目指すは、ヒマラヤの近く、標高5000mのDwarahat
親切なおじさんにバスに乗せてもらい、4〜5時間で着くよと言われていたのに
7時間後に無事到着
どこで降りるか知らないままバスに乗るも、一緒におりたおじさんがまたタクシーに乗っけてくれて、値段の交渉もしてくれて
そんなことが旅の間常に起こってる
びっくりするくらいいつもだれかに助けてもらってます
わたしが今住んでいるkolkataは霧のせいか、塵のせいか(道路が
日本みたいにコンクリートで整備されてないけど、車は日本以上に走ってる=はなくそ真っ黒)
空がいつも灰色
でもここは空がどこまでも青くて
空気がすかっとしてて
太陽光線もびしばしで
星空もにぎやか
空が青いことに感動する
そんな自分にびっくりする
それから今泊まっているところには
kumha mera(3年に1度、3カ所を順番に回っていく、世界中の聖者が一同に会する祭礼)の影響で
インドだけじゃなく、アメリカやシンガポールやオーストリアからのguestが盛りだくさん
わたし以外の日本人もいたりして
集団になると国ごとの特色がはっきりしていておもしろい
親子で来ているのにお互いどこにいるか把握していないアメリカ人
一緒に旅してるのに、チャイ代を払う時、タクシー代を払う時も全くそれぞれに
さすが赤ちゃんの時から一人で寝る国アメリカ
それに感情と感動を表現することがほんとにお上手で!
一方インド
私の18歳の同級生ジョティーは、朝起床とともにお母さんに電話する
見た感じ5〜6歳の子どもがお母さんの手でごはんを食べさせられてる
食べるものもいっしょ
どこに行くときも、家族みんないっしょ
家族だけじゃなく、自分と他人の境界が溶け合ってるインド
物理的な距離も、心の距離も
出会ってほっとするのは、やっぱりアジアの人(インドを除く(笑)
しゃべりすぎず、とっても謙虚に人との距離をうめていくシンガポール人
笑顔がとっても人懐っこくて
そして
三度の飯の開始時間ぴったりに席につく、早寝早起き日本人
話しかけられるまでほかの国の人に話しかけることはなく
自分たちの時間を大事にしてる
それでも話しかけられたら、いつも笑顔で、もちろんお辞儀も忘れずに
アメリカ人だから。。。インド人だから。。。シンガポール人だから。。。日本人だから。。。
というよりも
アメリカで生まれ育ったから。インドで生まれ育ったから。シンガポールで生まれ育ったから。日本で生まれ育ったから。
国籍じゃない、見た目じゃない
どういう環境で生きてきたか
それだけでこんなにも人って変わる
というよりもそういう違いって大した違いじゃないのかもしれない
。。。一緒に生活するとなると、大した問題になっちゃう人もいるけど(←そのせいで家出満喫してる人)
人間の可塑性
人間の柔軟性
なろうと思えば、どんな自分にでもなれる
のか?
それぞれの国の人のいいところを兼ね備えたら、なんてすてきな人になるんだろう
それぞれの国のいいところを持ち寄ったら、どれほどすてきな世界ができるんだろう
標高的にも雰囲気的にも
天国にちかい場所Dwarahat
この場所を知っていてほんとによかったなぁと思う
そうやってほっとしたら、身体もするする自然に還って
いろんな生理現象が起こった!
ストレスが身体に与える影響の大きさや!
空の青さだけじゃない
失って気付いたこと、いっぱいあった
例えば、話をじっくり聞いてもらえること
それだけでどれほど救われるか忘れてた
一人で過ごす時間
その時間のおかげで、ありたい自分に近付く努力ができていたみたい
正しく食事をすることの大切さ
ストレス→甘いものばっか食べる→感情的になる→ますますストレスの悪循環
病は気と食から
食べることについてもちゃんと勉強したいな
寮でくらすことの大変さをぐちぐちぐちる娘に、父は
「その経験が今のあなたに必要なんでしょう」と一言
今になって思う
その通りだと
そのときは、とてもじゃないけどそう思えない
でもほんとはいつも必要なものが与えられてるんだ
知らなかったことを、理解するようにと
忘れてしまったことを、思い出すようにと
いつかまた忘れたときに、思い出せるようにここに書き留めておきます
よ、わたし!
こんな風景 |
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