インドにきてからすごく感じていること
日本人の語学力のひどさ!(失礼!私の語学力のひどさでした)
だけでなく
インド人の恐ろし過ぎるほどの適当さ!
だけでもなく
自分のluckyっぷりと未熟さ
は日々痛感ですが
いよいよ本題に入りませう!
インドの人はとてもゆったり生活をしています
朝起きて、
丁寧に朝ご飯をいただき
丁寧に身支度をして
丁寧にでかける
お昼休みにランチをがっつりいただき(日本昔話もびっくり)
午後授業がおわって部屋に戻ってくると、
まず部屋着に着替え、
晴れた日は丁寧に髪の毛を洗い、シャワーを浴びる
自分のエネルギーを使って手動で洋服を洗って
お昼寝をたっぷりする
夕方目覚めて、服をお出かけ用に着替え
友達と連れ立って、一杯4ルピー(約8円)のチャイを飲みに
それからおもむろにベットの上でビスケットをほおばりながら勉強
たまに買い物
8時を過ぎてから夜ご飯を食べて
友達とおしゃべりしたり、勉強したりで
就寝
これはわたしといっしょに生活をしているキャピキャピgirlsのlife styleですが
ご近所の商店街的なところも午後2−4時まではお昼寝timeということで、お店はほぼ閉店
この時間帯は街中が少しけだるげな、眠たい空気で満ちています
私の日本での生活では、お風呂に入ること、洗濯、食事。。。
そういう日課はなんというか、活動にカウントされていなくて
out of lifeだった
でもここではそういうひとつひとつが(お昼寝やトイレにいくことまでも)仕事のうちで
「よし!やるか」
と気合いを入れて、心を入れてやるかんじ
生活の一部、人生の一部、生きることの一部
たとえば”洗濯”
今わたしたちは洗濯機を使うのがふつうで、それによって時間も手間も節約できたと、考えるまでもなく思っている
でもほんとにそうなのかな?とインドにきてから思ったわけです
1)洗濯機だと簡単に洗えるから、洗わなくていいものまで洗ってたり
(わたしの観察によると、ここではよっぽど汚れたり汗をかいたりした場合以外、一日着て洗うということはなさげ)
→洗濯物の量と回数を増やしてる
2)洗濯機だと簡単に洗えるから、洗うのも乾かすのも難しい洋服を着ていたり
(ガンジーが紡ぎ続けた綿は、こちらでの生活に最適!洗うのに易しく、乾くのは素早く、暮らすのに丈夫!)
→こんな日常に豪華過ぎる洋服を作る手間ひま、買う手間ひまはなんのため。。。?
3)「洗濯機を買うお金+維持するお金+洗濯にかかる電気代、水道代+洗剤代」
これをまかなう費用を稼ぐために働く時間と
洗濯機を使うことで節約した時間と
どっちが長いんだろう?
4)そもそも洗濯機を開発し、今なお改良を続けるという仕事、それに費やす人生の時
→その仕事のために犠牲にしているもの。。。?
すべてのインド人を調査したわけではないので、’インド人は’とはいえないけど、
わたしが接している人たちは「頑張って〜をする」というときに、「睡眠時間を削って〜する」という発想はまるでなさそう
頑張るときも無理はしない
丁寧な生活を崩さずに、頑張る
そんなかんじ
それに「たのしむ」ということも生活のうち、くらしのうち
多くの日本人のように、頑張って働いて、「非日常的に」あそぶ、たのしむ
というかんじでは全くない
なんていうかまっちゃんの発見をなぞるだけになるようだけれも
(福岡正信;http://www.netwave.or.jp/~n-keizo/fukuoka1.htm)
わたしたちは時間を生み出すために、時間を犠牲にしてる
インドでは時間は時間のままで、時間を作り出す工夫はしない、でもその代わり失いもしない
結局どちらも量はそんなに変わらないんじゃないかな
違うのは質
時間の濃さという質
心のゆとりという質
覚えきれないほどの交通ルールと約束と整備で、ほぼ完璧に整っている日本の道路交通
それでも毎日交通事故は起こる
たとえあっても無視される交通ルールで、限りなく混沌のインドの道路交通
(車線さえ無視する!2車線の車線じゃなくて、左と右の車線!)
それなのになぜかインドにきてからまだ一度も事故をみたことがない
(明らかに日本と事故の基準がちがうんだと思うけど
車こすったり、ぶつかったり位はたぶんノーカン!)
こんなに質が違うのに、たぶんあんまり結果は変わらない{(体験的に)気がしてる}
わたしたちが躍起になって
身体を壊して
大切な人との時間を犠牲にして
たのしむことを忘れて
生きる意味さえ忘れて
作り出してるもの
生み出そうとしてるもの
手に入れようとしているもの
そこに本当にそうするだけの価値があるのかな
もちろん努力することで、成長する部分もある
わたしも今までそう信じてせっせと生きてみてました
それでも、ここでこういうゆったりしたくらし方を見て
「怠けている」とか「頑張ってない」とも思わない
(たまにびっくりはするけど)
ここでなんでかちょっと考えてみたところ
きっとたぶん目標がちがう
目指してるgoalがちがうんじゃないかと
こういう丁寧なくらし方が、そのmissionを全うするくらし方
与えられたものを全うする
これがインドスタイルナマステ!
長くなっちゃったけどもうちょっと
インドではチャイを飲むのに陶器のコップ、カレーを食べるのに陶器のお皿を使っていました (西洋化で最近はプラスチック製品が多い)
使用後、それを投棄!
ジャパニギャグが言いたかったのではなくて(でもあるけど)、本当の話
でも土でできてるから、そのまま自然に還る
でもでもなんで?まだ使えるのに!とインド人おじさんにきいてみたろところ
1)ベジタリアンの人からすると、ノンベジfoodは「不浄」
ノンベジfoodに使ったお皿で食事なんてできない!という理由から
(同じ場所で食事すること、同じ場所で調理することをいやがる人もいる)
2)お皿を作る仕事がなくならないように
仕事を生み出すという理由で
銀行の窓口も、スーパーのレジも、野菜を作ることも、機械化する日本
そうして失業率がどうの雇用対策がどうのと騒いでいる日本
人の仕事を奪うために仕事をする日本人
インドの金銭的にrichなご家庭には、たいていお手伝いさんと運転手さんがいる
だからといってそこに上下関係があるというわけでは(私のイメージほど)なく
仕事を与えて、お金を払ってやっているというよりは
仕事を分け合って、金銭的富も分け合って(偏りはなくならないけど)いるというかんじ
それがお金を多くもっている人のmission
だれが偉いではなく、お互いに自分のできることをやるというかんじ
ないなら分け合えばいい
ないなら分かち合えばいい
仕事だって、金銭的富だって、智慧だって、たのしさだって
今の日本もインドと分かち合えばいいのに
インドにないものが日本にある
でも日本にない大切なものがインドにあるよ
そんなことを考える時間
これもまたこのゆったりlifeの恩恵
今日もここで生かされたことに感謝して
わたしのこんな体験をshareできることを祈って
日本人の語学力のひどさ!(失礼!私の語学力のひどさでした)
だけでなく
インド人の恐ろし過ぎるほどの適当さ!
だけでもなく
自分のluckyっぷりと未熟さ
は日々痛感ですが
いよいよ本題に入りませう!
インドの人はとてもゆったり生活をしています
朝起きて、
丁寧に朝ご飯をいただき
丁寧に身支度をして
丁寧にでかける
お昼休みにランチをがっつりいただき(日本昔話もびっくり)
午後授業がおわって部屋に戻ってくると、
まず部屋着に着替え、
晴れた日は丁寧に髪の毛を洗い、シャワーを浴びる
自分のエネルギーを使って手動で洋服を洗って
お昼寝をたっぷりする
夕方目覚めて、服をお出かけ用に着替え
友達と連れ立って、一杯4ルピー(約8円)のチャイを飲みに
それからおもむろにベットの上でビスケットをほおばりながら勉強
たまに買い物
8時を過ぎてから夜ご飯を食べて
友達とおしゃべりしたり、勉強したりで
就寝
これはわたしといっしょに生活をしているキャピキャピgirlsのlife styleですが
ご近所の商店街的なところも午後2−4時まではお昼寝timeということで、お店はほぼ閉店
この時間帯は街中が少しけだるげな、眠たい空気で満ちています
私の日本での生活では、お風呂に入ること、洗濯、食事。。。
そういう日課はなんというか、活動にカウントされていなくて
out of lifeだった
でもここではそういうひとつひとつが(お昼寝やトイレにいくことまでも)仕事のうちで
「よし!やるか」
と気合いを入れて、心を入れてやるかんじ
生活の一部、人生の一部、生きることの一部
たとえば”洗濯”
今わたしたちは洗濯機を使うのがふつうで、それによって時間も手間も節約できたと、考えるまでもなく思っている
でもほんとにそうなのかな?とインドにきてから思ったわけです
1)洗濯機だと簡単に洗えるから、洗わなくていいものまで洗ってたり
(わたしの観察によると、ここではよっぽど汚れたり汗をかいたりした場合以外、一日着て洗うということはなさげ)
→洗濯物の量と回数を増やしてる
2)洗濯機だと簡単に洗えるから、洗うのも乾かすのも難しい洋服を着ていたり
(ガンジーが紡ぎ続けた綿は、こちらでの生活に最適!洗うのに易しく、乾くのは素早く、暮らすのに丈夫!)
→こんな日常に豪華過ぎる洋服を作る手間ひま、買う手間ひまはなんのため。。。?
3)「洗濯機を買うお金+維持するお金+洗濯にかかる電気代、水道代+洗剤代」
これをまかなう費用を稼ぐために働く時間と
洗濯機を使うことで節約した時間と
どっちが長いんだろう?
4)そもそも洗濯機を開発し、今なお改良を続けるという仕事、それに費やす人生の時
→その仕事のために犠牲にしているもの。。。?
すべてのインド人を調査したわけではないので、’インド人は’とはいえないけど、
わたしが接している人たちは「頑張って〜をする」というときに、「睡眠時間を削って〜する」という発想はまるでなさそう
頑張るときも無理はしない
丁寧な生活を崩さずに、頑張る
そんなかんじ
それに「たのしむ」ということも生活のうち、くらしのうち
多くの日本人のように、頑張って働いて、「非日常的に」あそぶ、たのしむ
というかんじでは全くない
なんていうかまっちゃんの発見をなぞるだけになるようだけれも
(福岡正信;http://www.netwave.or.jp/~n-keizo/fukuoka1.htm)
わたしたちは時間を生み出すために、時間を犠牲にしてる
インドでは時間は時間のままで、時間を作り出す工夫はしない、でもその代わり失いもしない
結局どちらも量はそんなに変わらないんじゃないかな
違うのは質
時間の濃さという質
心のゆとりという質
覚えきれないほどの交通ルールと約束と整備で、ほぼ完璧に整っている日本の道路交通
それでも毎日交通事故は起こる
たとえあっても無視される交通ルールで、限りなく混沌のインドの道路交通
(車線さえ無視する!2車線の車線じゃなくて、左と右の車線!)
それなのになぜかインドにきてからまだ一度も事故をみたことがない
(明らかに日本と事故の基準がちがうんだと思うけど
車こすったり、ぶつかったり位はたぶんノーカン!)
こんなに質が違うのに、たぶんあんまり結果は変わらない{(体験的に)気がしてる}
わたしたちが躍起になって
身体を壊して
大切な人との時間を犠牲にして
たのしむことを忘れて
生きる意味さえ忘れて
作り出してるもの
生み出そうとしてるもの
手に入れようとしているもの
そこに本当にそうするだけの価値があるのかな
もちろん努力することで、成長する部分もある
わたしも今までそう信じてせっせと生きてみてました
それでも、ここでこういうゆったりしたくらし方を見て
「怠けている」とか「頑張ってない」とも思わない
(たまにびっくりはするけど)
ここでなんでかちょっと考えてみたところ
きっとたぶん目標がちがう
目指してるgoalがちがうんじゃないかと
こういう丁寧なくらし方が、そのmissionを全うするくらし方
与えられたものを全うする
これがインドスタイルナマステ!
長くなっちゃったけどもうちょっと
インドではチャイを飲むのに陶器のコップ、カレーを食べるのに陶器のお皿を使っていました (西洋化で最近はプラスチック製品が多い)
使用後、それを投棄!
ジャパニギャグが言いたかったのではなくて(でもあるけど)、本当の話
でも土でできてるから、そのまま自然に還る
でもでもなんで?まだ使えるのに!とインド人おじさんにきいてみたろところ
1)ベジタリアンの人からすると、ノンベジfoodは「不浄」
ノンベジfoodに使ったお皿で食事なんてできない!という理由から
(同じ場所で食事すること、同じ場所で調理することをいやがる人もいる)
2)お皿を作る仕事がなくならないように
仕事を生み出すという理由で
銀行の窓口も、スーパーのレジも、野菜を作ることも、機械化する日本
そうして失業率がどうの雇用対策がどうのと騒いでいる日本
人の仕事を奪うために仕事をする日本人
インドの金銭的にrichなご家庭には、たいていお手伝いさんと運転手さんがいる
だからといってそこに上下関係があるというわけでは(私のイメージほど)なく
仕事を与えて、お金を払ってやっているというよりは
仕事を分け合って、金銭的富も分け合って(偏りはなくならないけど)いるというかんじ
それがお金を多くもっている人のmission
だれが偉いではなく、お互いに自分のできることをやるというかんじ
ないなら分け合えばいい
ないなら分かち合えばいい
仕事だって、金銭的富だって、智慧だって、たのしさだって
今の日本もインドと分かち合えばいいのに
インドにないものが日本にある
でも日本にない大切なものがインドにあるよ
そんなことを考える時間
これもまたこのゆったりlifeの恩恵
今日もここで生かされたことに感謝して
わたしのこんな体験をshareできることを祈って
インド人たちの暮らしぶり面白いです。
返信削除ホメオパシーだけじゃなくて、人生の勉強になってます :)
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