2014/12/07

インド人と効率化、それからインドでホメオパシーを学ぶデメリットにもmention

blogに言葉をつづるとき
というよりは言葉を吐き出して(掃き出して)いるときは
話したいことを話せる相手がみつからないときか
落ち込んでるとき
もしくはめちゃめちゃblogへのモチベーションが高いとき

ということで、どうやらわたしのblogに描かれているインド人は
やなやつ!?

ごめんね、インドのみなさん

わたし個人としては、全然そんなふうには思っていなくて
だれでもいいやつモードのときもあればやなやつモードのときもあるし
ていうかこれまでの生活、どれほどインド(特にコルカタ)の人に助けてもらってきたことか

最近インドの運転免許証をgetしたけれど、それだって「郎」とtattooを入れたインド人のお兄ちゃんの助けなしには成し得なかったことで
ほんとにこれまでの生活は、名前も知らないたくさんのインド人たちのいいやつ部分の大発揮のおかげで成り立っています

この場を借りて、お礼申し上げます
てんきゅー!(thの発音はしっかりと)


インドでホメオパシーを勉強することを決めたのは
「インドのホメオパシー教育は世界一」
という情報源も信憑性も全く定かではない情報を鵜呑みにした、わたしの持ち前のバッファローもびっくりな勢いを発揮したからではあるのだけれど
(バッファローって水牛。買うとめっちゃ高いらしいよ!)

ようやくホメオパシーをちょいとかじって、いろんなホメオパスの方と出会って、インドにいながらにして世界とつながれるネット環境に恵まれて
気付いたことは
「インドのホメオパシー教育は世界一であり、またそうでもない」
ということ

禅問答か


インドでホメオパシーを勉強するメリット
  1. 英語で勉強する力がつき、英語で書かれた文献を読める。=翻訳を待たずにたくさんの文献に触れることができること
  2. 解剖学(人体解剖込み)、生理学、組織学、法医学、毒学、外科、産科、小児科、内科とthe医学な科目を学べること(しかも英語で)
  3. そしてそれらの科目がホメオパシー医師によって教えられていること。例えば組織学で「炎症」が授業のテーマであれば、先生が科学的に炎症を説明したあとに、「〜という薬(ホメオパシーの)は炎症に使えるよ」とちゃんとホメオパシーと結びつけて教えてくれるところ。
  4. 患者とホメオパシー医師の数の圧倒的な多さ。診断と治療の過程を毎日いやというほど、学ぶ機会がある
  5. 実際に治癒を起こすホメオ医師に格安(破格)で治療を受けさせてもらうことができる=自分のホメオパシーへの確信とモチベーションが高まる
  6. 安いホメオパシーの本と薬が手に入る
  7.  授業料、生活費も安い
  8. インド人ホメオ医師とのコネクションができる(特に外国人は珍しいから、わりとかわいがってもらえる)
  9. インド人有名ホメオ医師のセミナーを格安(時に無料)で受けることができる
  10. 専門知識豊富な教授たちがすぐ身近にいること。日常的にかなり細かい質問ができる。
 インドでホメオパシーを勉強するデメリット
  1. case takingは主に英語ではなくベンガル語(コルカタでは)、ヒンディー語。そのため、新たに言語を学ぶ必要がある。(会話能力のみ。読み書きはいらない)
  2.  自分が意識して情報を集めないと、インド以外の情報はほとんど入ってこない
  3. 日本に帰った時に、case takingのやり方は日本人向けstyleに改良する必要があると思う(インド人は、一つの質問に対して30倍くらい答えてくる)
  4. 一見無駄だと思える勉強以外の作業が多い(試験のときに提出する実験ノートに一体どれほどの時間と紙とインクを費やしていることか!)
  5. ホメオパシー以外の次元でのインド特有のチャレンジが多い
  6. インドに5年半暮らさなければいけない

こうやって眺めてみると、思ったよりメリットが多い!
よかったね、わたし笑
デメリットは無意識的に意識の外に追い出しているかしらん?

今日本にいる(もしくは世界にいる)たくさんの人がホメオパシーの最短で最適で最高な教育を求めてさまよっているのではないかという気がします

現に日本の学校をはしごする人もいるみたいだし
日本での教育のあとに、世界のlegendの教育に挑戦する人もいる

インドでの教育はめちゃめちゃクラシカルで(褒め言葉)、文献に忠実で(実践はともあれ)
ただ一方やはりインドの生活様式と日本の生活様式にかなり違いを感じるわたしとしては
こんなにコテコテクラシカルstyleで、こんなに近代化しちゃった日本人も治癒するのだろうか?みたいな疑問が漫然とあって
それにはいかに近代化しているかを知らないインドの教授たちには答えられないのではないかなぁと思う(言葉で説明できなくても治癒は起こせるのだろうけど)
(たとえばわたしが授業でOrganon of medicineを読んでいて疑問に思うことを、インド人の同級生は疑問に思わなかったり)(なんていうのだろう、過去にタイムスリップしたかんじ。明治時代の人にiPhoneの電磁波って健康に影響ありますか?ってきくかんじ)
だから近代化の生活の上に生きるホメオパシー医師にも教えを乞いたいなぁと思うところもあって
それは今すぐではなくて、インドで基礎をしっかり打ち立てられてからにしようと思っておりますが(心配しないで!お母さん)

わたしが最近はまっているのはProfessor. Vithoulkusというギリシャのlegendホメオパスで
インドでも3年ホメオパシーを学ばれたそうですが(当時のインドのホメオパシー教育にがっかりもしたそうですが)
彼は自分のことを「self-made」といっていました
1日12時間ホメオパシーの勉強を12年間したって!
http://hpathy.com/…/george-vithoulkas-interviewed-dr-manis…/

どこで勉強しても完璧ということもないし、完全にマスターするということもできないんではないか
それは成し得るのは「完全にマスターするまで」己で努力を続けていくこと以外にないのではないか
こたえは自分で探求する以外ないってやーつ?

それから、デメリット4に書いたように、インドでの教育体系は「効率」とは程遠い
そしてそれはわたし的に、顔にしわがよるかんじ
もちろん笑いじわじゃないやつ

正直始めはそれにかなり苦しんだ
なんでこんなに待たなきゃいけないの?
なんでこんな意味ないことしなきゃいけないの?
しかしここインドでは効率化推進派は唯一、わたし
大多数の、というかわたし以外みんなの非効率的な流れを変えることは、最も非効率
効率的に、非効率なことに身を委ねなければいけなかった日々

いつの間にかそれを受け入れていた2年目が終わった帰国にて
インドのバリバリwomenヴァンダナ・シヴァさんの映画に出会う
「いのちの種を抱きしめて」

インドは高い志のもと「効率化」という近代が生んだ一見よきものとされる概念を拒んでいるのだと知る

そのあと読んだ食品の裏側―みんな大好きな食品添加物がようやくしっくりくる
添加物は「だれでもムダなく同じ味が簡単に作れるように」という目的のもとで活躍する
原料から仕込むスープのおいしいうどんのお店
その味は大将じゃないと生み出せないのでは、手間も時間もかかるし、いっぱいは売れないし、その割に儲からないってことで、添加物でスープを作り出す
添加物スープはだれでも簡単に作れる
お店は支店をだす
しばらくは繁盛する
それはかたい言葉で言えばきっと一般化と効率化
「だれでもムダなく簡単に」

でもそれってどうなんだろう?
便利なときもある。助けられるときもある。
だれでも知ってるように、添加物はもちろん身体にいいものじゃない
それをお金をもらって人に食べさせるということ
それよりなにより、どうしてうどん屋さんをやっているんだっけ?
大将、それを売って生きる人生の意義は?

だれでもムダなく簡単にできること
便利ではあるけれど、そこに深みは少ないのではないかと思います

Easy come, easy go
easyじゃないことに取り組んでいるとき、よく浮かぶことば
助けられることば

効率がよくないところから、本物が生まれるんだと思います
効率のよくない歩みが、真実に近付くんだと思います

思い返せば
効率まるで無視の父と
効率よすぎる母と
その間で育ったわたしは、どちらにイラつくこともあり、どちらに助けれらることもあり
結局それはよくある結論「バランス」に辿り着いちゃうようだけど

学校というのもきっとそういう効率化の生んだひとつで
インドでは毎年すさまじい数のホメオパシー医師が、大学の5年半の教育課程を終え、産出されている
その中から高い確率で治癒を起こす医師は100人に1人くらいだそうです(Dr. Sarkar sirのざっくばらんなお話より)
わたしの学年は91人なので、ざっくりいってこの中から1人

一方、非効率の例としては
大学で教育を受けず、ベンガル語で書かれたBoericke MMをもとに診療する超田舎のレイホメオパス(医師の資格を持たないホメオパスにことこう呼ぶらしい)
彼らはそのホメオパシーに関する叡智を、臨床から学ぶそう(先輩の話によると)
それでも高い確率で治癒を起こす人も確実にいるって(しかも2〜5ルピーしかとらないって!薬代を含めて)(わたしの唯物論的計算ではどう見積もっても利益はマイナス〜2ルピー程度)

効率を求めた結果、効率が悪く
効率を無視した結果、効率が良い
という皮肉な現代を嘆きたいのではなくて
「効率すばらしい観念」は、この際インド人のようにまるっと無視して(ていうか知らない!?)
結果、ひとりひとりがその中でなにを学んだのか
てことでしょうか、shivaさん?

長い間思考をあたため過ぎて発酵しちゃって、においそうなくらいの内容になってきたぞ
あっちこっちに飛びすぎて、うーん見事に効率の悪い文章
Indian style
(あ、また悪口か!?いえ、今日は効率無視ばんざいblogなので良い口です)

そもそも「良い」「悪い」っていうのはかなり個人の主観によるもので
というかだれかの損得によって決まる概念なのではないかと思うので
たとえば、わたしにとって助けてくれるインド人は良いやつで
困らせてくれるインド人は悪いやつ
効率が良い悪いってのも、その流れを支配しようとする人の言葉なのかも

だいたい自分をベースにしか語れないからね
そりゃそうか

今日の気合のまとめ

ひとつ、効率がよくなさそうなところに本物の学びがあるのかもしれないこと
ひとつ、インドの、インド人の深さに触れるには、効率のよくなさすぎる出会いや経験を経る必要があるのかもしれないこと
ひとつ、わたしはわたしの学びを効率という概念は吹っ飛ばしてもくもくとやるのです

そして、良い悪いっていう概念は個人に委ねられ過ぎてて定義できないけど
すごいインド人はほんとにすごい!ってこと

もちろんホメオパスとして成功したいけど、
わたしはわたしの人生を通してなにを学ぶのか
ホメオパシーを通して生きる道でどれだけ深く学べるのか
そういうことなのかもしれないなって気がした満月の夜

いっつも内面ばかりを描いていますが、もうちょっと表面的な事象にも触れるようなblogも書けたらいいのかな
書けるときに書きますぴょーん

1 件のコメント:

  1. わかります。。わたしも大昔ICCRでシャンティニケタンにいました。。がんばってね!
    ちなみにベンガル人と効率化って、そんなに悩ましい問題ではないような。

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