2015/04/30

インドの進級試験

二年生の進級試験
ペーパー編終了!

全4回の進級試験で最も簡単と言われている二年生の試験

科目は法医学、病理学&寄生虫学、organon、MM

今回は追試なしで一回でパスするぞ!
の意気込み虚しく、出席率の関係で二科目しか受けれず…

そこにいたるまで今回は?も?かなり波瀾万丈でございましたん

ストの勃発
全く慣れないその制度!
かなり慌てふためいた

一瞬もうインドでホメオパシーやめようかとよぎったくらい
乱れに乱れて

ちなみにストは今も継続中
主役の校長先生は昨日患者さんに殴られたらしい

ストの一環で試験もボイコットするという子たち
長いものに巻かれる子たち
それでも試験を受ける子たち


そんなこんなで


こんな今回の試験会場

会場は毎回コルカタ内の医学部のあるどこかの大学へ

進級試験なんだけど、西ベンガル州統一の試験で、その区内でホメオパシーのコースに通う学生はみんな同じ試験を受ける

今回はほかの大学とわたしの通う大学と二つの学校がmix

インドのカンニング事情が日本にまで伝わっているとかいないとか

たしかにカンペを持ち込む子もいるし、生徒同士の情報交換はわりと自由が効いちゃう

でも、言い訳するのもおかしいけど
試験はなんというか団体戦のような
みんなでパスするぞ!みたいな勢いで
それはもう学校の枠もこえて
みんなでどうにかこうにか白い紙を埋めていく

三時間100点満点で5点とるのにB5の1ページを文字で埋め尽くさないといけない
範囲は一年間分
選択肢のある問題はほぼなく、エッセイ式がほとんど
日本みたいに参考書だの問題集なんてなく、唯一の頼りは過去問

逆にこれまで日本で受けた試験はどれほど至れり尽くせりだったか…
というか試験そのものがすっかりビジネス化してるのかも

先輩方伝授の試験をパスするルールによると
とりあえず一番いけないのは空白のままにすること
なんでもいいからとりあえず書く!書く!書く!
必死になると人間すごいもんです
普段あんまり創造性と自主性を感じさせない学生さんたちですが
最終的に問題は無視して自分で設問作って答えを埋めたりするという
それで合格になっちゃったりすることもあるっていう


今年のすごいなーポイントは周りのサポート力

サンジュクターの彼氏は学年がいっこ上の先輩で、なんと4日間の試験全日程参加
それも朝ごはんを食べるとこから始まり、わざわざいっしょにタクシーに乗って、緊張しまくりのサンジュクターの手をにぎり続けて会場に向かい、会場に着いて試験が始まるまでは1人余裕でしゃべりまくり、サンジュクターが試験を受けてる三時間そこでひたすら待機

ナジアのお父さんとシューカニアのお父さんはバイクで娘を試験会場まで
平日なんだけどな…と思ったところ、ナジアのパパは自営業だそうで
しかも試験を受けてるナジアの同級生の名前をみんな覚えてる
お母さんならまだわかるけど、お父さん!

シータとクジュプーは試験の前も後も家族に電話
試験の内容もしっかり報告してたけど、それについていけるってすごい

彼女の試験は自分の試験で
娘の試験は自分の試験

そんなインドの一体感

だから知ってる知識を共有するのだって結構ふつうなのかも
試験中であっても

そんな一体感のまま、試験終了後はナジアのおうちでごはん


ベットの上で打ち上げパーリー

会話は基本ヒンディーでまったくついていけないんだけど、なんかめちゃめちゃあったかい時間を過ごさせてもらったー!

クラス一番しっかりもので優秀なシータも試験の前は、疲れがたまるんだな
とか
やっぱり試験を受けるという決断はみんなそれぞれ葛藤があったんだな
とか

当たり前のことなんだけど、なんか仲間感


いつだって少しでも長く日本にいること願ってるわたしは、今回の試験を受けることは結構葛藤で

もちろん学生として試験を受けることは基本の基本なんだけど

同じ寮に住むスリランカの同級生たちはストが始まって大多数が試験を受けないとなるとあっという間に帰国

あんなに一人部屋を望んでいたのが不思議なくらい、一人で過ごす毎日がさびしかったり

夏も暑く

ストの混乱で全然集中して勉強できてなかった中

なんとかかんとかうんとかすんとか
自分を伸ばしたり縮めたり叩いたりつねったり
夜眠れなくなってドクターに泣いて電話しちゃったり笑
食べてがんばろう!と思っておもいっきり食べたら眠くなったり

ほんとになんとかかんとか今日を迎えられて
法医学の試験は初めてのよくできた感
MMは微妙だけど

勉強できるようになりたい
ホメオパシー医になるために知識をしっかり頭に叩き込みたい

もちろんそうなんだけど
そのために大学に通ってるんだけど

でもなんというか
自分の弱さに挑戦しにきてるような気もして
いっつも自分自分で
自分のことばっかりなんだけど
それが必要だからここにいるような気もして

昨日の自分を毎日こえろ
みたいな汗ほとばしるかんじでは長続きしなそうなので、わたしは
苦手は挑戦し続けることでしか克服できない
そんなかんじ

残り試験50%
口頭試験

やさしくお腹も心もインドの仲間たちに満たしてもらった今日

最後までやりきるぞー!



2015/04/26

揺れと慣れ

ネパールで地震があって
コルカタも若干ゆれた

実際の揺れ以上に、同じ寮に住んでいる大学生たちの心は揺れているよう
今わたしのfbのタイムラインはインドの人たちのupによる地震関連情報であふれてる

昨日の夜は、わたし以外の学生たちは寮の外で寝たらしい
夜地震があったときに、寮の構造が心配だから

今も20時に大きな地震があるという謎の情報に備え、みんな外に集まるらしい

地震大国からやってきたレペゼンジャパン
わたしの部屋は一階だから揺れ始めてからでも大丈夫なんじゃ…
なんて高を括っております

おもしろいなぁと思う

ストにおろおろするわたし
地震におろおろするスリランカ人

これまでどんな経験をしてきたかで物事に対する反応と対応が、こんなにはっきりと変わってくる

慣れていないことにどう対応できるかがその人のキャパなんだろうなぁ

慣れれば、ある程度立派に対応できる可能性が上がるということでもあるかも

習うより慣れろ

このインドの試験制度にもはやく慣れたいものであります…

2015/04/24

Exam funk

インドにきてから
赤ちゃん時代以来最もよく泣いている気がする
それも人のこととか、うれしくてとか
ではなく
自分のために泣いている

言葉にならない
言葉にできない
から泣くのかな?

27歳にしてexam funk
情けないといえばどこまでも情けない現状
これが現状
わたしの実力

やりきろう
情けないわたし

だめさ出し切ったら、あとは良くなるしかない
(Kali phos 6x)

2015/04/11

ホメオパシーの父の生誕260周年


今日はハーネマン大師匠の260回目のお誕生日
インドのホメオパシーに関連する人々は様々な形でお祝いしたわけですが、そのうちわたしはドクターのセミナーに参加してきました


こんなかんじにお祝いされるハーネマン大師匠


こんなかんじに歓迎されるドクター

もちろんクーラーもない、ビーチかっていうプラスチックの椅子が用意された会場ですが
大気的な熱気はもちろん、ホメオパシー熱が炸裂していました

ドクターより年上であろうおじいちゃんホメオパシー医たちもノートをとって
ノートを忘れた人は新聞にメモをとって
開会の言葉?かなんかのときはみなさん目をつぶって頭を揺らしていたのに、ドクターのお話は俄然目を輝かせて聞いていました

なぜかベンガル語がちっともできないのに、壇上でわたしはパワポのボタン押し係りという名誉職をいただき

学ぼうとする人たちの姿勢をドクターに近い視線からしっかり見せてもらった

ドクターは一部では非公式のインドNo.1ホメオパシー医とささやかれます
きっとそういう無名のホメオパシー医がきっとインドのいろんなとこにいるんだと思うんだけど(無名の名って名誉っぽいことに今気付いた)

ホメオパシー医療の実践者として成功し続けるドクターは
分かりやすく、あからさまに嫉妬や批判の対象になる
日本同様、「出る杭は打たれる」文化があるらしい
これ世界共通でしょうか?

お話の途中からおじいちゃんたちがどんどん割り込んでくる

君のやり方はおかしい
ケントはそんなレパートリーの使い方を教えてないじゃないか

ドクターはいつも患者さんたちがjudgeだという

だからわたしも何も言わないけど

ドクターいわく、ムンバイにセミナーにいってもこういう熱い議論は巻き起こらないらしい

これはコルカタのホメオパシー界の在り方

わたしも、こんなに患者さんを治すことに成功しているドクターに意見できるとはすごいなぁと思った
ドクターの前ではすっかり健全な批判精神を失っていたことに気付く

ドクターは今日どんな感想かわからないけど、
わたしにとってはとても貴重な体験だった

日本で感じられないホメオパシー熱を大気的な熱さも相まって、ずーんと感じました
ホメオパシーへの情熱
ハーネマン師匠への敬意

あんなに熱いホメオパシー議論
必死、真剣、無我夢中

日本では全然その存在を認められていないホメオパシーがところ変われば、こんなに人を熱くする

知らないからといって否定しないこと
新しいからといって否定しないこと

いばらの道と知りながら、正しいと信じる道を歩むドクターの背中に、ハーネマン大師匠をみた思いでした

わたしも足元には及びますように

ハーネマン師匠お誕生日おめでとうございます!


2015/04/10

人生の一番いい時代

これまでのことをときどき振り返る
「あの時代が最高だったなー」と過去の栄光には全然すがりたくない
いつだって、今が過去より良くなっているようにありたい(経済的なことや物質的なことじゃなくて、自分の人間性について)

どんなときもわりと無我夢中に、というか無他夢中にやらせてもらっていたなー
幼児は弟の面倒
小学生は読書
中学生はソフトテニス
高校生は大学受験
大学生はダイビングとダイビング部
卒業してから、やりたいこと探し、お金を稼ぐこと、恋、外国文化etc...

人生において、なにか一つのことにとことん集中できるって、恵まれてることだなぁと思う
人生の性質からして、だってそれはなかなか難しいことなはず
人間関係、家事、社会との関わりetc.どんな瞬間も常に"それ以外"のことが存在してる

どんなに賑やかな場所にいても、ガチに集中してる瞬間はなんの音も聞こえない
匂いも暑い寒いの感覚も、ありとあらゆる5感が閉じている

これまでは主に家族のサポートのおかげで、集中したいこと以外はなるべく気にしなくていいような環境を整えていてもらったよう
お金のこと、食事や着るもののこと、落ち込んだときは心のケアまで

そのときからもうちょっとphysicalに時を重ね
いま
なかなか勉強のことだけに集中できない環境にいる
これはわたしの話
この環境、状況で集中できる人もいるはず
じゃあわたしはなんでできないか
意志が弱いのか
意欲が低いのか
集中力がないのか
いずれもだろうし、いずれにせよ
これはこんなわたしを良くするキャンペーン中にあるってことだろう

だってこれからもっともっと集中できないような要因が増えていくはず
結婚すれば家事も二人分
子どもができれば子どものことも増え
両親が年をとれば親孝行のときもやってくるし
自分だって年をとって身体の不調も増えるかもしれない
フクイチさんも未だunder controlの見通し立たず

だけど
集中できない!
といって目の前にいる患者さんを放棄することはできない
ドクターのように毎日コンスタントな勉強を欠かせば、きっと治療も失敗する
どんなときも、どんなことがあっても、診療をするときは目の前の患者さんにベストを尽くせる自分でいられるようにならないといけない

幸い、まだまだそんな要因が少ない今
どんなことがあっても、気持ちをその時々切り替えて、目の前のことに集中する力をつけていきましょう

暑いと思うのもわたしのこころ
辛いと思うのもわたしのこころ

Susceptibilityをどんどん変えてゆく
鈍くなるんじゃなくて
揺るがなくなってゆく

ホメオパシーの考え方は、人生にも通ずる
気がする
それはLaw of Natureだからなのかな?

でもなんでも一つのことを極めれば、きっと行き着く真理は一つ
な気がする

今のとこphytolaccaにウルトラhigh susceptibilityなわたしですが
良くなっていきますように

言葉を綴り始める前は、沖縄時代がほんとに最高だったなぁーと思ってたんだけど
それは確かに最高(awesomeのほうの)だったし、今のわたしの糧となっている日々だった
でもよくよく振り返ってみれば、なにかに熱心に打ち込んでいた時は(これまでの人生のほぼ全て)どれも良い時で糧になっていること間違いなし
楽しいことや嬉しいことより、悲しいことや辛いことのほうが鮮明に記憶に残っているわたしなので
ふと振り返ると大変なことばっかりだった気がするけど
でもたのしかったり、充実感やなにか喜びがあったから大変でもやってきたに違いなく
それもいつもやりたいことだけをやらせてもらえていて

「修業!修業!」
だいすきなおばちゃんの言葉

常にいろんなことがあるけれど、どうやらそれが人生というものらしいので
とりあえず今は今目の前のやるべきことに集中する

おやすみなさい

2015/04/07

Kan-yoh mode

なんか最近急に寛容になれる部分が増えたというか
なぞ!because of treatment??
一通ばっかでどんどん目的地から遠のいていく交通事情も、まぁいっか
わたしはビーチのきれいな南国にいきたいのに北国ばっかり旅行したがるオビさんにも、まぁいっか
Nice ACのフードコートで勉強してたら突然の"Are you Japanese?"質問おじさんも、まぁいっか

インドにきて最近良かったなーと思うのは
もちろんすばらしいホメオパシー医に出会えたこともだけど
自分がまーだまだであることに気付いたこと

Positiveに!

今までも頭ではわかってたつもりだったし
挫折や失敗の曲面で、思い出していたつもりだったけど
なんか自分のこと見えてなかったんでしょうね
今よりももっと
全然
さっぱり
それを若さというのかもしれないが

だから許せないことがいっぱいあった
優越感のパラダイス、謙虚さは溶けたアイス
自分は棚に上げて

インドにきて棚から落ちてきたものは
自分だったよう
わたしa.k.a.ぼた餅
Down to earth 

まーだまだなんだけど
でももっと素朴にできることあったなー
現時点で
ホメオパシーでまだ人を治せないけど
でも質問おじさんに笑顔で答えたりとか
オビさんと北国旅行たのしんだりとか
なんてことないことないんだけど
まだできてない自分がおりました

今までこれまであの人にこの人にぶつけてた厳しさとか、求めてた誠実さとか完璧さとか
はたと矛先を自分に向けて
人のふり見て我がふり直せ
とはよく言ったものです
目くそ鼻くそを笑う
のほうがすきだけど

遠くのあなたがしあわせだったらいいな
未来のあなたもしあわせだったらいいな
だけど、だから?
まずは今隣にいる人に、もしわたしにもできることがあるのであればそれを捧げたい

シャカリキにではなくて、するーっとできること


Hope is
どうしていけばいいのか知っていること

やるべきことがあるしあわせ
そのやるべきことに心おどるしあわせ

一通だらけのコルカタの街では迷うけど
No confusion in my life
今のとこ

よくなってゆくのみ
でも焦らずいくのだ


今日はなんかめちゃめちゃありがとうを言いたい気持ち
あーりーがーとー!

まぁまだまだまーだまだなんだけどね
それもまぁいっか
ルー大柴さん調もまぁいっか