2013/04/29

インターナショナルホステルで教育とグロバリゼーションについて考えてみるの巻き

満月の日に日本を飛び立ったこともあってか
インドにきてから、魔女の宅急便ごっこをすること、計5回
(ほこりまみれの部屋をずぼんをまくり上げて掃除するアレ)
ついに、転勤族から解放されました
定住の地は、 その名も。。。
インターナショナルホステル!!

我が大学は、国立ということでインターナショナルであります
といっても
ほぼスリランカン(30人くらい?)
あと少しのバングラディッシュ人(5人)と
ネパール人(3人)と
ウクライナ人(1人)と
日本人(1人)

ゆえに、基本はインド人の変化系
くらいにしか思っていなかったウクライナ以外の国の出身の方々
でもやっぱりまとまってみると、そこはちがうよう

今は学年は先輩で年齢はいっしょのスリランカン「ニーロ」とルームシェアしています
インド人のように質問攻めが習慣化しているわけでもなく
人との距離感が近過ぎるわけでもなく(一応私が買ったものを使いたいときは、まず許可を求めてくれる)
勉強も教えてくれるし
スリランカ料理食べさせてくれるし
マンゴー分けてくれるし
なんかすてきなnew life♡

新しい寮は、大学からちょっと遠いけど、
なにやら勉強したくなるような机に、蛇口からお湯が出るようにヒーターつき!
(今は故障かなんかで結局出ない。。。笑)
施設は☆→☆☆☆に大いにランクアップ!


さてさて、
二桁×二桁のかけ算を余裕でこなすことで有名なインドの教育
そのインド人の最も得意とするところは。。。
ずばり、「暗記」
学校教育の基本は「暗記」と言わんばかりに、とにかく憶える憶える憶える。。。
だから、新しい言語を学ぶことなんか本当に朝飯前といった感じで
すごい勢いで吸収していきます
同級生のシータ(我が学年の学級委員長、これまで出会った史上最も学級委員長!若干17歳にして、うちの父に「このお姉さん何者!?」と言わしめたオーラの持ち主)は、
まず母国語であるヒンディー語、地元の言語であるベンガル語、学校で使う英語、それに加えて、お母さんの地元の言語であるタミル語(南インドの言語)を余裕で使いこなし、
さらにその上!!
シータのお父さんは「どうかお願いだから、娘に日本語を教えてやってくれ!」と真剣に懇願
この語学力には本当にびっくり!
(でもこれくらいのことでは、インド人はびっくり!しない。むしろ若い世代は3ヶ国語が普通)
新しい言葉を学ぶことに心の抵抗がない、ってことが大事なのかなー
私のヒンディー語とベンガル語はいっこうに上達しないのに。。。

これだけ読むと、インド人すげぇ!ってなる!でしょ?
たしかにすごいんだけど、すごいんだけど。。。インドの方には大きい声で言えないけど
インドの人はやったことないことはできません(という傾向があるように思います)
例えば、携帯ショップで
いつもやってる仕事はできる
でもやってないことはできない→できるだれかを呼んでくる(実話)
日本人だったら、コピーをとること、若い世代であればそれこそ朝飯前
インドではコピーをとる仕事の人はひたすらコピーをとり
やったことない人はもちろんできないし、やろうとも思わない
(ちなみにインドではコピーをゼロックスと呼びます)
つまるところ、応用力ゼロ!(あ、限りなくとしておこう)
だからか、なにか先生に指示されたときは「まずとりあえず従っとこう」的なノリです
「なんで?」「どうして?」は禁句で、「とりあえずやる」
それはそれで強さではある

でもそんなスタイルがゆえにこの国は成り立っているのかなぁと思うところもあって
たとえば、カレー屋さんの息子はカレー屋さんだし
お母さんがホメオパシーのお医者さんになるのがいいと言えばこの大学に通う

人の領域をおかさない
信じるものを心から信じる

どうしてカレー屋にならなきゃいけないんだとか、そういう疑問自体存在しない
「受け入れる力」
があるように思う
「自分探し」なんて言葉がきっとインドに存在しないんじゃないかな

ちなみにそうやって母の薦めで、この大学に入学したジョティに
「それでいいの?」と聞いてみると
「いつもお母さんが選んでくれたことは、私にとって一番良い選択だから」って
だから「結婚もお見合いでするんだよ」って
自分を言い聞かせようとか、無理してるとか、そういうことを全く感じさせずに
さらりと言いました
ごくごく自然に

実際に教育を受けたことはないけど、話に聞く限り、それと対をなしている
アメリカの教育
きれいに文字を書くことよりも、暗記力をつけることよりも
大事なのは「考えること」

たしかにインドにきてからびっくりする
ジョブスの天才さ!笑
インドでiPhone使ってるんだけど、充電器がふたつに分かれてる、その先っぽだけが国のコンセントの形に合わせて違うようで
(ちなみにPCの電源もプラグのとこだけ、変えられるようになってる)
世界をシェアにすること見越してる
日本のiPhoneではその機能が削除されてるみたいだけど、インドで買ったものにはpersonal hot spotっていうのがあって、iPhone自体がwi-fiモデムになる
だからiPhoneさえ回線につながっていれば、それだけでPCもネットにアクセス可
あ、べつに回し者ではないはずなんですけど
でもiPadのおかげで、インドでも伊坂さんの新刊が読めるし(iPadじゃなくてもいいけど)
もちろんiPhoneで日本語タイプできるし、iPhone同士であればインドでも日本語でsmsができちゃう
アプリにしたって、日本の新聞も読めるし、日本の音楽も聞けるし、タイムラグなく友だちとつながっていられる

グローバリゼーションって世界中の人のためじゃくて、世界をまたにかける人のためにあるんだなぁとひしひし

ピザハットやKFC、マクドナルド、subwayってインドでは高級飲食店の部類で
日本の値段と比べれば安いけど、でも30ルピーもあればお腹いっぱいになるここインドではやっぱり高級
それでも一応一部のリッチなインドの胃袋はキャッチしているようだけど
でもやっぱり必要ないといってしまえばそれまでで
必要としてるのは、マクドナルドに故郷の味を見出す人たち(日本人もそこに入ってしまうのか?)
その人たちのために、これほどまで進出しちゃってる気がする
ドミニカ共和国にもマクド、KFCその他もろもろあるんだって
でもやっぱり地元の人は高くて食べないらしい(O氏談)

もとい、
暗記のインドと
発想のアメリカ
日本の教育はその中間なのかな?それともどっちつかずの中途半端?

この世界の示す多様性は、人間の可能性のあらわれだとすれば
いいとこどりで小躍り♪
がいいなぁと思う

そして、一つ確信を持って言えることは
(私のジャパニギャグはさておき)
日本人のギャグセンは世界に誇れると思います!
(※レベル高すぎて理解されない可能性は充分にあり)

 

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