2013/07/20

5本の指と100匹目のハヌマーン

 今日はちょっと勇気をだして、書いてみようと思う

このブログを始めたのは、わたしの主義主張を語りたいから!
という思いからではなくて
日本人にとっては未開のインドでのホメオパシーについてシェアしたかったから
これから学ぶ人の参考になれば
自分の記録として
そんな思いから

というイキゴミのわりに、ちっともホメオパシーのこと書いてないですね
果たして、ほんとに勉強してるのか自分でもちらりと不安になってきた笑

そんでもって今日も書くことは、ホメオパシーについて
ではありません!
だだん!

インドにいると五感が全開になる
見たことのない町並み
スパイシーな食べ物
避けることのできないアンモニア臭
すれ違う人の温度
そしてクラクションの音

この前インドにあそびにきていたまどかちゃんは、後ろからクラクション鳴らされる度に
文字通り”飛び上がって”いた
それくらい容赦なく、遠慮の”え”字もなく、なんの躊躇もなく
プップー!プップー!プー!
こちらがどんなに控えめに道の端っこを歩いていても鳴らされる

初めはびっくりしてた
慣れるとちょっとイラっとするようになって
でもだんだん分かってきた

この国のプップーは
「邪魔だからどいてください」
ではなくて
「今あなたの後ろから追い越そうとしてますよ。ひきたくないから、飛び出さないでね♡」
そういう存在アピール
危険回避の手段

日本では、”右見て左見て、もう一度右を見る”
音を立てずに、危険回避

 次は、バスの話
インドでは男性と女性の肌がふれあうこと、必要以上に近付くことを避ける
握手を求められても、手を握り返さない硬派な女の子がいるくらい
したがって多くのバスの左側シートは女性専用
こみこみのバスに飛び乗ったわたし
女性用のシートにおじさんが座っていた
それを見て周りのおばさんが「替わってって言いなさい」と言う
「えーでも。。。」もじもじしてしまう
わざわざ声をかけるくらいなら立ってたほうがいいかなぁと思う
(日本だったら、空気読んでくれるのにな。。。)
そしたらおばさんが言い放った
「あんたどきな!」(私の勘的翻訳ですのであしからず)

インドに行くことを決めた私に、友だちが言った
「国際会議の司会者にとって一番難しいことは、インド人を黙らせることと日本人をしゃべらせることらしいよ」

そうここインドでは、自分の存在を認めてもらうには声をあげるしかない
声を出さなければ、存在しないも同じ
そしてその声は一言では決してすまない
とにかくほんとに、よくしゃべる
記者団も真っ青の質問攻めは十八番です!

その背景には、インド人のおしゃべり好きももちろんあると思うんだけど
それ以上に彼らの多様性なんじゃないかと思う
言葉の違い、宗教の違い、文化の違い
一つの国の中で、県ごと、もしかすると町ごとで違う言葉、文化
そして同じ町の中に混在するいろんな宗教、人の顔

今月の半ば、ラマダーンが始まった
クラス1の美女ナスニー(イスラム)に、興味津々のクラス1のおしゃれさんリザ(クリスチャン)
「ラマダーンってなんのためにするの?」
「イスラムの文字を書いてみて」
「えーちょーかわいい♡」
なんだかすてきだなと思った
こうやって分かり合っていくこと

彼らが意識的になのか無意識的になのかはわからないけど
お互いがちがうことを前提としているから
分かり合うために、話すのではないか
理解し合うために、語るのではないか

そう、インドにきてからもう何回と聞かされた
「5本の指の長さは全部ちがうでしょ
 同じように、ぼくたちはみんなそれぞれちがうんだ」

インドで、ストライキは日常の風景だ
この前の夏休み開けも、なんと大学院生によるストライキ!(彼らは大学で一応インターンとして働いている)
院生から始まり、気がついたら事務職員(普段から12時過ぎ出勤のお昼休憩ありの5時前に帰るというスタイルにも関わらず!)、教授陣も便乗
おかげで私たちの夏休みは一週間ほど延長
しかもこれ、毎年あるらしい
おかげで、寮にwifiが入ることになった♡
こうやって、直接請求をする
直接意志を表示する
インドスタイル

さぁひるがえって日本
わたしの祖国、愛するニッポンでは、声をあげないことが美徳
辛いことも耐え忍ぶ
目立つことはあまり喜ばれない

インドに勢いで飛び出しちゃうような私でも
今までわりと言いたいことは言ってたし、目立つというか浮くことも大方恐れずに生きてきたような私でも
実は「たすけて〜」を言うことがすごく苦手で
「大丈夫?」って言われたら、条件反射的に「大丈夫」って言っちゃうし(まぁみんなそうだよね)
重い荷物運んでるときに、「ちょっと手貸して」の一言がなかなか言えなかったり
いつもだれかが空気読んで助けてくれるのを待っていた
心の中で「察してよ!」って悲しんでた

でもインドのクラクションしかり、バスしかり
ここでは相手に「察してよ!」の発想はない
相手は自分のことを気付いていない、理解していないのが前提だから
声をあげないといけない
理解してもらうためには、説明もしないといけない

「ちょっと助けてくんない?」

日本人的に大いに勇気を出した一言
インド人はびっくりするくらい笑顔で応えてくれた
「No problem!」
ほっとして「ありがとう」という私にさらに言う
「ありがとうなんて言わないで」
「あなたの力になれてうれしいよ」

なーんだ!この人たち、他人に無関心じゃなかったんだ
わたしの助け求めスキルが低過ぎただけだったみたい

最近どんはまり中の三宅洋平くんの、うわさのリアルチャランケ広島編
三宅洋平@広島1
三宅洋平@広島2
「アメリカも許そう」という洋平くんに
広島のお兄さん「アメリカはどうしても許せない。おれはピカの孫なんだ」(あれ?子どもだっけ?ちょっとそこ不確かでごめんなさい)

原爆ドームに行ったことがある
広島出身の友だちも何人かいる
でもね、広島の人が今もそんな思いで生きているって知らなかったよ
リアルチャランケよりも、そこにびっくりした

私は宮城県仙台市で生まれ育った
311のとき、幸か不幸か、地震の30分前に仙台から東京に着いて
そのまま仙台に戻ることなく
ヒバクを避けるべく、兄弟3人で沖縄に避難しました
私の周りで、避難したのは、本当にごくわずかで
友だちレベルで言えば、思いつく人がいないくらい

避難を決めるまでにもいろんな思いがあった
避難した沖縄でもいろんな思いがあった
避難しなかった友だちとの間でもいろんな思いがあった
避難先から帰ってきてもいろんな思いがあった

でも
地震の瞬間、仙台にいなかったこと
その後、避難していたこと
そこになんとも言えない後ろめたさがあって、なにも言えなかった
”避難する or しない”でもめたときのように、また溝ができるのが怖かった
前向きに自分の意志で避難したわたしですら

地震の影響、津波の影響
同じ宮城県内でも、被害は人それぞれで
被害が大きい人に対して、被害の少なかった人は罪悪感みたいなものがあって
街中がなんでか変な落ち込み方をしていた

よく「〜と比べれば、私の苦しみなんて」みたいなことを言う
だけど、苦しみって比べられるものじゃないんじゃないかなぁと思う
苦しいものは苦しい
でもあの時、そして今も
”私より苦しい人がいるから私は苦しいなんて言えない”
そういう思いが東北の人たちの中にある気がする
そして重い口をもっと重くしている

だけどね、ちょっと視野を広げてみれば
わたしが広島のあのお兄さんの気持ち、全然知らなかったように
東北の外の人たち、東北の人の気持ち全然わからないと思うんだ
察しようにも察せない
なにが起こっているかすら伝わっていないのだから
どう感じているかなんてもっと伝わらないよね

同じく洋平くんにどんはまりの沖縄時代の友だちに言われた
「彼の演説聞くまで、原発のこと、東北のこと全然知らなかったよ〜」
それを聞いて改めて、驚いている自分がいた

東北の外の人たちは東北に対して無関心、助けてくれない
じゃなくて
わたしたちが「助けてー」「こんなことで困ってます」「こんなふうに苦しいんです」
ってきっと声をあげないと、伝わらない
助けたい人も、これじゃ助けられない
ようやくそのことに気がつきました
 
【革命はテレビにうつらない】
Gilはどんな思いでつづったのかわからないけど
”革命”なんて、発音するのにドキドキする 特別なコトバだと思っていたけど

革命って、ひとりひとりの生き方の小さな変化の集まりなんじゃないかな
ひとりひとりが、がんばって、勇気をふりしぼること
だからテレビにはうつらない
私たちひとりひとりの人生の話だから

日本人は今、最も苦手な「声をあげる」ことに挑戦しています
原発はどうしたらいいと思う?
ヒバクについてはどう思う?
TPPは実際どうなんだろう?
憲法変えたらどうなっちゃうんだろう?
だれに投票しようと思ってる?
お茶の間で、職場で、教室で
勇気をふりしぼって聞いてみる

きっとそれが民主主義なんだろう

戦後、輸入してきた民主主義
本音を語るために、アルコールの力を借りなきゃいけない日本人
(そんなお酒の飲み方するのって。。。少なくともアメリカ人ではみたことない気がする)

だからってね、多くを語らない、白黒はっきりつけない生き方が悪いってわけじゃない
やっぱりそこに日本人の美しさはある

いろーんな人がいて
いろーんな生き方があって
いろーんな国の在り方があって

その良いところに習えばいい
良いとこ取りならぬ、良いとこシェア!

避難するという選択
避難しないという選択
ヒバクするというチョイス
ヒバクしないというチョイス

どっちが正しいとか悪いとかではなくて、どちらかひとりひとり選べたらいい
なんのしがらみもなく、純粋な自分の意志で
どっちの選択をしても、だれにも攻められず、白い目を向けられず
お互いの選択を尊重し合えたらいい
応援し合えたらもっといい

そんなクニになったらいいな

これまでずっと”みんなと同じであるように”教育されてきた私たち
”それぞれが違うから理解するように”自然としゃべりまくって生きているインド人

うん、インドで学ぶことあるみたい
あ、ホメオパシー学びにきてるんだった!笑←そろそろ笑いですまないかも

この選挙フェス終わったら、勉強がんばろーっと!

投票日は21日!

10月に帰った祖国は、変わりゆく、より良い日本でありますように
いつまでも誇りをもてる、だいすきな日本でありますように


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