2014/12/27

変える

たぶん今自分を変えるべきときなんだと
いつにもまして思う

これまでやってきたやり方ではうまくいかない
そんなときがきた

こつこつたんたんと生きることが最も苦手なわたしでありますが
今こつこつたんたんと生きる必要を感じます

インドでホメオパシーを勉強するということは
決して簡単な挑戦じゃない
簡単な気持ちでここにきたとしても
元から英語が堪能だったわけでも、インドマスターであったわけでも、ホメオパシーに精通していたわけでもない一人の人が
ここで勉強するということ

ようやくその挑戦の重みを客観的にとらえられるようになったというか
(おそっ)

それでも興味関心が相当薄かった料理を自分で毎日するようになったりとか
ノート英語でわりととれるようになったりとか
baka positiveにとらえれば、ちゃんと成長してるとこもある

わたしはなりたいどんな人になんでもなれる
と思う

今日うまくできなくても
明日がくるという希望
変われるまで何度でもチャンスはやってくる

自分を変える

できないよりはできたほうがいい、なんだって

ずっとこつこつ生きなくても
こつこつモードで生きる必要があれば、そうやって生きることができるように

ホメオパシーを勉強しにきたのか
自分を変えにきたのか


自分を変えながら、ホメオパシーを勉強する
ホメオパシーを勉強しながら、自分を変える

わたしといっしょに成長するわたしのホメオパシー
わたしといっしょに良くなれわたしのホメオパシー

また明日がきます!
期待と希望でいっぱいの

変わる!

2014/12/21

ラクに生きる

めいっぱいおしゃれをしておでかけしても
感動的な映画をみても
新たに友だちをつくっても
彼氏としゃべりまくっても
旅行にでかけたところで

わたしの現実はなにも変わらない

その場しのぎにはなるし、気も紛れるけどね

目の前の現実はなにも変わらないばかりか
待たせることでもっと重みを増すみたい

ベッポおじさん のように、目の前の今に集中して心をこめてできることをやる
それしかないんだ
確実な方法
地味だけど
根気もいるけど

遠ざけているより、よっぽどラクになる

向き合うしかない

たとえば5万個のレポートを提出するという課題があって
計算したらどう頑張っても生きている間におわらないとする
どうせやりとげられないんだったら、やらなくてもいいやーとあそびまくって生きる
より
それでもレポートをえっちらおっちらムラはあるにしてもその都度懸命に書き続ける生き方
のほうがわたしはラクだ
怠け癖に何度も引き寄せられそうになるけども

理想は先にあるものではなくて、現実から生まれるもの
現実なしの理想は妄想

マハトマ・ガンディーさんがほんとにすごかったのは
自分の生活を一番質素な人たちに合わせたこと

いろんな社会問題を変えようと行動する人たちはいるけど、
そのうちどれくらいの人が実際に助けようとしている人たちと生活をわかちあえているのだろう
上から目線ではなく

だからマハトマ・ガンディーさんはあれだけの人を動かすことができたんだと思う
そしてインドは物質的かつ精神的支配から独立した

ガンディーさんのように、わたしには日本は変えられないでしょう (高校生の頃に夢みていたのが懐かしい)
でもわたしはわたしの現実を変えられる
わたしの未来を変えられる
今のわたしの小さな意志力の発動が、これから先を変えていく


「こんなに成功したいと思ったの初めてだなぁ」と話したら
「それはまいが女だからだよ」と言われた
「男はいつも成功したいと思っている」と

かなり男勝りで、というか性別という垣根を自分の中に設けずに(というと聞こえがいいかもだけど、ただ自分の性を意識することなしに)ここまで生きてきたと自称するけど
そうか、やっぱり女なんだなぁと思う

女性じゃなくて男性に生まれていたら。。。
と思ったことはなくもないけど
でも女に生まれてよかったんだと思う
女性にしかできないことがあるから
それが今の私の生に必要な性であると感じるようになったから

つまるところ。。。。
今のわたしに必要なのは一に勉強、二に勉強

どこに暮らしても、なにをしていても
辛いことはある
人生はそういうふうにできている

そう、
わたしを救うのはわたしだ

”ここに置かれた私たちが、この世で成すべき使命とは、自分を救うことなのです!まず自分を救いなさい。そうすれば、神は人を救うための道具としてあなたをお使いになるでしょう。これが自分に正直になるということではないでしょうか?自分を救う以前に、世界を救いたいと思っている人はたくさんいます。というのも、神を求める人からこういう手紙をよくもらうからです。「私には、神から与えられた偉大な使命があると、私は知っています。」この人たちにこう申し上げたいのです。「その通り、その偉大な使命とは『自分』を救うことです!”
ーOnly love by Sri Dhaya mata

よくなるイメージを持ち続けて
自分にあきらめずに生きていこう

2014/12/20

スリランカの女の子と日本の女の子

これまで幾度となく変わった部屋にともない、ルームメイトは今の子で3人目
下級生のわたしに選択権はなく、空いているところに押し込まれるのだけれども
今回のルームメイト、ムッドゥdidi(didiはお姉さんという意味)は。。。
わたしの同級生のウダリが彼女と相部屋になることが決まると号泣し、
同じく同級生で、最もゆるゆるのラクナが相部屋を試みたところ、「もう二度といや」宣言をさせてしまう強者であります

それ以上にわたしが強者だなぁと思うのは
双子のインド人の男子を手玉にとり、両方に期待をもたせ今日まで過ごしてきたこと4年!

スリランカはかかぁ天下な国なのか、彼女の男子の取り扱いはまじですごい!
雑用は基本全部男子にやらせる
たとえば、携帯電話のリチャージ(インドは基本プリペイド)とか
ミネラルウォーターを買っているんだけど、その注文とか(電話するだけ)
電動バイクで寮と大学間の送迎はもちろん
ちょっとでも遅れると電話しまくるし
男の子が電話をあまりかけてこないとお説教が始まるし
双子だから通常の2倍、彼女のもとに電話がかかってきます(試験前は若干これにわたしが病んだ)

でもそれはこのルームメイトだけじゃなくて、
同級生スリランカンカップルのチャットラ(♂)とナイニカ(♀)の場合
二人とも同級生だから全く同じように授業があるのに、朝チャットラはおニューのバイクでナイニカを大学に送り届けると、帰宅
ナイニカの授業をおわると、またバイクで大学にでかけ、ナイニカをpick up
それを1日最低2回を月〜土曜日まで
頭が下がる献身具合
ていうかチャットラ授業は?っていうなぞは残りますが

女の子がすごい権力を握っているようで
でももしかして女の子たちは男の子を教育しているようにもみえて

男女関係にもいろんなスタイルがあるんだなぁと

(インドはもうちょっと女の子が献身的、若いときは)


そして、日本の女の子

全然ホメオパシーと関係ないけど(いつもあんまり関係ないけど)
日本人は男性も女性も結婚前によくあそぶ(ように心がけている?)
まるで結婚したら、やりたいことはもうなにもできないというように、結婚までの時間を過ごしてる

一方、インドやスリランカに限らず、わたしのまわりのいろんな国で育った友だちは
わりとあっさりと、すんなりと結婚している

インド人でも学生の間に結婚してる子は意外といて、婚約してる子はもっといて
なんというか
結婚がもっと自然なもの、当たり前なもの、当然なこと
であると同時に
すごくたのしみなもの
というかんじ
恋の先にまっすぐ結婚があって、自分たち自身の新しい人生がある

日本では結婚というより結婚式がたのしみというかんじ

いつから日本では結婚に対するこういう観念が浸透したのかな?
とはいっても結婚したことないから、実際のところそれがほんとなのかちっともわからないけれども
どうなんでしょうか、先輩方?

結婚することで、もっと自分の可能性がひろがって
もっと生きたいように生きれて
それは自分だけじゃなくて、パートナーにとっても
そんな結婚ってないのかなー?

インドでは結婚するまで同棲なんてほとんどありえないだろうし、公にはmake loveはご法度で
初夜はお母さんがシーツを確認しにくるとかこないとかという話もあるくらい
だから結婚によって、二人の付き合い方が大きく変わる

でも今の日本ではあんまりそんなことはなく

そういうこともあるのかなぁ

Mahatoma Gandhi jiはこういいました

愛のあるところに、人生がある


もちろん結婚だけが愛のカタチではないのだけれども!

わたしのまわりには結婚してたくましくなる姉貴や
結婚してしっかり人生を歩むもとふわふわくんとかがいて
なんかすてきだなーと思う

さて、ついでにだけどblogをちょこっと改造しamzonの検索boxをつけました
ここから検索したり、このページのリンクからとんで、お買い物していただくと
インドでホメオパシーを勉強する学生奨学金に寄付されます!(今のところ、該当者はわたしだけですが笑)
よろしくダンニャワード♡

これまでのところ、みなさまの愛でわたしのlifeはできています!

2014/12/18

インドの女の子

日本はすっかり寒そうですが、コルカタにもようやく冬(らしきもの、日本の秋程度)がやってきました
おかげで髪の毛は一週間に一回洗えば十分
そんなかんじです(ひいちゃう?)

髪の毛は栄養をためているから、妊娠中と授乳中は髪をのばしていたほうがいいんだって!
インドの女子は、かなり髪の毛勝負なところがあって
長くて太くて黒々とした髪の毛が最高(オイリーでもフケがなければ問題なし)
クラスメイトたちをみていると、たしかに健康度をはかるひとつの指標なのかもなぁと感じたり(良い毛の子はすごく健康そうだし、そうじゃない子は心配になる)

その執念たるやすごくて、以下女の子の話
  1. 子供のときに何度も坊主にして、良い毛を生やす(むしろまっすぐな毛が生えてくるまで坊主にし続ける)
  2. 髪はそんなにしょっちゅう洗わない(一週間に一回はわりと普通)
  3. シャンプーをする前の日にオイルを頭皮と毛にぬる(主にココナッツオイル)
  4. 勝負の日はサラサラの髪をおろして挑む
仲良しのJyotiは、これまでかなりインド伝統スタイルを守って生活してました
服装はインドの女子の3点セットクルタ、パティアラ、ドッティ
ベジタリアン
部屋にはグルの写真
男子とのボディタッチは極力避ける(握手も可憐にかわす)
眉毛も含めて体毛のお手入れ一切なし

地方からやってきた女の子たちの多くはコルカタにきて、インドなりの垢抜け方をしていきましたが
断固変わらないJyoti

なんとそんな彼女も3年越しの片思いを実らせ
腕の毛のお手入れに始まり
少しずつ変革を見せていたところ

玉砕

今はジーパンをはきパーカーを着て
「あの失恋からわたしのなにかが変わったわ」
と言い捨てる始末

本人いわく「もう恋はしないし、将来結婚はする気はない」とのこと

ピチピチのクラスメイトたちを傍観している若干おばさんfrom Japanは、自分がしているときは気付かない変化を同級生たちに見せてもらっています

最初はガリガリだった子たちが、だんだんふくよかになって
大多数のインドの熟女たちの体型に近づきつつあること
環境の変化なのか?ホルモンバランスの変化なのか?
とか

Jyotiみたいに初めての恋で変わっていく様子とか

でも彼女は芯がしっかりしているので、今はジーパンでもきっとまたインドの伝統スタイルに戻ってくるような気がする
伝統的なことが必ずしもいいというのではなくて、なんというか
インドの女子にはジーパンよりもインドの伝統衣装のほうが断然似合う!

それを見ていると、わたしも不安になりますね
ジーパンはいて西洋化したカッコをしている姿は、もしや本場の方からしたらちんちくりんなのではないかと。。。

子どものときは親子ものの映画に弱くて、一番最初に泣いた映画はライオンキングで次はアルマゲドンだったけど
最近はLes Misérablesのコゼットのお母さんに一番気持ちが入っちゃって
やはり年を重ねてるんだなぁと思う
年齢相応かはわからないけど、いろんな経験をさせてもらってきたなぁと
て、あれ?もはやコゼット世代を通り越しちゃったのか!?

『成功』というテーマの啓発本は世の中にいっぱいあって、すごく聞き馴染みのある言葉だけど
今までそのキーワードにひかれたことがなかった
でも最近「成功したい」と思う、たぶん生まれて初めて(文化祭の成功とかを除いて)
不安だからなのか?未知だからなのか?
未知だから不安なのか?

でもどんなレジェンドホメオパスも一夜にしてできあがったわけじゃない
George Vithoulkusは1日12時間のホメオパシーの勉強を12年間したそう
”George Vithoulkusは1日にして成らず” 
これが目下のテーマ

焦ってもしかたがなく、確かな1日を積み重ねてゆくのみ
と、自分を勇気づけ!
2014年も終盤

Jyotiの結婚式には日本からでも参加する予定!

2014/12/08

目の上にきゅうり

ルームメイトのスリランカ人の女の子は
小さいころから眼鏡をしていたそうで、そのせいで最近なにか目の手術を受けました
手術後、毎日目薬をしなきゃいけないんだけど。。。
自分で目薬ができない27歳女子!

日本の女子はほんとに自立しているなぁと思う
よくもわるくも?

そのスリランカちゃん、疲れたのか、きゅうりを切ったものを目の上に置いて横になっていました
スリランカはインドよりもアーユルヴェーダ大国らしいので
ほえーっと思って眺めていたのだけど
いつしか彼女爆睡

わたしもそろそろ横になろうとしたとき
したとき!

おもむろに彼女の手がきゅうりにのびて
きゅうりをつかむと
つかむと
そのまま
口へ!!!!!!!!
もぐもぐもぐ ごっくん

久しぶりの衝撃いただきました

子どものころ、幼稚園か保育園にいくのは親の意思に委ねられ、そのあと小学校、中学校、高校と通うことが前提で進学し、大学もそれほど考えず進学
特に日本の学校では「みんなおんなじ病」が蔓延していたので
例にもれずわたしも患ってました、特に中学生
みんなと同じ白い靴、白い靴下、おかっぱ頭にママチャリ
その同じ中でも微妙な差を求めてたつもりだったけど、今思えば笑っちゃうくらいほぼおなじだったなぁー

大学卒業くらいから、それぞれの人生が始まって
就職する人、さらに進学する人
転職する人、結婚する人、旅にでる人
大学に通い直す人、子育てする人、勤め続ける人

人生のバラエティが豊富になって

普段それぞれいろーーーんな場所でそれぞれ大きく豊かに成長していく友だちとたまに会えるのは、ほんとにうれしい
会えなくても、言葉を交わせるだけでもね

わたしが選べなかった人生を
わたしが与えられたものとは異なる人生を生きる友たち

それぞれが生きる人生を少しずつわかちあって
もっと豊かにしてもらってるわたしの人生

結婚して、かえって落ち着いたよーと話してくれる友だち
産褥期の模様を伝えてくれて、わたしまで産褥期モードにしてくれる友だち
サラリーウーマンとして頑張って、まったくわたしがしない経験を話してくれる友だち
自分の葛藤を伝えてくれてわたしも自分のこと考え直す機会をくれる友だち
メールだけなのに沖縄からほっこりを届けてくれる友だち
人生の苦い大事な大事な経験をこんな小娘に伝えてくれる先輩がた

なにげない、本人はきっと覚えてないようななにげのない言葉が
意外にわたしの人生を導いているような

はやくわたしもホメオパシーを分かち合うことができますように

ありがたやー友だち!
いつもありがとーだよ、ほんとにw

はい、わたしも喜んで目薬をさしますとも!

2014/12/07

インド人と効率化、それからインドでホメオパシーを学ぶデメリットにもmention

blogに言葉をつづるとき
というよりは言葉を吐き出して(掃き出して)いるときは
話したいことを話せる相手がみつからないときか
落ち込んでるとき
もしくはめちゃめちゃblogへのモチベーションが高いとき

ということで、どうやらわたしのblogに描かれているインド人は
やなやつ!?

ごめんね、インドのみなさん

わたし個人としては、全然そんなふうには思っていなくて
だれでもいいやつモードのときもあればやなやつモードのときもあるし
ていうかこれまでの生活、どれほどインド(特にコルカタ)の人に助けてもらってきたことか

最近インドの運転免許証をgetしたけれど、それだって「郎」とtattooを入れたインド人のお兄ちゃんの助けなしには成し得なかったことで
ほんとにこれまでの生活は、名前も知らないたくさんのインド人たちのいいやつ部分の大発揮のおかげで成り立っています

この場を借りて、お礼申し上げます
てんきゅー!(thの発音はしっかりと)


インドでホメオパシーを勉強することを決めたのは
「インドのホメオパシー教育は世界一」
という情報源も信憑性も全く定かではない情報を鵜呑みにした、わたしの持ち前のバッファローもびっくりな勢いを発揮したからではあるのだけれど
(バッファローって水牛。買うとめっちゃ高いらしいよ!)

ようやくホメオパシーをちょいとかじって、いろんなホメオパスの方と出会って、インドにいながらにして世界とつながれるネット環境に恵まれて
気付いたことは
「インドのホメオパシー教育は世界一であり、またそうでもない」
ということ

禅問答か


インドでホメオパシーを勉強するメリット
  1. 英語で勉強する力がつき、英語で書かれた文献を読める。=翻訳を待たずにたくさんの文献に触れることができること
  2. 解剖学(人体解剖込み)、生理学、組織学、法医学、毒学、外科、産科、小児科、内科とthe医学な科目を学べること(しかも英語で)
  3. そしてそれらの科目がホメオパシー医師によって教えられていること。例えば組織学で「炎症」が授業のテーマであれば、先生が科学的に炎症を説明したあとに、「〜という薬(ホメオパシーの)は炎症に使えるよ」とちゃんとホメオパシーと結びつけて教えてくれるところ。
  4. 患者とホメオパシー医師の数の圧倒的な多さ。診断と治療の過程を毎日いやというほど、学ぶ機会がある
  5. 実際に治癒を起こすホメオ医師に格安(破格)で治療を受けさせてもらうことができる=自分のホメオパシーへの確信とモチベーションが高まる
  6. 安いホメオパシーの本と薬が手に入る
  7.  授業料、生活費も安い
  8. インド人ホメオ医師とのコネクションができる(特に外国人は珍しいから、わりとかわいがってもらえる)
  9. インド人有名ホメオ医師のセミナーを格安(時に無料)で受けることができる
  10. 専門知識豊富な教授たちがすぐ身近にいること。日常的にかなり細かい質問ができる。
 インドでホメオパシーを勉強するデメリット
  1. case takingは主に英語ではなくベンガル語(コルカタでは)、ヒンディー語。そのため、新たに言語を学ぶ必要がある。(会話能力のみ。読み書きはいらない)
  2.  自分が意識して情報を集めないと、インド以外の情報はほとんど入ってこない
  3. 日本に帰った時に、case takingのやり方は日本人向けstyleに改良する必要があると思う(インド人は、一つの質問に対して30倍くらい答えてくる)
  4. 一見無駄だと思える勉強以外の作業が多い(試験のときに提出する実験ノートに一体どれほどの時間と紙とインクを費やしていることか!)
  5. ホメオパシー以外の次元でのインド特有のチャレンジが多い
  6. インドに5年半暮らさなければいけない

こうやって眺めてみると、思ったよりメリットが多い!
よかったね、わたし笑
デメリットは無意識的に意識の外に追い出しているかしらん?

今日本にいる(もしくは世界にいる)たくさんの人がホメオパシーの最短で最適で最高な教育を求めてさまよっているのではないかという気がします

現に日本の学校をはしごする人もいるみたいだし
日本での教育のあとに、世界のlegendの教育に挑戦する人もいる

インドでの教育はめちゃめちゃクラシカルで(褒め言葉)、文献に忠実で(実践はともあれ)
ただ一方やはりインドの生活様式と日本の生活様式にかなり違いを感じるわたしとしては
こんなにコテコテクラシカルstyleで、こんなに近代化しちゃった日本人も治癒するのだろうか?みたいな疑問が漫然とあって
それにはいかに近代化しているかを知らないインドの教授たちには答えられないのではないかなぁと思う(言葉で説明できなくても治癒は起こせるのだろうけど)
(たとえばわたしが授業でOrganon of medicineを読んでいて疑問に思うことを、インド人の同級生は疑問に思わなかったり)(なんていうのだろう、過去にタイムスリップしたかんじ。明治時代の人にiPhoneの電磁波って健康に影響ありますか?ってきくかんじ)
だから近代化の生活の上に生きるホメオパシー医師にも教えを乞いたいなぁと思うところもあって
それは今すぐではなくて、インドで基礎をしっかり打ち立てられてからにしようと思っておりますが(心配しないで!お母さん)

わたしが最近はまっているのはProfessor. Vithoulkusというギリシャのlegendホメオパスで
インドでも3年ホメオパシーを学ばれたそうですが(当時のインドのホメオパシー教育にがっかりもしたそうですが)
彼は自分のことを「self-made」といっていました
1日12時間ホメオパシーの勉強を12年間したって!
http://hpathy.com/…/george-vithoulkas-interviewed-dr-manis…/

どこで勉強しても完璧ということもないし、完全にマスターするということもできないんではないか
それは成し得るのは「完全にマスターするまで」己で努力を続けていくこと以外にないのではないか
こたえは自分で探求する以外ないってやーつ?

それから、デメリット4に書いたように、インドでの教育体系は「効率」とは程遠い
そしてそれはわたし的に、顔にしわがよるかんじ
もちろん笑いじわじゃないやつ

正直始めはそれにかなり苦しんだ
なんでこんなに待たなきゃいけないの?
なんでこんな意味ないことしなきゃいけないの?
しかしここインドでは効率化推進派は唯一、わたし
大多数の、というかわたし以外みんなの非効率的な流れを変えることは、最も非効率
効率的に、非効率なことに身を委ねなければいけなかった日々

いつの間にかそれを受け入れていた2年目が終わった帰国にて
インドのバリバリwomenヴァンダナ・シヴァさんの映画に出会う
「いのちの種を抱きしめて」

インドは高い志のもと「効率化」という近代が生んだ一見よきものとされる概念を拒んでいるのだと知る

そのあと読んだ食品の裏側―みんな大好きな食品添加物がようやくしっくりくる
添加物は「だれでもムダなく同じ味が簡単に作れるように」という目的のもとで活躍する
原料から仕込むスープのおいしいうどんのお店
その味は大将じゃないと生み出せないのでは、手間も時間もかかるし、いっぱいは売れないし、その割に儲からないってことで、添加物でスープを作り出す
添加物スープはだれでも簡単に作れる
お店は支店をだす
しばらくは繁盛する
それはかたい言葉で言えばきっと一般化と効率化
「だれでもムダなく簡単に」

でもそれってどうなんだろう?
便利なときもある。助けられるときもある。
だれでも知ってるように、添加物はもちろん身体にいいものじゃない
それをお金をもらって人に食べさせるということ
それよりなにより、どうしてうどん屋さんをやっているんだっけ?
大将、それを売って生きる人生の意義は?

だれでもムダなく簡単にできること
便利ではあるけれど、そこに深みは少ないのではないかと思います

Easy come, easy go
easyじゃないことに取り組んでいるとき、よく浮かぶことば
助けられることば

効率がよくないところから、本物が生まれるんだと思います
効率のよくない歩みが、真実に近付くんだと思います

思い返せば
効率まるで無視の父と
効率よすぎる母と
その間で育ったわたしは、どちらにイラつくこともあり、どちらに助けれらることもあり
結局それはよくある結論「バランス」に辿り着いちゃうようだけど

学校というのもきっとそういう効率化の生んだひとつで
インドでは毎年すさまじい数のホメオパシー医師が、大学の5年半の教育課程を終え、産出されている
その中から高い確率で治癒を起こす医師は100人に1人くらいだそうです(Dr. Sarkar sirのざっくばらんなお話より)
わたしの学年は91人なので、ざっくりいってこの中から1人

一方、非効率の例としては
大学で教育を受けず、ベンガル語で書かれたBoericke MMをもとに診療する超田舎のレイホメオパス(医師の資格を持たないホメオパスにことこう呼ぶらしい)
彼らはそのホメオパシーに関する叡智を、臨床から学ぶそう(先輩の話によると)
それでも高い確率で治癒を起こす人も確実にいるって(しかも2〜5ルピーしかとらないって!薬代を含めて)(わたしの唯物論的計算ではどう見積もっても利益はマイナス〜2ルピー程度)

効率を求めた結果、効率が悪く
効率を無視した結果、効率が良い
という皮肉な現代を嘆きたいのではなくて
「効率すばらしい観念」は、この際インド人のようにまるっと無視して(ていうか知らない!?)
結果、ひとりひとりがその中でなにを学んだのか
てことでしょうか、shivaさん?

長い間思考をあたため過ぎて発酵しちゃって、においそうなくらいの内容になってきたぞ
あっちこっちに飛びすぎて、うーん見事に効率の悪い文章
Indian style
(あ、また悪口か!?いえ、今日は効率無視ばんざいblogなので良い口です)

そもそも「良い」「悪い」っていうのはかなり個人の主観によるもので
というかだれかの損得によって決まる概念なのではないかと思うので
たとえば、わたしにとって助けてくれるインド人は良いやつで
困らせてくれるインド人は悪いやつ
効率が良い悪いってのも、その流れを支配しようとする人の言葉なのかも

だいたい自分をベースにしか語れないからね
そりゃそうか

今日の気合のまとめ

ひとつ、効率がよくなさそうなところに本物の学びがあるのかもしれないこと
ひとつ、インドの、インド人の深さに触れるには、効率のよくなさすぎる出会いや経験を経る必要があるのかもしれないこと
ひとつ、わたしはわたしの学びを効率という概念は吹っ飛ばしてもくもくとやるのです

そして、良い悪いっていう概念は個人に委ねられ過ぎてて定義できないけど
すごいインド人はほんとにすごい!ってこと

もちろんホメオパスとして成功したいけど、
わたしはわたしの人生を通してなにを学ぶのか
ホメオパシーを通して生きる道でどれだけ深く学べるのか
そういうことなのかもしれないなって気がした満月の夜

いっつも内面ばかりを描いていますが、もうちょっと表面的な事象にも触れるようなblogも書けたらいいのかな
書けるときに書きますぴょーん