだそんな風に片付けられないし、片付けたくないんだけど


生きること、死ぬこと
人生を生き抜いた姿が今わたしの記憶にやきついているのだと気が付いた


ホメオパシー医師は人と向き合う仕事であり、それは命と向き合う仕事である

治る病もあれば、治らない病もある

どんなに優れた医学であっても、死者を蘇らせることはできないし、人間の寿命を無限に伸ばすことはできない


知識、経験、センス、体力、気力
磨かないといけないものがいっぱいあるなぁ


簡単なたのしいだけの道であるはずがない


インドで暮らしてみたい
と生まれてからこのかた実は一度も思ったことはなくて

できることなら青くて透明度の高い海の近くとか、ボリウッドとは違うノリノリ音楽がかかって踊れるところとか、短パンはいてでかけられるところがすきなのに

インドにきて
もがいている意味


負けず嫌いなんだけど、それは相手がいないと成り立たないことに気付き
だからここまでいまいち試験勉強がんばってこれなかったんじゃないかと思った


インドにきてから
ほぼ毎日自分が良くなっていく必要があることを感じている


まだまだもがきます

何者かになりたいとか
自分が何者なのかとか
それよりも今はとにかく今を生きようと思う

2016/04/24

インド染め

いつの間にか自分の価値観がすごくインドになっていたなと

当初インドにきたときはすごく日本だったのに

環境のもつ影響力(または感受性の高さ)

自分の脚で立っているようで
環境をはじめ、いろんなものからいろんな角度からぐいぐい押されてる

なにが正しいかというのは、自分のなかにあるようでないような
ないようであるような
一方なにがすきか、なにをいいと思うかはわりと明瞭
それを価値観と呼ぶのであれば

自分の価値観を信じつつ、
でもいろんななんらかのものに影響されていることをなるべく忘れないようにしたいな

その人の価値観も
その人でありつつ、その人でない
のかもしれないなと思ったり
またその人の強さになりうるのかも
と思ったり

知ること
学ぶこと
選ぶこと
改めること
認めること
分かち合うこと
愛すること

いつもわたしにしなやかさがありますように



ココナッツジュースを爆飲みしてるからか
インドごはんを規則的に食べているからか
4年目となればいい加減身体が慣れたのか
今年はストライキがないからなのか
はたまためちゃめちゃ寒がり体質になったのか(Hep-sul, Silicea, Psorinum)2016年summerはまだまだいけそう!


ホメオパシーって職人技なんじゃないかと思う師匠のまぶしい働きっぷりをみて

一流への道とは
きっとポテンシャルが必要
健康な心身に加え、不屈の精神とその道への情熱も必要
さらに恵まれた環境、優れた師匠、周囲の人の支え、時代の需要なんかも必要
たゆまぬ努力と謙虚さもいるはず
とうすうす気付いてしまったけれど


今はとにかく
地道に地味な努力を愛してゆこう

何流であれ、何者であれ、今のわたしには
患者さんとその家族の笑顔が答だなぁとじんとしながら、おやすみなさい



2016/04/18

ホメオパシーって?

それぞれ過去のblogにとびます

○ホメオパスと連絡がつかない緊急事態のケガの対応
SOS!緊急時のケガにホメオパシー

○よく聞かれることへのお返事 
ホメオパシーとインナーチャイルド
ホメオパシー的悪化(日本で好転反応と呼ばれるもの)について
「レメディが効いてる気がしない」わけ 

○ホメオパシーを理解していただくために
ホメオパシーQ&A
【目次】
  1. ホメオパシーの薬ってどんなもの?飲み方は? (種類、服用の仕方、ほかの医学の薬との違い)
  2. レメディってなに?
  3. 診察はどんなことをするの?
  4. 診療費はいくらが相場? 
  5. 信じていないと治らない?
  6. ホメオパシーでなにが治せるの?
  7. 自分のレメディを調べてみたらいろんなことが書いてあったんだけど… 
わたし自身がホメオパシーによって助けられた話(↑今読むと恥ずかしいやつ)

○インドのホメオパシー情報
普段インドのホメオパシー医はこんな症例をみています



2016/04/16

SOS! 緊急時のケガにホメオパシー

緊急時のケガやトラウマに対応できるようなレメディを紹介してみます

先にはっきり宣言しますが、ホメオパシーに関してインド育ちのわたしは、基本セルフケアをおすすめしていません
なぜなら、ホメオパシーってそんなに簡単なものではないと思っているからです
抗がん剤の治療を、医学を学んでいない人がセルフケアではやらないはず
セルフケアキットに入っているレメディにの中には、ガンを寛解に導く可能性を持つものだってある
それだけのポテンシャルを持っているものを、なんとなくで摂取するとどうなるか。。。
ホメオパシーの父ハーネマン医師は、薬によって引き起こされた病は最も治すのが難しいといっています(Organon of medicine §74-75)
この薬とは西洋医学の薬だけでなくホメオパシーの薬(レメディ)も含まれているのです

でもそんなこといったって、緊急事態にホメオパスと連絡がとれないことがあるだろうし
日本ではホメオパシー対する謎のイメージのために、なかなかホメオパスに連絡してみようという気持ちになれないようで
そんなせいでせっかく手元にあるレメディの効果を感じるチャンスを、棒に振ってしまうのは何よりもモッタイナイ!

なので、緊急時にケガ(命に別状のない程度のもの)に使えるようなレメディを紹介します

(以下レメディの紹介ですが、わかりやすいように具体的なケガの様子を示す画像もはっています。もし苦手な方がいたらすみません!)

◆一レメディリスト一

1. Arnica motana
2. Calendula
3. Hypericum
4. Staphysagria
5. Heper sulphuris
6. Myristica sebifera
7. Ruta
8. Cantharis (Cantharides)
9. Star of bethlehem(バッチフラワーレメディ)


◆──Repertory──◆


(レメディ名の前についている数字は下記のMateria Medicaでの番号)

○筋肉のケガ → 1.Arnica, 2.Calendura, 3.Hypericum

 内出血している → 1.Arnica
外出血している → 2.Calendura, 3.Hypericum, 1.Arnica, 4. Staphysagria

  打撲による痛みが強い場合はまず1.Arnica

   その後、裂傷部位がまぁまぁ痛い → 2.Calendura
   その後、裂傷部位が耐えられないくらいとんでもなく痛い → 3.Hypericum

  傷口がギザギザ不規則 → 2.Calendura
      傷口がスパッとまっすぐ → 4. Staphysagria

○指先や背骨などの神経のケガ → 3.Hypericum

○骨や骨膜のケガ → 7.Ruta

○筋(すじ)のケガ → 7.Ruta

○化膿したケガ
 寒がりの人 → 5. Heper sulphuris
 暑がりの人 → 6. Myristica sebifera

○ヤケド → 8. Canthris

○精神的ショック → 9.Star of bethlehem


◆─Materia Medica─◆

 

1. Arnica montana(アーニカ モンタナ)

ケガといえばArnica!
主に筋肉のケガに

【原因】
かたいものにぶつけた場合
地面や壁にうちつけられた場合(高いところから落ちたとか)











【臨床】
打ち身、打撲、青あざ、筋肉のケガ、筋肉の使いすぎ







Allen's keynoteより】
・機械的的損傷(硬いものに打ち付けた、硬いもので叩かれた)
・筋肉や皮膚の裂傷がないような強打や打撲に
・化膿と敗血を防ぎ、回復を促進する
・叩かれた後のような、ヒリヒリ、打撲したような痛みに
・過去に受けた機械的的損傷の悪影響にも


2. Calendula(カレンドゥラ)

軟組織(身体の骨ではないやわらかい部分)の裂傷に
(肉が引き裂かれて出血しているような)

 【臨床】
傷口が裂けていてギザギザしているような外傷(刃物などによるスパっと切れたような傷でなはいもの)
裂傷(軟組織が失われている場合も失われていない場合も)
筋肉や腱の破裂











【Allen's keynoteより】 
・過度の化膿や醜い傷痕の形成を予防する

*Arnicaとのちがい
Arnicaのケガの多くは内出血で、外には出血していないことが多い
もしやわらかい組織を打ちつけたりしてケガをして裂傷もある場合、ArnicaなのかCalendulaなのか迷ったら、まずArnicaを飲んで打撲の傷を癒し、それからCalendulaで裂傷の治癒を早めるという使い方もある
このとき2つのレメディを同時に飲まないように注意!(それぞれのレメディのパワーが減少して効きにくくなることあり)

※CalendulaのMT(マザーティンクチャー)は外用剤として使うことができ、化膿を防ぐことができます

3. Hypericum(ハイペリカム)

神経のケガに

【原因】
脊椎や尾てい骨をうちつけた場合









釘や針やピン、破片を足で踏みつけた場合
指の先が押しつぶされた場合(ドアに挟んだとか)










【臨床】
手足の指の先端、爪床のケガ(神経が集まってる部位)
裂傷(体から引きちぎれているくらいのもの)
切り傷
刺創(先端のとがったもので刺されたことによって生じたケガ)
耐えられないくらいのとんでもない痛みに

【Allen's keynoteより】
・潰瘍や腐肉形成を抑制することもある
・破傷風の予防に
・ほとんど身体から引き裂かれているような裂傷の健全さを保つ

*Calendulaとのちがい
Calendulaは主に身体のやわらかい部分(お肉)の裂傷
Hypericumは手足の指先や背骨、尾てい骨などの神経の密度が高いところ
よってHypericumはCalendulaよりもっと痛い(神経が損傷しているため)

4. Staphysagria (スタフィサグリア)

スパっときれている裂傷に(ナイフやメスなどの刃物による傷)











【Allen's keynoteより】
・刃先の鋭い道具による機械的損傷
・ナイフで切られたような刺すような、ヒリヒリした痛み

*Calendulaとのちがい
裂傷の傷口がまっすぐでスパッとしている

5. Hepar sulphuris(ヘパ サルファー)

寒がりさんのケガした部位の化膿に

6. Myristica sebifera(マイリスティカ セビフェラ)

暑がりさんのケガした部位の化膿に

7. Ruta graveolens(ルータ グラヴェオレンス) 

膝や肘など筋肉で覆われていない部位のケガに
屈筋のケガにも

【原因】
骨や骨膜の機械的損傷(固いものに骨をぶつけた) 
筋違え(首を急にひねったり)

8. Canthris(カンタリス)

ヤケドしたらまず最初はCanthrisからはじめましょう
皮膚が燃えるような感じがするひどい日焼け後にも








【Allen's keynoteより】
・水ぶくれ(水泡)ができる前のヤケドと水ぶくれができたときに










・もし皮膚が破壊されていなければ、どんなポーテンシーでもいいからアルコール状のCantharis(medicating potency)をあてがい、コットンでカバーするとよい。これによって痛みを即座に和らげ、発疱疹の形成を防ぐ。もし皮膚が破壊されている場合は、沸騰した水もしくは蒸留水と混ぜて使う。いずれの場合も、ポーテンシー(希釈されているレメディ)の服用も併用すること。
・太陽光を浴びたことによる紅斑に(日焼け)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9. Star of bethlehem(スターオブベツレヘム)

これはホメオパシーのレメディではなく、バッチフラワーレメディなのですが
ホメオパシーのレメディ名:Ornithogalum umbellatum(オーニトガラム)

【臨床】
PTSD(心的外傷後ストレス障害)に

【バッチフラワーレメディの飲み方】
少量の水(おちょこやショットグラス程度)に5滴たらして、食後に飲みます

【ホメオパシーのレメディの飲み方】
・タイミングを選べるのであれば、基本は空腹時(食前)
(ご飯を食べない場合も飲んで大丈夫です。西洋医学の薬のように胃を痛めることはありません)
・瓶からキャップなどに直接レメディの粒を移し、そこから口の中に落として、あめをなめるように溶かす
・レメディを手で触れないこと
・飲む前に10回ボトルをたたいたり、舌の下でレメディを溶かすなどは不要です
・粒で飲むのが難しい場合は、水に溶かして服用しても同様の効果が得られます

【ホメオパシーのレメディを飲むときのアドバイス】
・1度に飲むレメディは1つにしたほうが、望ましい効果を得られるはず
・効果がないからといってレメディを大量に長期間飲むのは大変危険です (効果が出ないのは、選んだレメディとはちがうレメディが必要だからなのかも)
・レメディを飲んでいる間は、飲酒は控えたほうがレメディが効きやすくなります
・連絡がつくようになったら、ホメオパスに相談しましょう

【ポーテンシーについて】
・おうちにあるであろう30Cを想定して書きました
・もしケガがとても重篤で生きるか死ぬかのときは、手に入る最も高いポーテンシーを使うといいでしょう(〜10M)

【レメディを飲む頻度について】
・もしケガがとても重篤で生きるか死ぬかのとき→15分に1回
・命に関わりはしないけど痛みに耐えられないとき→3時間に1回
・そこそこ痛いときのケガ当日→1日4回(食前と寝る前)
・どんなときでも最低15分は間隔をあけましょう(レメディが効くまでに最低それくらいかかります)
・痛みや症状が落ち着いてきたら、飲む頻度を減らしていきましょう

◆—————————◆



以上なにかの役に立てば。。。と思い未熟なりに書てみました
(誤っているところ、変なところがあればご指摘いただけると助かります◎)

ここに書いたレメディの情報はほんとにほんのほんのほんの一部で、実際には同じレメディでももっともっといろんな使い方があります
(ネット上に様々なレメディの情報が載っているかと思いますが、それでもまだほんの一部です。特に日本語のMateria Medicaは病変のあるケースの臨床に関する情報が少ないように感じます。英語でレメディ名を検索するともう少し情報が集められます)

今回は『本当に緊急事態のケガで、どうしてもホメオパスに連絡がつかないときに家にあるレメディでなんとか!』という状況を想定しています

しつこいですが、基本はそのときのその人の心身の状態に合わせて、ホメオパスにレメディを選んでもらうのがベストだと思います◎


ホメオパシーもわたしも
必要なときにきちんと役目を果たせますように

ホメオパシーのヘルプが必要な場合はお気軽にご連絡ください^^
まだまだ勉強中ですが全力でレメディ選びます!

2016/04/08

「レメディが効いてる気がしない」わけ

最近落ち込むようなことというか、未だに消化しきれないことがあって
うつうつ感をふっとばすために、久しぶりに旅に出てみたものの
その時はよかった
けれども、ふっとばしきれず
落ち込むならしっかり落ち込んだほうがいいのかもと
やっぱりわたしは「うまくやろう」的なのは、ちっともうまくなくて
まっすぐやっていくしかないんだなぁと再確認

旅先の風景が、なんだかカントリーロードだったのでふいにみたくなった耳をすませば
しずくちゃんになりたかった子ども時代(笑)
改めてみたら、ただのラブストーリーじゃなかったことに気付く
何年か前にみたときは、環境問題がなにげに織り込まれてることに驚いたけど
今回は宮崎駿さんからの?目標に向かって努力する若者へのメッセージがびしびしきました
「時間をかけて才能を磨いていきなさい」(そんな言葉ではなかったと思うけど笑)
せいじくんのおじいちゃんがしずくに宝石の原石をみせるところ
何者かになるためには、時間がかかるということ
でもそれぞれに光る原石があるということ

日本ではホメオパシーだけに限らず、いろんなものがインスタント化してるよう思えます
表面的、形骸化、効率化

何度も何度も書いているような気がするけど
一流のホメオパシー医師になること
病気を患っている人が良くなること
これらはだいたい時間がかかることだと思います

ホメオパシーの治療中によくあること
「レメディが効いてる気がしない」
一言にそういっても、そこにはいろんなパターンがあって

 1.飲んだレメディが外れている
そもそもホメオパシーというものへの信頼が少ない日本では、まずこう判断を下されることが多いでしょう
実際そういうこともあります
どんなレジェンドホメオパスの本を読んでいても、あれがだめだったから次にこれを試したら効いたとか
失敗談がたくさん載っています
ホメオパシーにはマニュアルがないという点で難易度の高い医学であると思う
それはホメオパシーが西洋医学のように発展しない理由の一つでもあるはず
だから必死に勉強するのですが

さらにこの失敗にもいろいろ理由があると思う
ホメオパスの勉強不足、経験不足
ホメオパスとしてはまずここを反省すべきです(自分にいってます)

でもそれだけじゃないことも
ホメオパシーの薬選びはとにかく
『症状と兆候=患者さんからの情報+ホメオパスが観察や触診などによって得た情報』(+可能であれば、家族など周囲の人から得られる情報+あれば検査結果など)
に基づくものです
患者さんの伝える情報が不足していたり、誤っていた場合はどんなにホメオパスががんばっても最適なレメディでないものを選んでしまうことがある
過去に麻薬を常用していたとか性病になったことがあるとか、言えずに隠してしまったり
浮気しているけど、奥さんの手前ほんとのことが言えなかったり
え、そんなこと?と思うような情報が意外に大事だったりするホメオパシー

でもそんな大事なこと、いきなり見ず知らずの人にさらけ出せるかといえば
そういう人もいるし、そうじゃない人もいるでしょう

患者さんが悪いのかホメオパスが悪いのか
という話ではなくて

効果の得られる治療をしていくためには、医師と患者さんの信頼関係がすごく大事なんだなぁと思います

1回目の診察のときはうまく話せなかった
レメディもいまいち効いたのかどうかわかんなかった
それでもまた来て、今度はもっと心を開いて話してくれるのか
心を開いてくれなくても、もう1度レメディを選び直すチャンスをくれるのか

Give me a chance!!(ホメオパス心の叫び)


2.一回目のレメディはブロック外しだった
ホメオオパシーの治療では、「層ごとに治療をしていく」という考え方があります

たとえばこんな人がいたとする
大事な人を失ってからなんとなくずっと調子が悪い、過去に高いところから落ちて打撲したところが冬になると痛む、家族にガンが多く自分も将来ガンになることが心配、

これを一度に全部カバーできるレメディがあったら、それでまるっとうまくいくけれども
原因が違う場合は違うレメディを必要とすることが多い(1つで対応できることもある)

この人の場合は、まず心のトラウマをケアするようなレメディその1
次に、過去の打撲を癒すレメディその2
さらに、ガン体質を改善するようなレメディその3
そして、その人の元々の体質に最も近いレメディ
というように4つのレメディが必要となるかもしれない
(同時に4つのレメディをとるのではなく、1つずつ経過を観察しながら順を追ってとっていく)

そう、1回の処方で全ての症状が完全に良くなり、体質が改善されるということは難しい
(急性症状は別ですよ!)

治癒を妨げるブロックには、上にあげたように心のトラウマ、予防接種、感染病の病歴、家族の病歴(ガン、結核など)、抑圧するような治療を受けた経験なんかがあって
このブロックを外さないと、最適なレメディであっても効かないことや、得られる効果がいまいちなことがある
したがってブロックがある場合はそれを外すようなレメディを治療の過程で組み込みます
このレメディを飲んでいる間は、なんの変化も感じないかもしれない
もちろんそのレメディで効果が出ることもあるし、悪化したように感じることもある
悪化した場合、びっくりするだろうけど、これでよりその人の本来の症状の全体像がはっきりしてレメディが選びやすくなるのです

ホメオパスは患者さんの持つ層を見極めて、治療計画を作り、レメディを選んでいきます

西洋医学の病院ではあんまりそういうことがないような気がするので、これは日本の患者さんたちにとって馴染みのないことだと思う

効かない
 ↓
もう行かない

なんか悪くなった
 ↓
ホメオパシー最悪!

ってわたしも患者だったら思うとおもうのですが(笑)

そこを乗り越えられるかどうかって結局やっぱり信頼関係だったり、ホメオパスの人間性だったりするのかなって
今考えています


3.飲んだのは深く長く働くレメディだった
西洋医学の薬は飲んでいる最中に作用を感じることが多いので、飲んでいない間も作用するというホメオパシーのレメディはまた新しい体験かもしれません
レメディの種類やポテンシーによっては、1ヶ月、3ヶ月、1年。。。という感じでかなり長期間働くものがあります(それもたった1滴だったり、たった数粒のレメディだったりが!)
レメディがどれくらい働くかは患者さんのそのレメディに対する感受性、生命力や生活環境にもよります
だから飲んだ日はなんの反応もなかったような気がするけど、飲んでから1ヶ月たって振り返ってみると、あれ?そういえばあの症状消えていた!
なんてこともよくあるかも


主にこんな3パターンでしょうか
さらに思いついたら書き足します

またインスタント化にまで話を戻すと、
信頼関係だって一朝一夕で気付けるものではないだろうし
信頼されるような人間になることだってしかり

まだまだ道のりは長いけど、それが当たり前のことなんだと今は思う
それだけ価値のあることだから

大変な仕事だけど(内容もそこまでの努力量も)
苦しみを和らげる力を持つ
ということは、ほんとにすごいことだと思う

自分の苦しみがホメオパシーによってなくなった時に
やっぱり特にそう感じる
(ここ最近では出血性の痔とアイスクリーム食べ過ぎ後の胃痛。。。)

そんなことが簡単にできるはずない

だれがなんといっても、これでいいのだと思う
苦しみながら学んでいくしかない
苦しみながら良くなっていく

もっと真剣に勉強する!
自分の力を信じて、かんばってみます!

2016/04/02

でこぼこ

逃げてうまくかわせたようで、結局全然乗り越えられてなくて

落ち込んでも
みっともなくても

向き合おう

そうすることでしか越えていけない

わたしがポコポコとつっかかるでこぼこは、ある人にとってはもはやでこぼこですらなくて
余裕で越えていく

つまづく度に、越える力をつけていくしかない

今はとにかく向き合おう

もう逃げない

2016/03/11

Faith

5年たって
はじめて気持ちを落とすことなく迎えることができた今日

風化なのかもしれない
遠くの土地にいるからかもしれない

でもそれよりは、前向きなチカラに支えられているという実感

あのときの絶望や後悔、無力感から、どうにか脱出したくて
道を求めてインドまでやってきた

まだ全然なにも成し遂げてない
急性症状だってあたふたとしか対応できない
咳もなかなか止められない

それでも今希望に感じていること
わたしが学べば学ぶほど、できることが増えるってこと

子どものときに、マザーテレサの生き方を知って憧れて
国境なき医師団を知って憧れて
そんな生き方をしたいと夢にみた
のに、現実の日常ではどうも自己優先で

夢にみること、それを語ること、それを実際に行動に移すことにとてもつもなく大きな差があることにようやく気付き

今日

今自分のチカラの限りできることを

それはインドの人にかもしれないし、日本の人かもしれない
風邪ひいている人かもしれないし、リウマチ性関節炎が痛む人かもしれない
レメディを渡すことかもしれないし、ただペンを貸すことかもしれないし、1ルピーを渡すことだったかもしれない

小さなことに心をこめて、喜びをもって

とても恵まれた道を歩んでいる
大きな愛を感じます

脇目もふらずに全てをここに捧げたいたいと今は思う

絶望するのは、乗り越える方法が見当たらないから
インドにきてわたしは希望に出会いました

ドクターの背中の後ろからみさせてもらっている世界

今のわたしはtry&error&errorなかんじだけど
もっともっとがんばろう

I have faith in Homoeopathy
I have faith in Myself
I have faith in You

2016/03/06

インドのホメオパシー

ドクターの出張診察におともさせていただきました!

普段インドトップレベルドクターがどんなケースをみているかというと…

じゃじゃーん!



汗腺炎

乾癬(10年間患っている)

乾癬その2


肺ガンの患者さん
自然と膿がでてきた

西洋医学の治療後潰瘍ができホメオパシー治療をして、潰瘍自体はすっかり閉じた

ガン患者、放射線治療後

舌の血管腫

西洋医学の手術後、糸が出てきた

舌癌

胆管癌で黄疸が出ている

アルビニズムの赤ちゃん

        ↓ ドクターの1回目の処方の後

なんと!
まつ毛が黒くなってきた!!!


毎日毎日次から次へとこんなケースに向き合っていくインドのドクター

Life is challenging!といったわたしに

しばらくしてから

Life is challenging and interesting.

とこたえたドクター


心の底から
というか
心のすべてをもって
尊敬しています



2016/03/02

わたしというこま

最近インド生活もなんとなくわかってきたような気がしていて
ラクをすること、時間を短縮すること
を考えて外注を試みたりしてみた

結果、
やはりうまくいかない
もっと時間もお金もかかる
という散々たる結果に

やっぱり
自分が軸をしっかり決めて自分がまわっていかないと
世界は動かないんだと

逆にそうやって
どんなに強い圧がかかっても、ほんの少しでも、まわっていこうとすると
思わぬところで助けてくれる人があらわれたり
世界が応援してくれるほうにまわってくれる
そのときはありがたく助けをちょうだいする

最初から人を頼るのと
自分ががんばってから人の助けをかりること
今より若いころのわたしは違いがわかってなかったと思う

だから孤独に闘ってる気持ちにひたることもしばしばだった

今でもやっぱり瞬間は自分なんだと思う
なにかにせまられた瞬間、闘いの瞬間はどんなに応援してもらっても助けてもらっても自分なんだと思う

それでも過去形表現にしたのは

一人で闘うことに孤独を感じなくなったというか
孤独と捉えなくなってきたというか
それを受け入れ始めたからかもしれない
いや助けてようとしてくれる人、助けてくれる人がいることに気付いたのかな


夢にみていたこと
憧れていたこと
それがいざ現実に自分の身にせまってきたとき
今息をのんでしまうというか
たじろいでしまうというか
その目の前の出来事に完全にのみこまれそうになっている…いや、素直に書くとのみこまれています

命と向き合う職業
医師

言葉やイメージじゃない
本や映画でみるのとはもちろん違う
リアルが今目の前にせまっている

ぐるぐるぐるぐる考えてしまった…これは現在進行形でいるのだけど

でもだからわたしはホメオパシー医学を選んだんじゃないか
西洋医学とは違う可能性を
わたしはホメオパシー医学に見出して
その技術を身につけることで
ぐるぐるの状態から抜け出すことができるんじゃないかと希望をもって
ここインドまでやってきたんじゃないか

ホメオパシー医学をインドで学ぶ覚悟ができるまで3年かかって

ホメオパシー医として生きていく準備をするのにこれからあと何年あれば足りるのか

知識だけじゃなく、自分自身の健康、精神状態…


毎日ほんの1mmでもいいから近付いていけるように

今はとにかく上だけを、目の前で輝く師匠の背中をみて
1日1日を過ごしていけますように

いのり

2016/03/01

ホメオパシーとインナーチャイルド

わたしは日本でいっさいホメオパシー医学を勉強してこなかったのですが、今のところ日本で一番大きなホメオパシーの団体はホメオパシージャパンさんというところみたいですね!
レメディも売ってるし、ホメオパシー関連の本の出版、学校経営。。。
わたしもインドからレメディを持って帰ろうとしたり、本の翻訳してみようと思ったりしてみる度に、前例のほとんどないことに挑む大変さにぶち当たります(めげそうになります)
これを一人でゼロから始めて、ここまで大きく発展してこられたこと
とらこさん、心から尊敬しています
なにより、とらこさんのすさまじい努力がなかったらわたしはホメオパシーに出会えなかっただろうと思うので!
まだ会ったことはないけれど勝手にめちゃ感謝しています!

さて本題に戻ります!
ホメオパシージャパンさんは人を癒すということにおいて
ホメオパシーの薬を用いる方法と
インナーチャイルドを癒す
という方法を用いているようです
(もし違っていたら教えてください!すみません!)

そこで日本では「ホメオパシー=インナーチャイルド」と混同されていることがあるかも?
ということで今日はわたしが今学んでいるインドホメオパシー医学をもとに書いてみます

【それぞれの起源】
○ホメオパシー医学
ホメオパシー医学という体系をこの世に生み出したのはDr. サミュエル ハーネマン
その理論を明らかにしたのは1796年”An essay on a New principle for Ascertaining the curative powers of drugs and some examinations of the previous principles”というタイトル長めのエッセー

○インナーチャイルド
一方インナーチャイルドはCarl Jungという方が提唱者と言われることが多いようですが、それをその方は”Wonder child”と呼んでいたようです
後にHush Missildineという方が”インナーチャイルド”という呼び方を始めたみたいですね。それが1963年のこと
この考え方を実際に治療に用いたのがDr. Lucia Capacchione。1976年のこと
(まいのWikipedia調べ https://en.wikipedia.org/wiki/Inner_child)

まずこの2つのものは違う起源であります

さらに生まれた時代を比べると、
ホメオパシー医学は約220年程昔から山あり谷ありで継承されてきたもの
インナーチャイルドは1976年とわりと最近生まれたもののようです

ホメオパシー医学とインナーチャイルドはその生まれも育ちも別のもののようです

全く別のものかというと
わたしはこれまたインナーチャイルドを全く勉強していないので、はっきりと申し上げづらいのですが(インドのホメオパシー医学の大学の過程ではインナーチャイルドは含まれていません。バッチフラワーすら含まれていません。心理学はちょこっとOrganonの中でやります。)
全く違うとも言えないかと

【病の原因に心の状態を考慮すること】
ホメオパシー医学は、”人間をただの物質である身体”と捉えているわけではなく
Vital force(ヴァイタルフォース=生命力のようなもの)の状態
精神症状
身体症状
のいずれをも治療をする上で考慮に入れます

ここはこれまでの西洋医学とは大きく異なる点で、ホメオパシー医学がホリスティクグループにひっくるめられる所以でしょう
では具体的にどう精神症状を考慮するかというと
2つの場合があります

1. 精神的なことが発症の原因であると考慮する場合
2. レメディを選ぶヒントとして精神症状を考慮する場合

以下詳しく説明してみます

1. 精神的なことが発症の原因であると考慮する場合
ホメオパシー医学の症状から薬を検索する辞典のようなもの、Kent Repertoryから引用してみます


Mind(精神)- Grief(悲嘆)- ailments, from(によって発症)
Aur., Caust., Cocc., Ign., Lach., Nat-m., Ph-ac., Staph. (←これらは薬の名前の略称です。)(一部抜粋)
悲嘆によってある症状(精神疾患でも身体疾患でも)が起こった場合はこれらの薬が候補に上がります


ほかにも
Excitement - emotional, ailments from(興奮した感情によって発症)
Joy, ailments from excessive(過剰な喜びによって発症)
Love, ailments from disappointed(愛に落胆することによって発症)
なんてものがあって

発症の原因がなんらかの精神的なトラウマである場合、それに準じた薬を選びます
(もちろんそれ以外に実際に発症している症状の特徴、その人の身体的特徴なども合わせて考慮する。たった一つの症状だけで選んでもレメディがヒットする確率は低いです)

2. レメディを選ぶヒントとして精神症状を考慮する場合
例えば、発熱している患者さん
ホメオパシー医学ではその精神状態もレメディを選ぶ上で1つの手がかりとします
発熱中、いつになくイライラしているのか、いつもよりさらにイライラしているのか、落ち込んでいるのか、泣いてばかりいるのか、一人ににりたがるのか、誰かといたがるのか、不安で落ち着かないのか、自分の身体の状態にお構いなく大丈夫と過ごしているのか、自分が今発熱していることを考えるとなぜかラクになるのかなどなど

病名に合わせて処方する薬を選ぶということをしないホメオパシー医学ならではの、精神状態の考慮の仕方かと

【類似点】
インナーチャイルドとかぶっているところがあるように思うのは、1の場合で特に幼少期のトラウマが発症の原因になっているとき


○でも治療の方法は違う
ホメオパシー医学ではレメディを飲むことによって、精神症状(身体症状がある場合はそれも)癒します
インナーチャイルドでは、そのトラウマに向き合うことによって癒すのかな?よくわかってません。すみません

師匠いわく、解消しきれない心の葛藤を抱えた人がガンの犠牲者になると(物理的原因によるガンを除く)
たしかに師匠の処方を見ていると、ガンの患者さんの治療の始めは、1であげたような心のトラウマレメディが多い

これは病へのアプローチとして方法は違えど、発想は近いものがあると思います

【相違点】
必ずしもイコールと言えないなと、わたしが思うところは
例えば、熱いお湯がかかって火傷した患者さん
それを治療するときにインナーチャイルドを考慮をする必要があるか
というとないわけです
心のトラウマがあろうとなかろうと、高温のお湯がかかればほぼ100%誰でも火傷するからです
ホメオパシー医学では、この火傷にも対応可能
他にも急性の怪我、風邪なんかもほぼ心のトラウマとは関係ないことが多い
高濃度の放射線を浴びてガンが発症した場合や西洋医学の薬を飲み続けることによって胃潰瘍になる場合など、物理的な原因による発症も、心のトラウマに焦点をあてるのとはまた違うアプローチが必要でしょう
これまたホメオパシー医学で治療していくことができます

【結論】
・それぞれ起源と歴史は異なる
・ホメオパシー医学では幼少期のトラウマを考慮に入れて治療を行うこともあるが、必ずではない
・それぞれ対象可能な疾患の幅が異なる(ホメオパシー医学は幼少期のトラウマを原因としない疾患にもアプローチ可能)
・それぞれ治療法が異なる(ホメオパシー医学ではホメオパシーの薬を飲んで治療を行う)


というかんじでどうでしょうか?
スッキリ伝わるといいなぁ。。。

(インナーチャイルドについてほぼ無知なのにこんな長々と書いてしまいました!おかしなところ、間違っているところがあればぜひ教えていたたければと思います!よろしくお願いします!)

2016/02/17

気持ちのもちよう

どんなことも、初めは新鮮で、とてもおもしろく感じたり、刺激的だったり
それを経験する機会を与えられたことを、すごくうれしく、ありがたく思う

だけどそれと同じような経験が増えていくにしたがって

最初に感じたような、ありがたさを感じなくなっていく

「させてもらう」
がいつの間にか
「してあげる」

こうなったらもう喜びは感じづらい
同じ行為で、同じ結果でも

いろんな人がいて、それぞれのいろんな人生があるこの世の中
はたからみたら、なんの不自由もないような、とても恵まれているようにみえる人が
多いに苦しんでいたり

逆にぼっろぼろの黒くなった服を着て、こんがらがった髪の毛で、裸足ではしゃぐインドの子供たち
わたしの想像の及ばない暮らしぶりだろう
大変なことがいっぱいあるんじゃないかと思いを馳せがちだけど
あんなに目がキラキラして見える

両極端な話かもしれないけど
今の状態に満足する人、しない人
同じ環境や状況が与えられて
人によって、そこで過ごしてきた時間によって
感じ方はちがうみたい

わたしがインドでこうやって勉強していることだって
うらやましいと言う人がいて
夢をとことん追求できることに
憧れるという人がいて

わたしが実際に感じていることとの差があったりなかったり

いっつもしあわせを感じていることは、今のわたしにはなかなか難しい
簡単なことで、怒ったり悲しくなったりすぐ揺れる
心身の修行を毎日積み重ねつつも
気持ちの持ち方、自分の意識のスイッチ
健やかなほうにすっと切り替えられるようになりたいなぁと思います
いろんなことがそれで、だいぶ解決するような気がするから
それによって自分が一番ラクになるような気がするから

師匠は61歳のわりに知力体力ともにみなぎっている
弟より髪の毛も残っている
こんなに忙しい毎日で、こんなに頭も体も心も患者さんに使って、よくもまぁこんなに元気だなと
いつも感服なのだけど
それは彼の生き方がある意味とても健康的だからなのかもしれないと思った
規則正しく毎日患者さんをみて
気持ちはいつも前向きに自分の向上と、患者さんたちの健康を祈り
ホメオパシーを通して人(の中に見いだすspirit?)に我が身を捧げる生き方
気持ちの在り方が、人としてとても健やかなのかもしれないなぁと
その気持ちを軸に全てがまわっているから、全てが健やかな在り方なのかなぁと

前にも載せたような気がするけど今ここで自分のためにもう一度

病者の祈り
大きな事を成し遂げようとして
力を与えてほしいと神に求めたのに

慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに

より良きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに

賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに

神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆることを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと
ここに人生を与えられた

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた

私はあらゆる人々の中で
最も豊かに祝福されたのだ

作者不明


A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED


I asked God for strength, that I might achieve.

I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do great things.

I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy.

I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men.

I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life.

I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing I asked for - but everything I had hoped for;
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.

I am, among men, most richly blessed!

Author unknown

2016/02/10

良くなること

自分のために書きます
いつもそうだけどw

ホメオパシーの治癒が起こる過程
ホメオパスは、患者さんの心身に現れている症状と極力似たような反応を起こす力を持つ薬(レメディ)を選んで処方する
ホメオパシーの特有の製法で作られたその薬が、まず体内で反応を起こす
これがPrimary action(一次反応)
今その人の体内で、もとから患っていた病そのものの症状と薬の作用によって新たに起こった症状とが出会う

そこではジャイアン現象が起こって、弱いものは強いものにとって代わる
薬が引き起こす症状は、病として表わしている症状よりいつもちょっと強い
というかホメオパスはちょっと強くなるように、薬のポーテンシー(希釈度)や、飲む量や頻度を調整する

ただしこのジャイアン現象は、
”ジャイアン” vs ”ジャイアンとキャラ被ってるヤツ”
じゃないと起こらない
ジャイアンとのび太じゃ、キャラがかぶってないから余裕で共存可能
ここでジャイアンはかぶっていればいる程、必死になる
ホメオパシーの薬ジャイアンのほうが少しパワフルなので、前からいた病というジャイアンは撤退させられる
今体内にはホメオパシーの薬ジャイアンのみ
これに対して次に本気を出し始めるのが、Vital force(ヴァイタルフォース)とハーネマン(ホメオパシーの父)が呼んだもの

死んでいる人と生きている人にある違いは、Vital forceが活動しているかどうか
物質たる肉体に命を吹き込むものがVital force

このVital forceの反応をSecondary action(二次反応)と呼ぶ
それはいつもPrimary actionと真逆の反応をする
作用反作用の法則
例えばPrimary actionが急激に熱を上げるような反応であれば、Secondary actionは急激に熱を下げる反応であるというように

そうしてVital forceが頑張り始めると同時に、ホメオパシーの薬ジャイアンはどんどんその力を弱めていく
なぜなら薬の働く期間は限られているから
闘いの結果は言わずもがな
最後にホメオパシーの薬ジャイアンは自ら自然消滅し、残るのは本気を出したVital force
"症状という表現を通して訴える病"は消えているというわけです

以上がOrganon of medicineの中でハーネマンがした説明

このPrimary actionによって起こる、症状の一時的悪化(日本では好転反応と呼んだりすることもあるみたい)
どうして治療する上で、薬を飲んでさらに苦しまないといけないのか受け入れがたいかもしれない

西洋医学Allopathyに慣れ親しんできた人は、さらにびっくりするだろう
過去に患った症状がホメオパシーの治療中によみがえってきたのを訴えたら
「それはレメディが合っている良い反応です」
と答えられるなんて

そう、ホメオパシーで慢性的な病を治療しようと思ったら、
現在の症状が一時的に悪化して、さらに過去に患った病も再び乗り越えていかない
といけないということがしばしば起こる

今日本ではホメオパシーのセルフケアというものが一般的になりつつある?
ホメオパシーは副作用がないから、どんなに飲んでも害がない?
ケガ、風邪、インフルエンザ。。。
たしかにおうちでホメオパシーで対応できたらすばらしい
でも今現れている症状がほんとに急性の症状なのかを見極めないといけないと思うのです
咳がいっぱい出る子供
その咳に対して36種類か48種類のセルフケアキットの中からレメディを選ぶ
レメディがあたって良くなることもあるでしょう
ナイスです!
でもまたなにかの刺激で咳が出る
またレメディを選んで、咳が落ち着く
これを何度も繰り返す
まず苦しんでいる状態から解放すること
それは治療をしていく上で基本
だけど、もしその子供が過去にアトピーや皮膚にかゆみのある症状が出ていたのをステロイドなどで抑圧するような対応をしてきていたとしたら?

もぐら叩きをするようにセルフケアを続けることも一つ
どうしてもぐらが出てくるようになったのか、その原因となる本質的な部分から治癒を起こすことも一つ
そしてそれを起こすことのできるレメディは大方の場合、そのキットの外にあると思うのです
なんせ世界にはすでに最低5500種類のレメディがあって、症状の全体像が薬の全体像に似ていれば似ているほど効くのですから
そしてそのレメディを選ぶ力も、きっとおうちの外にあるのかも
家で指にささったトゲを抜くことはできる
でもおうちで盲腸の手術はだれもしないはず

その本質的な治癒ということについて
西洋医学の治療に慣れ親しんでいると
解熱剤を飲んだら熱がすぐ下がる
痛み止めを飲んだらすぐ痛みがなくなる
わかりやすい迅速な反応
また、「明日大事な仕事があるから、明日までに治さないといけない」
心身のこと以上に優先したくなる事情
ホメオパシーの薬を使っても、前述のようにこのもぐら叩き的治療も可能な場合もあります
だけど、この場合再発はほぼ免れないでしょう(急性症状を除く)
なぜならもぐらが出てくる原因が解決してないから

その原因ってなんだろう?
よく言われるところで、生活習慣、心のトラウマ、遺伝、受け継いだ体質、予防接種をはじめとした薬害、重金属の影響、生きている環境の影響。。。
それが幾重にも重なっていることが現代では多いでしょう
いずれも1日で引き起こされる原因ではないはず
1日不眠不休で過ごして翌日ガンになる可能性は低いはず
症状という表現を通して訴える病の状態が形成するまでに、それなりに時間がかかってきたはずです

それがたった1日で治るとは考え難いはず
それも簡単に治るということも考え難いはず

ここで思い出したいのです
今まで自分がどんな分野でもいいから良くなったと思えるものについて
中学校のときに部活でしていたソフトテニス
そこそこ試合できるようになるまでどれくらい素振りをして、ボールを打って走って、先輩に与えられた理不尽な部則に従って、雑草抜きまでして
プリケツになりたくて始めたスクワット
きれいに字を書けるようになりたくて始めた習字
ペラペラになりたい第二言語で友達と笑えるようになるまで一体どれほど努力をしてきたことか
すきなことのために頑張ってきたのだから、たのしいことが多かったかもしれない
でも苦しいことがなかったと言う人がいたら尊敬します
わたしの場合、どんなことでもやっぱり山あり谷ありで
現に今日ホメオパシーを学んでいる過程でつづったグチグチblogの数々
現在進行形なう

良くなるってやっぱり簡単なことじゃないんだとわたしは思うんです
それが表面的なことではなくて、もっと深いものであればあるほど
筋トレしたり肉体的な変化はわりと分かりやすく起こるし、メソッドもはっきりしてるけど、メンタル面が成長する上での苦しさといったら!
怒りっぽい性格を改善しようと思ってもまずやり方がわからなかったり

もっと言えば、例えば生えてきた白髪を黒く戻すこと
白髪染めをしちゃえば数時間で黒くなるけど
また黒い毛が頭皮から生えてくるようにすることの大変さ

身体のことや技術的なこと、精神面の発達と、健康になることが一概に同列で語れるのかというと
うーんたしかにちょっと無理があるのかもしれないけれど
でもホメオパシーでいうところの健康というのは身体に腫瘍がないということではない
悪性腫瘍を取り除く手術が成功したら、その瞬間からその人は健康なのかというとそれは違うと思うのです
病になるのは物理的な原因だけではないはずだし
病と呼ばれる状態は物質的な異常が認められる場合だけではないはず
それは日常的にいろんな人が感じることだと思う
ちゃんとここが説明できるようになったらまた書きます

これまた一般的に言われることで変わりつつあるような気もするけれど
ファストフード、ファストファッション
簡単素早く便利に誰でもできる!
それを善しとして、求めてきた世界

全くその流れに乗らなかったホメオパシー
むしろことごとく逆をいくホメオパシー
治療に時間かかる、マニュアル存在しない、誰にでもできない
そもそもホメオパシーの薬が物質による作用ではないのでね(高度に希釈されている)

ハーネマンがホメオパシーをこの世に産み落としたのが1796年(Richard Haehlいわく)(ハーネマンの”類似の法則”を記した論文が公式に出版された年)
そこから一時期はドイツ、イギリスやアメリカでも入院施設のあるホメオパシーの病院があって、公式な大学もいくつもあった時代を経て


このホメオパシーでなにかを治そうということは、物質主義や効率主義に染まった世界にとって大きな挑戦なのではないかと思ったりします
自分のこれまでの価値観や生き方に向き合うことなのかもしれません

と難しく考えず、試してみてその結果をたのしんでいただけたらと思いますが!

なんで今改めてこのトピックかというと、自分が苦しみまっただ中だからです笑
インドにきてから、そうでないときのほうがはるかに少ない気がするよ。。。
でもやっぱり苦しんでるテーマがその都度変わっているのはたしかで
自分となにかをつなぐぶっとい鎖を断ち切っていく作業
まぁ簡単なはずはなく、その鎖もこれまでの自分が作ってきたものだと思うので、だれを責めても仕方がなく
それでもちゃんと目を開けば光があって
手を広げれば心地よい風が吹いていて
心を開放したらあたたかさがあって
ベタさにはずかしいけど。。。
言葉の意味を頭で理解するのと、心で理解するのはちがうことだって
ほんとに最近思う


まだまだ!
できないことがあるってことは、まだできるようになることがあるってことだ

だれの中にも良くなる力がある

自分の良くなる力を信じます
あなたの良くなる力も信じています

それがわたしのマサラ味のホメオパシー!

2016/01/31

師匠の背中

ドクターはわたしが通う大学の学生さんたちを無料で診ていて
やっぱり学生たちも結構深刻な疾患だったり、自分の親だったりは、大学の先生ではなくてドクターに診てもらいたがる
特に学校の先生に処方してもらったけど、改善しなかったケース

ドクターの診療所はopenで、だれでもきて診察を見学できる
だれか新しい人が現れては、いなくなり

最近同級生の女の子が、慢性のニキビを診てもらいたいとドクターの診療所にきた
学生は無料だけど、患者さんが少なくなるまで自分の番を待たないといけない
彼女もホメオパシーを学ぶ学生なので、自分の診察までの待っている時間にドクターの診察を見学してたら?とわたしはいってみたけど
彼女はただ黙々と待っていた

患者さんとしてきた人は、患者さんにしかなれないのかもなぁと
今までの自分を重ねて思った

それがいい悪いではなくて
自分の一つの変化
ドクターの患者さんから学生になった今
やっと学ぶ準備ができたのかも

仕事をするということは、きっと少なからず人と向き合うということなのかもしれない
八百屋さんは野菜がほしい人と接し
車屋さんは車がほしい人と接する

震災のとき、保険会社で働く友人は「人の不幸が起こって初めて仕事になる仕事」といっていたように思う

ホメオパシー医は、ホメオパシーで健康状態を改善したい人と向き合う
心身ともに健康な人は、当然だけど診療所にはこない
毎日毎日向き合うはどこかしらを病める人

ドクターが診る患者さんを通して、今、自分ではできない経験をさせてもらっている

ガンの痛みを泣きながら訴える人
救急車で運ばれてきて、震えっぱなしで意識朦朧とする人
今までどうにも止まらなかったガン患部からの出血が止まって、ドクターに感謝の祈りを捧げる人
西洋医学の病院で一ヶ月以内に死ぬだろうと言われた子供が一ヶ月を超えて生きていて、症状がどんどん改善していることに、涙を流して喜ぶ両親
まさかこんなに良くなるとは思わなかったと語る笑顔のガンの患者さんたち

ドクターが使うレメディの数はほんとに多い
わたしなんか毎日新しいレメディに出会うくらい

力をつければつけるほど、できることが増える

毎日パワーアップするドクターの処方
比例するように出る患者さんたちのいい治療結果

自分の全てを捧げる
という言葉が決して過言ではないその生き方

学校や教室というところに通うようになってから、たくさんの先生と呼ばれる人たちに出会ってきた
すてきなところをみなさんお持ちだった

だけどここまでこの世界で
生き様から学ばせてくれる人、初めて心から師と仰げる人に出会えたことはなかったよ

日々人の命に向き合い、自分の実力に向かい合い
決して折れることなく、体調の悪いときまでも患者さんに向き合おうとする姿

ヒンドゥー教のスワミのお話
「昔、あるマハラジャのところに仕えていた執事がいた
 彼は本当に良く身を粉にして、自分の全てを捧げてそのマハラジャに仕えた
 そんな彼にも死期がせまってきた
 マハラジャは彼のこれまでの功績を讃えて、彼に聞いた
 『最後の望みはなんだ?わたしが願いをなんでも叶えよう』
 『ではわたしの寿命を延ばしてください』
 『すまないが、それはさすがのわたしでもできない。。。』
 その執事はそこで、なんて今まで自分は価値のないもののために尽くしてきたのだろうと思った」

わたしは今、ドクターに身を捧げているわけではなく
そしてこれからホメオパシーに身を捧げていこうと思っているのではなくて
ホメオパシーを通して身を捧げていきたいのです

ホメオパシーという奇跡と呼ばれるような結果をもたらしうる医学に出会えたこと
ドクターというわたしにとって最高の師匠に出会えたこと

いいことばかりじゃないだろう
苦しいことがいっぱいあるだろう

それでもこの与えられた役割を命いっぱい全うしたいな

乗り越えられるだけの力も同時に授かっていると信じて

生きていくためにお金は少なからず必要で
でもお金じゃ買えないものが、ほんとにあるんだってこと
健康、尊敬、愛、心が満たされること

コテコテな言葉を書き連ねているようだけど
ここインドで、痩せた身体に布一枚を身にまとう物質的に恵まれない人から
アクセサリーは全部ダイヤモンドの非常にふくよかな身体のお金持ち
みんなドクターの診療所にきて、自分の症状を訴えていく

最近ひさしぶりにピアスを買ったけど
買ったとき、友達にほめてもらったときはうれしかったけど
やっぱりその喜びはほんの束の間で

どんなにおいしものを食べてもまたいつか必ずお腹が空いて
どんなに気に入ったクルタを買っても着ているうちにほかのものが欲しくなり

お金持ちもそうでない人も病を患う
お金があれば費用のかかる治療を受けることができるけど、だからって健康が取り戻るとも限らない
命はお金じゃ買えない

生活する上でお金はもちろん大事だけど、でも全然全てじゃないなぁって
そんなことを思ったり

あー!ドクターの田舎の診療所に学びに行かない日曜日の退屈さ!

力をつけたい
もっともっと

たしなむということは、古語の語源をたどると苦しむことを意味するとか(おやじ談)

これからわたしが正しい努力を続けていけますように


2016/01/25

インド流マテリアメディカの勉強の仕方

まだまだ勉強中、経験ほぼゼロの身分での発言ご容赦いただきたく候!

インドの大学での勉強の仕方を紹介してみまーす!

マテリアメディカの勉強の仕方は2パターンあると思われます
1.レメディ一つずつの理解を深める
2. アロパシーの病名ごと、もしくは症状ごとに複数のレメディを比較し、臨床で使えるように理解を深める

中島みゆきではないけど
1番の学び方は、縦の糸
2番の学び方は、横の糸
この両方の糸を織っていくことで、症状の複合体=全体像をすくいあげることのできる力がつくようです

インドの大学のシラバスでは1〜2年生は1番の学びのみ
その間に同時に医学の基礎知識を身につけます(解剖学、生理学、薬学、組織学&寄生虫学、法医学)

3年生になってから、産婦人科学、外科学、内科学のそれぞれの科目で西洋医学の知識を身につけつつ(発症のメカニズム、原因、リスクファクター、共通にみられる症状、合併症、一般的な治療法など)
それぞれの病名ごとにレメディの比較も学んでいきます

これまで習ったレメディの復習もできるし、なかなか臨床的で実践的

そして4年生の最終学年になってから、はじめてレパートライゼーション
Kent Repertoryの登場です

2〜4年生まで毎日(日曜日を除く)2〜4時間ほどcase takingの時間があります
これは実際に外来にきている患者さんをつかまえて、初診のcase takingを行い
学生がレメディを考えた上で、大学勤務のホメオパシー医に診てもらうというもの
case takingはグループでやるときもあるし、一人で一人の患者さんのcase takingを行うときもあります
このケースを10〜20件清書(もちろん手書きのうるとらマニュアル式)して、試験のときに提出します

大学での基本的なマテリアメディカの教材は
1. Allen's Keynote
(Re-arranged editionは並び替えた際に間違いが多くて、そうじゃないやつのほうがいいらしい)
2. Boericke's New Manual of Homoeopathic Materia Medica
この二つが試験のときに、聞かれる質問のもと
シラバスに含まれるレメディもここから選ばれている

参考書的に試験のために学生が使っているのが
3. Text book of Materia Medica - Dr. S. K. Dubey (Kolkata regend Homeopathic Dr.)

大学の先生が授業の中で、参照したり、目を通すことをすすめることがあるのは
4. Homoepathic Drug Picture - M. L. Tyler
5. Lectures on Homoeopathic Materia Medica - J. T. Kent
6. A Dictionary of Practical Materia Medica - J. H. Clarke

ほかDr. Sarkarのおすすめは
7. Leaders In Homoeopathic Therapeutics With Grouping And Classifications - E. B. Nash
でまずレメディのイメージをつかむ
内容もお話風になってるからおもしろく読める

8. A Study On Materia Medica - Choudhury, N M(Allenの直弟子) でほかのレメディとの比較を学ぶ
9. Repertory - J. T. Kent
マテリアメディカの知識を充実させるために使う
MindとGeneralの項目は毎日目を通したほうがいい

わたしのおすすめは
10. Just you see - Dr. Sunirmal Sarkar

最近わたしも取り組みはじめたばかりですが、レメディの個別化をするために、ポイントをひろいあげて自分のマテリアメディカを作ろうとしています
まだまだ改善必須なたたき台ですが一応upしてみます
*Remedy勉強シート*
ここに上がっている項目は、ドクターが診察中によく患者さんにしているなぁとわたしが思ったものです
それ以外の各器官ごとの症状は、主にBoerickeのMMを参照しています
やっぱり比較検討のときはChoudhuriが最強! 
わたしが一通り勉強シートをうめるために参考にしてるのは1,2,3,7,8,9,10の本たちです

読むだけ頭に残ってくれればいいのですが…
反復あるのみ!
Materia Medica wormと化しましょう


2016/01/22

歯科の先生が結構タイプな件

四年目、3年生で習う科目の一つ
外科

ホメオパシーの治療では外科的手法は一切とらないし、インドでもホメオパシー医師がそれを行うことは禁止されている

でも勉強します

その外科も歯科と耳鼻咽喉科と眼科それ以外の4つに分かれていて
アロパシー医師の先生とホメオパシー医師の先生と両方から習います

昨日の歯科の授業の時間
先生はアロパシー医師
高倉健を彷彿させる出で立ち、落ち着き

低音のすてきな声で先生は言いました
「わたしたちの身体は良くできている
神の設計通りに
その良さを維持するのがわたしたち医師の仕事です」

穏やかな微笑みのもとこう続けます
「わたしはこれまで30年間アロパシー医師としてこの国立ホメオパシー大学に勤めてきた
わたしがここでみてきたホメオパシーの治療は、アロパシーとは違い、治癒したら再発することはない
これがホメオパシーの美しさだと理解したよ」

声が良かったのか
見た目が良かったのか
その真偽はわからないけど
あの時やたら沁みたので、書き留めておきます

その後先生は箱からなにやら大事そうに


この歯の模型を取り出し
一人一人手にとって眺めるというのほほんとした授業展開
生徒70人くらいに対して模型一個

そんなインドで学べることがほんとにありがたいと思う今日この頃

わたしのしあわせはモノのquantityやqualityではないのだと思う
(思わない時も往々にしてある)

マテリアリスティックではないインドが育んだホメオパシーの発展

それぞれの役割を果たしましょう
この多様性から良いところを学びましょう

すっかりThujaの悪化が抜けて、四肢の乾燥(フケのような脱皮)、そしてフケの症状が消えました

フケフリー!




2016/01/15

卒論とホメオパシー

まだまだ全然レメディが作用していると思うのだけど

わたしは日本の大学で森林生態学の研究室で卒論を書かせていただいたのですが
そのできの悪さはさておき

沖縄は亜熱帯気候で植物も動物も種の多様性の宝庫

卒論のテーマは種それぞれの特性が森の遷移に影響するかというもの
種の特性というのは、例えば
種の重さ(軽いほど散布力が高いと想定される)
萌芽率(増殖力の強さ)
幹の密度(密度が高いほど台風への耐性が強いと想定される)
成長速度
などなど

時が経った今うろ覚えですけれども

森の中を歩いていると(自慢できるほどは全然歩いてない)
単純に葉っぱの生え方もいろいろあって
光を吸収して光合成するために
あんな生え方でもこんな生え方でも
見た目一見効率悪そうでも
それでも今を生きていて
今まで種の存続を可能にしてきた葉っぱの生え方

それがほかにも花の色だったり種の形や重さだったり

人間的にいえば成長戦略だったり繁殖戦略だったり
ほんとにいろーんな多様性があって

わたしの卒論はそんな彼らの戦略が実際に森の種の移り変わりに反映されているかというものだったのだけど

今ではすっかり忘れた関数を使いまくり
有意差検定ではなく
当時なかなか先をいっていたと思われる統計のグラフ化するというやり方で
検討していったのだが

特にこれといって種の特性があきらかに反映されているものはみつけられなかった

もちろんもってるデータが足りなかったのかもしれないし
わたしの比較検討の仕方が全然なってなかったような気も十分にするけど

やっぱり森の中だったり、自然の中だったり、道ばたの街路樹をみたって

いろんな特徴をもってそれでその種が今を生きているという事実

感性によって美しい美しくないとか
都合によっていいとか悪いとか
あったりなかったりするでしょう

でもそれ以前に、どんな種もその在り方で今をその場所で生きているということ

なんかそれでいいような気がしたのでした

なんせインドではThujaが街路樹として使われまくりなのでね

なんのこっちゃな話かもしれません
理系気取りからいきなりみつを気取りに見えても致し方ありません

なんかなんとなくわたしは腑に落ちたのでした



2016/01/10

positiveなモチベーション

つい先日、熱くフケトークをしたあと
ホメオパシーのことをいったん考えるのはやめよう
と映画をみること3本
本を読んだり
友達に電話したり
ぐずぐず寝たり

たしかにくよくようじうじ考えはしなかったけど

これまた物足りなさ

いつも今しかなくて今のことしか考えられなくて
長い目でみるという視点を自分より長く生きている人に貸してもらったとき、
これが大人になるってことなのかと思った
今が一生続くわけじゃない
状態、時代、人は変わってゆく
長い目で見守るというスタンス

ピンポイントにしぼって真正面から向き合うことは、濃くて熱くて苦しい
まっすぐ向き合えば向き合うほど、苦しさも増すような
苦しいほど美しい的な日本っぽい論に未だ染まっているのかもしれないが、やっぱりそこから生まれるものの迫力はちがうような気がする
文字通り命懸け
そしてそんな生き方は若さだなぁと思った今日この頃
魂の若さ

羽生くんが「血のにじむような努力をしてきた」といったみたいだけど(人伝て)
きっとそう思うのはゴールドメダリストだけじゃないはず
メダルに惜しくも届かなかった人
国の代表になった人
なれなかった人
振り返ったらきっと血のにじむような努力をしたと思うときがあったんじゃないかなぁ
なにが結果を分かつのか
才能、境遇、教育、時代?

結果がもしついてきたとしたら、それはすごくありがたいことなのかもしれない
自分の努力はもちろんあってこそなんだろうけど
それだけじゃない気がするから

それはきっと与えられたものなのかも

まだまだ結果とかいってるレベルではてんでありまへん
バランス良くなんていってみたところで、今日はピーナッツバターを塗りたくったパンばっかり食べちゃって
大人の視点を垣間見たところで、うまく使いこなせるはずはなく

うまくとか上手にとか効率良くとか
やっぱり苦手で
とにかく今を生きることしかわたしにはできない

そんなことを考えているよりも
今やりたいことと今やるべきことを、思いっきりムラがありながら、やっていく
時にpositive、時にnegativeなモチベーションに突き動かされて

わたしってこんなもん

結果は神さま任せです

わたしはわたしのベストを尽くします

それがなるべくいつもpositiveなモチベーションに支えられていられますように

そしたらもっと笑っていられると思うから

笑う門にはなんとやら

やっぱりまんざら期待してないないでもないわたしです



2016/01/07

夜もふけるフケの話

Addiction - Homoeopathic medicine
なわたしで
ホメオパシーの可能性を自分の身体で体験したいのと
少しでも良くなるものがあれば良くなりたいのと
で結構いっつもなにかしらホメオパシーの治療中であったりしてます

今回はフケ!
乙女にとっては深刻な悩み
わたしにとってはそんな深刻ではないものの、これもホメオパシーでなんとかなるならすごいなぁと薬を飲んでみようと思い立ち

でも我が師は患者さんで毎日大忙し
それに加えてわたしがあれやこれやと患者さんを連れてきたりするもので
わたしまで診てもらうのは悪いかと

前からこれっぽいなと思っていたThujaに挑戦

Indications:
茶色のほくろがいっぱい
生玉ねぎ、にんにく苦手
朝食後もしくはお茶を飲んだあとに排便
白いフケ
Hydrogenoid constitution 
症状が全部左側に出る

最初は恐る恐る200/2doseを飲んでみたものの、一週間経って大して変化なく
外したかなぁ?
とドクターにお伺いを結局たててみたら1ヶ月は待ちなさいとのこと

1ヶ月後に確かに量は減って、フケそのもののサイズがかなり小さくなるという変化を実感

それでもまだ出る感じ

1M/2doseを投与

1ヶ月様子みるもあまり変化なし
腕とか太ももとか顔も皮がむけるてる
インドは今が冬で乾燥してるというのもあるけれど

ドクターに再度お伺いをたてると10Mを飲んでみてとのこと

診療所に併設してある薬局で、先輩が薬の瓶から直接わたしの口に投与してくれる
が、なかなか出てこない!
瓶をわたしの空いた口の上で激しくふる先輩
チャームポイント、出っぱりぎみな前歯にコツーン
そのかいあって、ようやく数滴口に
5分は口を閉じてるようにと先輩
その割にめっちゃ話しかけてきますがな

何はともあれ、10MのThujaが体に入りまして

ホメオパシー的悪化なのか
生理前だからなのか
激しい左側の頭痛に見舞われること1日(釘が食い込むような感じではなかった)
左側の下腹部痛は消え
生理初日
過去マックスの生理痛(腰痛、寒気と暑さが交互に、restlessness、眠気)

今年は出席率が大事!
なんとか学校にいったMateria Meficaの授業では、なんとThujaの授業

イントロダクションからさんざんのけなされよう
さらにネットで読む現代のMateria medicaもさんざんな内容

占いは良く書いてあるとこしか信じない派だけど、
ホメオパシーは占いじゃないんだけど、
なんかずこーん

最近ちょっと調子に乗っていたかもしれません
いきがっていたと思います

とにかく朝から夜まで、夢の中もホメオパシーでバランスに欠けていたかもしれません

頭で分かっていても全然自分と向き合っていなかったのかも

まだまだやっぱり受け入れられないことがあって許せないことがあって
それが自分自身に対してもあって

外ではなんとかそれを取り繕って生きているけど、中はぐちゃぐちゃなのかもしれないわたしのThujaなところ

ホメオパシーのわたしがすきなところは、優劣をつけずに
「今のこの人の状態にはこの薬のこのポーテンシーが必要」
そういう人との向き合い方

でも自分にThuja 10Mが必要と言われて、がっくりきたということは、いつの間にか自分の中で薬の優劣、いい悪いをつけていたということ

なんか急にいろいろ向き合って

今自分がホメオパシーの勉強をするのに、自分にとっては最高な環境にいると思っていて
でもその一方それに充分ついていけていない実感がすごくあって
知識的にも体力的にも
やっぱり焦る、焦る

FBで拝見したどなたかの新年の抱負にあった
「のんびり」
という言葉をみて、これほど自分にないものはないと思った

いつもimpulsiveで無駄に急いでいて焦ってる

まだまだ先は長いのですよ

Keynote(ホメオパシーの薬辞典の一つ)で有名なAllenさんは、亡くなるその日も普通にいつも通り診察を行っていたそうな

わたしもそんな人生を歩めたらと思う

勉強も大事
日々の生活のことも大事
自分と向き合うことも大事

ホメオパシーにすごく可能性を感じていて、ちゃんと勉強すれば日本に帰ってからきっと人の役に立てるのだと確信している

でもきっと人生はそれだけじゃないとも思う
大切な家族がいて尊敬する友人がいて
自然の美しさに心震わせる時間があって
波に身を委ねる時間があって
瞑想する時間があって

人生の目的
わたしの人生のバランス

ちょっといったんスローダウン

今日は枕元のmateria medicaを片付けてねよう


今年も少しでも自分がより良くなりますように
世界に愛がありますように

ついでにフケもおさまりますように

2016/01/03

2016年のはじまり

明けましておめでとうございます!

インドで過ごすお正月も4回目!
今年は12月31日も1月1日も授業!

そんなの日本じゃありえないよといったら
同級生たちもインドでもうちの大学だけだよ
とのこと

たしかに病に正月休みはないもんな

この恵まれた環境、人生でまたとない機会を大事にして
今年は集中力を最大限に過ごしていきたいな!

目標1 出席率85%
目標2 進級試験一発合格(最も難易度が高いと言われる3年目の試験)
目標3 急性症状をほぼ一発で治せるようになる(ドクターにわたしの治癒率がsometimeといったらmost of timeを目指すようにと)

急性症状の練習台になってくれる勇気あるチャレンジャー、世界のどこからでも、いつなんどきでも、休みなく募集しております♡

まだまだ伸びしろいっぱい元気いっぱい
今年もどうぞよろしくお願いいたします!