お部屋の引越しをしてから、なぜだか熟睡にすさまじい食欲
成長期がやってきたのかもしれません
住む環境って大事なんだな
だれと暮らすかって大事なんだな
新しいルームメイト、ラクナ
のろくてとろい、要領悪く不器用
それでもわりと愛されキャラ
スリランカには人口のわりに大学があまりないらしく、進学しようと思ったら海外進出を考えないといけないらしい
ラクナのお母さんは、ラクナが生まれて初めてその手に抱いたとき「この子をお医者さんにしよう!」と決めたそうな
ちなみにラクナとお父さんとお母さんは恋愛の末の結婚(たぶんこの世代にしては珍しめ?)
そんなラクナはお母さんと毎日5回くらい電話をしています
朝起きた時
大学にいく時
授業がおわって大学から戻ってきた時
ねる前
そのほか
ある日の電話でラクナが「今日は部屋の模様替えがあってね、まいと同じ部屋になったよ」
まい(おー!わたしのことわかるのか!)
「◯◯先輩はこの部屋で◯◯といっしょで、◯◯先輩は…」
そのあと、女子寮のみならず、男子寮の模様替えまで説明
スリランカ人の先輩だけじゃなくてバングラディッシュの先輩、ネパールの先輩についても実名を出してもれなく説明
まい「ラクナ、お母さんそんなにみんなの名前わかるの?」
ラクナ「うん、わたしがなんでも話してるから。お母さんはわたしのことなんでも知ってるよ。 毎日なに食べたかとかだれとどこにでかけたとか、なんの授業を受けたとか…」
まい「ねぇ、それってうざくないの?」
ラクナ「どうして?」
まい「日本ではある程度大きくなったらそんなにお母さんに話さないし、お母さんも聞かないよ」
ラクナ「スリランカではこれが愛情表現なの。連絡がこないと逆に悲しくなるよ」
まい「ひょえー日本と全然ちがうね」
ラクナ「でもうちのお母さんはスリランカの中でも特別なの。わたしが生まれるまで仕事をしていたけど、わたしが生まれてやめたの。ほかの誰かがわたしの世話をするのがイヤだったんだって。わたしのためにやめたんだよ。今もわたしが長期休みに実家に帰ると、たくさんお母さんお手製の洋服が準備してあるよ」
まい「じゃあ太れないじゃん!」
ラクナ「ううん、しょっちゅうお母さんが電話で太ったかやせたか確認してくれるから大丈夫」
(ラクナはコルカタにきてからビスケットの食べ過ぎで激太りした)
ラクナ「それに、スリランカから帰るときはわたしのすきな食べ物をいっぱい作ってもたせてくれるんだよ。わたしの分だけじゃなくて一緒に帰る友達の分も」
まい「お母さん空港で泣かないの?」
ラクナ「号泣するよ。弟(スリランカの大学で工学部に通うできやー)がいっつも慰めるのが大変っていってる。ふふふふふ」
(ラクナの弟は日本の工学部に入学する奨学生に合格したんだけど、姉もインドにいってしまって家が寂しくなるからとスリランカに残ることに決めたそう)
思えばラクナは自分がビスケットを食べ始めるとき、必ずまずわたしにくれようとする
ご飯もくれる
チョコのバーとかも二つにわってくれる
(そんなに物欲しそうにしてるわけじゃないと思うけど…)
チャイも作ってくれる
この前、同じ部屋の中で先輩に激謝りしていたラクナ
どうしたのかと聞くと
先輩にスプーンを貸してと言われて貸したけど、自分もチャイを作りたくて、使い終わったら返してねと言ったらしい
その一言を涙を流して悔やんでいた
「なんであんなこと言っちゃったんだろう」
わたしは目が点である
なにがいけないのか全くわからない
ラクナ的には一度貸したんだから相手に委ねるべきだ
”ものを貸す時は、あげるつもりで貸しなさい”みたいなこと?
でもあとからラクナのお母さんの話を聞いたりして、なんか今までのいろーんなことに納得
世界中、人それぞれいろんな愛し方があると思う
これがいいとか悪いとかそんなのは全然わかんない
でもラクナの話をきいて、なんてまっすぐに愛し愛され合う人たちなんだろうと思った
愛情表現がほーんとにまっすぐ
気にかかるときは電話をかける
愛しているから、ご飯もいっぱい食べさせるし、洋服も作る
涙を流して別れを惜しむ
そうやって愛されたラクナは、そうやって人を愛すことができる
ラクナだけじゃなくて、前のルームメイトの子もたしかに親に愛されているということにとんでもなく揺るがない自信を持っていた
'my father is loving me so much'
まっすぐな表現は愛情だけじゃなくて、全ての感情についてなので
やっぱりびっくりするときも未だにあるし、めんどさく思うときもある
日本人の引き算の美学、耐えて忍ぶ美しさがすばらしいなと思うときもある
それでもやっぱりラクナの話をきいてすてきだなぁと思いました
たとえばわたしだったら、そんなにしてもらうことに「申し訳なさ」を感じる
わたしのために仕事をやめたお母さん
やりたいこともあっただろうに、なんか悪いなぁ
両親を思って日本の大学で勉強するという絶好の機会をけった息子
わたしがお母さんだったら、寂しがり屋のお母さんでごめんねという気持ちに
でもラクナをみているとそんなことは感じていなさそう
「ありがたい」というよりもただただ「ありがとう」
そして純粋にその行為を「うれしく」思う
まっすぐ心に愛をためる
屈折させることなしに
インドに最初に来た時「ありがとうなんて言わないで」とよく言われたし
インド人がまったく「ありがとう」と「ごめん」を言わないことにびっくりした
でも今ならその感覚もちょっとわかる
友達なんだから当たり前じゃん
愛してるんだから当たり前
そんな生き方
マザーテレサが好んだ聖フランシスの祈りに
「自分に死ぬことによって、自分を見出し
自分自身に死ぬことによって、永遠の命をいただくのですから」
という一節があって
若い頃はチンプンカンプンだった
でも母親の愛ってまさにこれに近いのではないかと思う今日この頃
自分を超えてだれかを愛する
無償の愛
すてきだなー
女でよかったな
そんなお母さんになりたいな
しかしビスケットの食べ過ぎには気をつけないといけないな
成長期がやってきたのかもしれません
住む環境って大事なんだな
だれと暮らすかって大事なんだな
新しいルームメイト、ラクナ
のろくてとろい、要領悪く不器用
それでもわりと愛されキャラ
スリランカには人口のわりに大学があまりないらしく、進学しようと思ったら海外進出を考えないといけないらしい
ラクナのお母さんは、ラクナが生まれて初めてその手に抱いたとき「この子をお医者さんにしよう!」と決めたそうな
ちなみにラクナとお父さんとお母さんは恋愛の末の結婚(たぶんこの世代にしては珍しめ?)
そんなラクナはお母さんと毎日5回くらい電話をしています
朝起きた時
大学にいく時
授業がおわって大学から戻ってきた時
ねる前
そのほか
ある日の電話でラクナが「今日は部屋の模様替えがあってね、まいと同じ部屋になったよ」
まい(おー!わたしのことわかるのか!)
「◯◯先輩はこの部屋で◯◯といっしょで、◯◯先輩は…」
そのあと、女子寮のみならず、男子寮の模様替えまで説明
スリランカ人の先輩だけじゃなくてバングラディッシュの先輩、ネパールの先輩についても実名を出してもれなく説明
まい「ラクナ、お母さんそんなにみんなの名前わかるの?」
ラクナ「うん、わたしがなんでも話してるから。お母さんはわたしのことなんでも知ってるよ。 毎日なに食べたかとかだれとどこにでかけたとか、なんの授業を受けたとか…」
まい「ねぇ、それってうざくないの?」
ラクナ「どうして?」
まい「日本ではある程度大きくなったらそんなにお母さんに話さないし、お母さんも聞かないよ」
ラクナ「スリランカではこれが愛情表現なの。連絡がこないと逆に悲しくなるよ」
まい「ひょえー日本と全然ちがうね」
ラクナ「でもうちのお母さんはスリランカの中でも特別なの。わたしが生まれるまで仕事をしていたけど、わたしが生まれてやめたの。ほかの誰かがわたしの世話をするのがイヤだったんだって。わたしのためにやめたんだよ。今もわたしが長期休みに実家に帰ると、たくさんお母さんお手製の洋服が準備してあるよ」
まい「じゃあ太れないじゃん!」
ラクナ「ううん、しょっちゅうお母さんが電話で太ったかやせたか確認してくれるから大丈夫」
(ラクナはコルカタにきてからビスケットの食べ過ぎで激太りした)
ラクナ「それに、スリランカから帰るときはわたしのすきな食べ物をいっぱい作ってもたせてくれるんだよ。わたしの分だけじゃなくて一緒に帰る友達の分も」
まい「お母さん空港で泣かないの?」
ラクナ「号泣するよ。弟(スリランカの大学で工学部に通うできやー)がいっつも慰めるのが大変っていってる。ふふふふふ」
(ラクナの弟は日本の工学部に入学する奨学生に合格したんだけど、姉もインドにいってしまって家が寂しくなるからとスリランカに残ることに決めたそう)
思えばラクナは自分がビスケットを食べ始めるとき、必ずまずわたしにくれようとする
ご飯もくれる
チョコのバーとかも二つにわってくれる
(そんなに物欲しそうにしてるわけじゃないと思うけど…)
チャイも作ってくれる
この前、同じ部屋の中で先輩に激謝りしていたラクナ
どうしたのかと聞くと
先輩にスプーンを貸してと言われて貸したけど、自分もチャイを作りたくて、使い終わったら返してねと言ったらしい
その一言を涙を流して悔やんでいた
「なんであんなこと言っちゃったんだろう」
わたしは目が点である
なにがいけないのか全くわからない
ラクナ的には一度貸したんだから相手に委ねるべきだ
”ものを貸す時は、あげるつもりで貸しなさい”みたいなこと?
でもあとからラクナのお母さんの話を聞いたりして、なんか今までのいろーんなことに納得
世界中、人それぞれいろんな愛し方があると思う
これがいいとか悪いとかそんなのは全然わかんない
でもラクナの話をきいて、なんてまっすぐに愛し愛され合う人たちなんだろうと思った
愛情表現がほーんとにまっすぐ
気にかかるときは電話をかける
愛しているから、ご飯もいっぱい食べさせるし、洋服も作る
涙を流して別れを惜しむ
そうやって愛されたラクナは、そうやって人を愛すことができる
ラクナだけじゃなくて、前のルームメイトの子もたしかに親に愛されているということにとんでもなく揺るがない自信を持っていた
'my father is loving me so much'
まっすぐな表現は愛情だけじゃなくて、全ての感情についてなので
やっぱりびっくりするときも未だにあるし、めんどさく思うときもある
日本人の引き算の美学、耐えて忍ぶ美しさがすばらしいなと思うときもある
それでもやっぱりラクナの話をきいてすてきだなぁと思いました
たとえばわたしだったら、そんなにしてもらうことに「申し訳なさ」を感じる
わたしのために仕事をやめたお母さん
やりたいこともあっただろうに、なんか悪いなぁ
両親を思って日本の大学で勉強するという絶好の機会をけった息子
わたしがお母さんだったら、寂しがり屋のお母さんでごめんねという気持ちに
でもラクナをみているとそんなことは感じていなさそう
「ありがたい」というよりもただただ「ありがとう」
そして純粋にその行為を「うれしく」思う
まっすぐ心に愛をためる
屈折させることなしに
インドに最初に来た時「ありがとうなんて言わないで」とよく言われたし
インド人がまったく「ありがとう」と「ごめん」を言わないことにびっくりした
でも今ならその感覚もちょっとわかる
友達なんだから当たり前じゃん
愛してるんだから当たり前
そんな生き方
マザーテレサが好んだ聖フランシスの祈りに
「自分に死ぬことによって、自分を見出し
自分自身に死ぬことによって、永遠の命をいただくのですから」
という一節があって
若い頃はチンプンカンプンだった
でも母親の愛ってまさにこれに近いのではないかと思う今日この頃
自分を超えてだれかを愛する
無償の愛
すてきだなー
女でよかったな
そんなお母さんになりたいな
しかしビスケットの食べ過ぎには気をつけないといけないな
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