2017/10/17

スタンダードが入れ替わることと、すきについて

インドに住み始めて1、2年の頃は日本に馴染めなくなることを大いに危惧してた

テレビでみた年を取ってからのオノ・ヨーコさんが鮮烈で

その鮮烈さをいつか自分も放ってしまうのではないかと


それが5年ももう終わろうとしている今は、すっかり自分の中のスタンダードが入れ替わっている

インドにいて「おかしい」と思うことより、日本にいて「おかしい」と思う瞬間が増えた

うっかりその自分の基準で、正しい、正しくないと声を上げそうになるけど

それはただスタンダードが違うだけ


国を超えると正義の基準さえ変わってしまうことがある

カリフォルニア州では大麻を吸うことは合法だけど、日本では犯罪者だったり

日本ではスケボーだって公道で滑ったら違法らしい

ちなみに今乗り換えのためにやってきたタイではブッタの絵をタトゥーにしたり装飾用に使ったり信仰以外の目的での使用は違法だそうで

時代によってだってスタンダードは変わる


そうなってくるともうほんとに自分が心からいいと思えることをやるしかないのでは、と思う

日本の学校教育では、いつも答えがあって、その答えは1つだと教えられて

さらにその答えは自分で生み出すものではなく与えられるものだと刷り込まれる

どんなに人の話を聞いても

どんなに名著を読んでも

やっぱり最後は自分の納得度な気がする

といいつつ真理は1つであるという気もしてる



さてさてまだまだLAショックを引きずっていて

LAでは言葉で理由を説明できないすきなものにたくさん出会った

海、潮風、太陽の光、青くてでっかい空、晴れの毎日、夕陽、スケボー、サーフィン、ストリートカルチャー、日常を支えるhip hop、所有する物質が少なくてもすきを大事に夢を大事に生きる人たち、苦しみを越えて明るく笑う笑い声


それからたくさん心を使った

スケートボードに乗ったときの恐怖感、大きい波がくるときの恐怖感、痛いところをつっこまれて怒り、傷ついて悲しみ、寂しそうなホームレスの人をみて哀れんで、友達のジョークに笑い、人の優しさに触れて喜び

こんなに自分って恐怖を感じるんだとか

こんなに人の言葉や行動に一喜一憂するんだとか


インドにいて刺激される感情といえば、主に怒りで

無表情時間が長すぎるために、目尻にシワが少ないんじゃないかという結論にいたるくらいの過ごし方をしてきた5年間


心のすきじゃないの声を無理矢理頭で押し込んできた5年間


LAにいてインドの話をする度に「実はインド全然すきじゃない」と言えるようになったこと


それなのにアメリカにないものが、日本にもないものが、実はインドには溢れてて、案外そんなにインド嫌いじゃないかもと思うようになったり


新たな視点を獲得したことが、わたしの姿勢を豊かにしてくれる

それはそれで迷いが増えるといえば増えているんだけど、豊かに迷っているんだと思う


インドで過ごす最後の1

そこにわたしの未来がかかっているような気もするし、なんくるないさーな気もする


チャンドラーさんにヤマニヤマの深い解釈を教えてもらって

まさに自分に対する信頼は、気合いとか信じよう信じようとして得られるものではなく

自分自身の信頼を裏切らない、自分の努力を積み重ねていくことによって少しずつ形を成していくのだと気付いた


マヤアンジェローさんは何かを得るためには必ず代償を払わなければいけないといい、

それがきっと努力という代償なんだと思う


わたしにとってはいつも頭でどうこう考えて出した結論より、直感のゴーサインのほうが確かで揺るがない

理由を説明できないけど、すきなものはたぶん死ぬまですきなんだと思う


いつもチャレンジしてきたような気がするけど、この1年は自分に嘘をつかないというチャレンジを


目標のために、具体的な努力の仕方を学ぶことは大事ですね


今はインドに対して、自分の人生に対してこんなattitude



嘘をつかない、他人にも自分にも

せっかく「すき」に出会えたんだから大事にしようと思うのです

2017/10/03

ふとしたときに思いをはせる場所

自分がどれぐらいできるのか試したくて、アメリカ大陸はLos Angeles

できるかどころか、どれくらい足りてないのかを確認することに


インドの地を初めて踏みしめた時、たしかに驚きはあったけど、俗に言われる「インドに行ったら人生変わる」程の衝撃はなく

どちからといえば、インドにいることで徐々に自分が変わりつつあるような感覚

それがLAにきて、予想外のカルチャーショックの連続で


自分が揺さぶられる

なにかが変わりそうなどかーんどかーん


偶然か、この世に偶然なんてないのか

このタイミングでLAに着いた途端、背中に鬼のようなブツブツ大量発生(写真を撮る気持ちがわかないくらいの)

はじめはアメリカ用に気合いを入れてやったインドのワックスのせいかと思ったけど、どうもhomeopathic aggravation

10代初期の頃から発症していた背中ニキビに師匠がさらっと処方してくれたAnantherum-m 30C

1週間に1度レメディを1dose取る度に様子が変わっていく


ホメオパシーの原則は「似たものが似たものを治す」


この旅の中で1番の衝撃だった青年は、よくよく考えてみると自分のsuper extreme versionみたいで


自分が自分で勝手に作ってる限界、制約、思い込み、プレッシャー、罪悪感

アメリカにくるまで存在することに気付いてもいなかった、自分が持ってるたくさんのステレオタイプ

信じたいのに信じきれない弱さ

同時に社会に置いてけぼりにされる人たちにみせるやさしさと深いcompassion

そして痛いくらいの真剣さ


いろんな人にLAにいるなら、ベガスいったほうがいいよー!グランドキャニオンにいったほうがいいよ!いろんなアドバイスをもらったけど


今のわたしは人に会いたくて

人に関わっていたくて

人を通して世界をみたくて


こんなに自分が人に興味があるとは


これまでの人生、唯一絶対に自信があるのは人間出会い運

いっつもその時その時出会うべき人に出会わせてもらってる(Rinさんに言われて気付いた)


特にアメリカでは、見た目からライフスタイルから宗教観から人生の価値観まで、ほんとにすさまじいバリエーションがあって

自分の顔の大きさも足の短さも美しい個性の一つと思えるくらい

ホメオパシーもベジタリアンもインドも、「あ、そう」ですませてもらえるかんじ

そんなdynamicdiversityの中で、何をするのか何を着るのかだれと時間を過ごすのかという選択をしていくことは

自分の感性ときっちり向き合っていく感覚


この1ヶ月、相当迷いながら選び取ったもの

いろんなプレッシャーからほぼフリーに

自分が本当にすきなものがなんなのか

本当にやりたいことはなんなのか

もしかしたらインドにいる5年間向き合うことから逃げてきたことだったかも


もっともっと自由に

もっともっと真剣に

全身全霊で信じて

ちゃんとしあわせでいる


いっぱい失敗してきたようにみえる人生だけど、やるべきことをやってきたという確信

会うべき人に出会ってきたという確信

これでいいんだと思ったこと

まだまだ一回でうまくいかないことだらけだろうし、痛い思いをしなきゃいけないんだろうけど、もうそれでしょうがないかと


アメリカでお世話になったみなさま、ありがとうございました!


特にRinさん!ホメオパシーに出会わせてもらったけど、まさかsoul sisterだったとは!笑

Rinさんにかけてもらった言葉、大事に胸にしまってあります

RinさんはLAでホメオパシーのコンサルテーションをされてます!面倒見の良さピカイチ!

Rinさんについては

Art→rincolabucciart.com

Homeopathy→uarefine.com

Check it out!!


次にYukoさん!こんな言い方したらあれかもだけど、夢に見たような肝っ魂かぁちゃんに心配してもらって、お世話してもらったこと

それこそ夢に見てたことだったのかも


2人ともたまたまアメリカで生き抜く日本人女性だったのかもしれないけど、こんなにいいかんじにぶっ飛んだcoolな日本人シスターの存在は、完全にわたしの希望です


そしてあにき分、ひろきさん!

ひろきさんがいなかったらLAこれなかったよ!そこからつながって出会えた人たちも最高だったなー


あぁ、なんてすばらしい時間だったんだろう!


Financial supportをしてくれたmy familyにも感謝感謝です


改めて浮き彫りになった自分の課題が山もりでも

全然落ち込まずにいられるのは、全身で陽性パワーを浴びてきておかげかな

それともこれがまだまだ始まりであることの確信かな




I wish all we are filled with truth, faith and plenty of love!


いくぜ!



2017/08/10

試験期間における愛の考察

ご無沙汰しております!


(おそらく)インド大学生活最後の進級試験が終わりました

何か起こらずしては終われないインドの試験

それは例えるなら高校球児にとっての甲子園であり、駅伝選手にとっての箱根であり、飲食店にとってのお盆休みなのですなんかちがったらスミマセン

つまりフル戦闘モードなわけです


人間が本気を出している時にこそ、数々のドラマが生まれる傾向なわけで

これまでのわたしだったらそれをおもしろおかしく、なんなら小バカにした調子で書き上げていたと思うのですが

今回はそういう気分ではなく


というのも、同じ寮で暮らす先輩後輩のサポートがほんとにすごかった

この寮はインターナショナルホステルなる名前がついておりますが、基本はスリランカホステルです

寮在住者の9割近くがスリランカ人なので、食堂で出てくるごはんもスリランカよりです

インドにいるのにシンハラ語をやたら耳にする稀有な場所でもあります

彼らはスリランカ政府から奨学金をもらって派遣された選ばれしものたちであり

日本の小学校低学年レベルで家族に保護されベッタリしていた環境の中から、突然異国の地インドへやってきたわけで

助け合わざるをえない

先にインドに来ていた先輩をお兄さんお姉さんと呼び、お兄さんお姉さんと呼ばれる人たちは後輩のことを妹、弟と呼ぶ

まさにこの寮は1つの大きな家族状態


そこになぜか紛れ込む日本人1


これまでは加わっているというより、ただ存在しているというか、まぁなんかいるよね的存在で、なるべく交わらずクールに過ごしていたのですが

今回の試験、また例の先生のなぞのエゴイズムアピール行動により、わたしは彼の科目の試験を受けられない疑惑が浮上


この試験なにが大事かというと残りのインドステイの期間がかかっているということでした

全科目パスすれば、11月くらいから1年のインターンをやってついに念願の帰国

1科目でも落とせば追試になって、最低6ヶ月はステイ延長

天国で過ごす6ヶ月となるか、はたまた地獄で過ごす6ヶ月となるか

ということでなにがなんでも一発合格したかったのに

試験を受ける前から追試になる宣告

すっかりやる気を失っていました


ところからのやっぱり全科目受けれるかもニュース

時はすでに試験2週間前をきっている


その状態からの盛り返しはほんとうにチームスリランカのおかげでした

(実際盛り返せてるかは結果をみないとだけど)

各科目得意な先輩がいて、それぞれがその科目を教えてくれる

日本だったら絶対お金を請求されるレベルの時間とエネルギーを費やして

夜中自分の睡眠時間を削ってまでも教えてくれる先輩たち

またそのクオリティの高さ

後輩は朝の寝起きに夕方の寝起きに、雨が降れば眠くなるからと13度もチャイを作ってくれたり、試験期間は食堂よりはるかにクオリティの高い朝食を学年交代で作ってくれて

ルームメイトは試験当日に着るクルタに毎朝アイロンをかけてくれたり、食堂に代わりにお昼ごはんを取りに行ってくれたり

口頭試験に含まれるcase taking中には、後輩が代わりにレパートリーシートを埋めてくれたり、先輩はケースを読み上げてくれたり

口頭試験の会場には必ず先輩も後輩も顔を出してくれて、お腹が空いてないか必要なものがないか確認してくれて


インドにいて初めて、"人の中で生かされている"ということを全身で感じた思いがけぬ貴重な時間を過ごさせてもらいました



インドと日本の対比で、日本は人様に迷惑をかけないようにと育てられるけど、インドは迷惑をかけるのが当たり前なんだから、人を許しなさいというように育てるという話をきいたことがある

実際にインドでお母さんが子どもにそんなことを言っているのは今のところ聞いたことがないけど、もし言っていたとしても言葉の壁でわかってないけど

たしかにインド&スリランカの人たちの迷惑のかけっぷりはハンパない


先にも書いた口頭試験中、科目によっては入院病棟でケースをとるわけです

それは事前にだれもが知っていることなわけです

そのケースをとる紙に普通は定規で線をひいたり、図を書くのに鉛筆を使ったり、間違えたら修正液を使うのは明白なわけです

なのに、どれも持ってこない

日本人的感覚からすれば、譲ってまぁまだ1年目なら分かる

今回わたしたちは4年目なわけです

さらにこのcase takingはわりと時間との戦いで、とにかく素早く正確に終わらせて、これから始まる口頭試験に備えて最後の詰め込みをしたい

それもみんなの共通認識のはずなのに、持ってこない

さらに日本人的感覚からすれば、持ってこなかった自分を恥じて、恐る恐る「貸してもらってもいい?」

でもインドではなにも言わずに右から左から手が伸びてきて、わたしも自分の手を伸ばして取り戻さないと返ってこない


また、それまであそんでて試験前に突然勉強ができてないとオロオロする人がいても、まぁ日本なら自業自得でしょだけれども

ここだとそこからみんなでなんとかしてくれようとする

一応あそんでたことへの小言は入りますが


さらに同級生の子は試験の時の提出物を代わりに先輩に後輩に書いてもらって、試験当日までになんとか間に合わせる



準備のよい人がいて、そうでない人がいる

得意な人がいて、そうでない人がいる

できる人がいて、そうでない人がいる

前者は後者を助ける

理由は、それが自分にできるから

後になんの見返りを求めるわけでもなく

とにかくそれぞれがよい方向に向かって、その時やれることやる



日本にもインドにもきっと同じくらい愛もやさしさもあたたかさもあると思うのです

ただその表現の仕方が今は全然違う

インドでは、お母さんや奥さん、ついでにいえば彼女も、まず愛する誰かのお腹が満たされいるのかを気にする

満たされていなければ、なにかをどうにか作ってなんとしてでも満たす

この国でどれほど「食事はすんだの?」と女の人たちに聞かれたことか

インドでお招きされて満腹で帰らないことはまずない

どんなに貧しいおうちでも、ごはんと豆だけのカレーだけど、これでもかというくらい食べさせてくれたことがありました


日本でもお母さんたちは、子どものことを愛し、いろんなことを気にかけています

添加物が含まれているのか

オーガニックかどうか

放射能はどうか

陰陽のバランスはどうか

本当によくここまでがんばれるなというくらい、勉強している立派なお母さん方

大人になったとき、子どもたちはお母さんの努力に頭が下がるはず

でもちょっと言いづらいけど、TBHわたしの経験からしても、子どものときは"それイコール愛されてるんだ感"につながりづらいのではないかという気がしています


日本では特に母娘の関係に悩む人がたくさんいるようで、わたしがホメオパシー健康相談を通して娘さんの話もお母さんの話もそれぞれ個別に聞く機会があったりします

娘さんは「うちの母は、母親らしくない母親であまり自分は愛されてこなかった」と

お母さんの話を聞くとお母さんは当時ほかのいろんな事情で、たしかに直接愛を表現できなかったかもしれないけど、できる限りベストの選択を娘のためにしたんだと


お母さんが娘の時代と娘が娘の時代と、大きく社会構造や価値観が変化していることもあるのかもしれません


日本にいる間、ついインドのノリで困ってそうな人がいると気安く声をかけてしまうのですが

大体いただく返事の第一声は「あ、大丈夫です」

インド化してしまってるわたしは(言い訳)それが日本の謙虚で慎ましやか文化であることを理解できずに、ならいっか!と返事を丸のみにして立ち去ってしまっていたのですが


愛はある、やさしさも思いやりもあるのに

表現する人と受け取る人がお互いに不器用なのか

お互い違うルールの上でそれを実践してしまっているのか

そしてお互いにそれを気付けないのか


コミニケーションのルールは、相互的であることだと聞いたことがあります(今日ちょうど習ったnew word 'reciprocal'

伝えたいことが伝わってはじめてコミニケーションといえる

まぁ100%正確には難しいこともあるでしょうが


それこそわたしだって今までインドやスリランカ式の愛情表現で育ってきてないので、突然手でクチョクチョされたカレーを口元に運ばれても、毎日3度母親から電話がかかってきても、正直ではありますが

同時にやっぱりおいしく丁寧に作られたカレーに、完璧なタイミングで出てくるチャイに愛を感じぜずにはいられない


胃で感じる愛

皮膚で感じる愛

たしかにprimitiveかもしれないけど、必要な時がある

満たされるものがある

絶対に


特にそこで苦しんでいる人たちがいるとすれば、確かに海外から賞賛される日本の美しい慎ましやか文化とは違うかもしれないけれど、そんなことを言ってる場合じゃないのではないかと


試験期間中、最高に情緒不安定になる中、自分の親子関係も含めて、なんだかそんなことを考えました



以上、試験期間における愛の考察をおわりますが

あ、それと愛の表現はタイミングがすごい大事だと思いましたがこれはまた今度


とにかくスリランカのみなさん、バーモストゥーティ!

ここにきてこんなことを体験できたこと、恵まれているなぁとじわじわ思っています


また試験期間が終われば、これまで通りの自分の目覚ましでは決して起きないルームメイトに、物を貸しては返さない先輩方にそんなこともろもろのチームスリランカは相変わらずですが


そんな中で生きる自分の気持ちの持ち用が少し変わったように思います


できることのバトンをつないで


Pay it forward 


もう一度、バーモストゥーティ!


後輩の淹れてくれた深夜のスリランカチャイ



(次回は、たぶん山の日デラックス試験期間における自分の考察でお送りいたします)

(いつか川の日もできるんですか?)


2017/05/21

なんでインドか

ホメオパシーを学ぶのになんでインドなのか
人に問われる以上に、自分で自分に問いた回数のほうが多いかもしれない

発祥の地ドイツではなく
王妃もホメオパシーを愛するイギリスではなく
ジョージヴィソルカスの学校があるギリシャでもなく

インド

外国で暮らしてみたいとぽわんと夢見たこともあったけど、それはどちらかというとアメリカのpartyなイメージで

インドに恋い焦がれたことは、覚えている限り今生では一度もない

この四年半の間、わたしに課題を与えてくれたのは、ホメオパシーよりもはるかにインドだっただろう

知らんぷりを決め込みたいところだが、わたしはなんでインドなのか知っている

男性が全くタイプではない
クラブで流れる曲が全くタイプでない
同級生たちがはしゃぐあそびが全くタイプでない

つまり、わたしがインドでやることは
勉強か自分に向き合うか

精神的にはしっかり、経済的にはそこそこ安定した家庭でのびのび育って
失敗も挫折もそれなりにはあったけど、それは全部自分のやりたいことの延長にあったことで

「ここらでこいつ頑張らせとくか」
神さまの粋なはからい
ほんとにわたしのことよくご存知で

これが最初の問いを投げたときに、わたしがたどり着く見解

そんなインドももう残り1.5年
夏はあと1回

インドにシミを作りにきたわけではなく
ましてや思い出を作りにきたわけでもなく

じゃあなにをしにきたのか

インドにきてから、自分に問いかけてばっかりです

なにかが実りますように



息をするのがやっとなわたしのコルカタの夏だけど、それだけ色が濃い

さぁ、帰ろう
ホームスィートホーム!

2017/05/05

憎まれっ子、インドに憚る

(インド基準では)痩せてていいね!とインドの友だちに言われ、わたしの健康維持方法をとくとくと披露している中で
熱いお風呂にも入ってるよ!と言ったら、ここは自然のサウナだからわざわざ入らなくても大丈夫だよと
たしかに、部屋でハタヨガをやれば、それはすなわちホットヨガになるここインド、コルカタは夏真っ盛りです

わたしの夏の星めぐりが悪いのか、過酷な夏だからなんでもヘヴィーに感じてしまうのか
インドでの夏は、なんらかの試練がやってきます
一番最初の夏は大部屋にぶち込まれたとこからインドスイーツ爆食いで激太り事件
その反省から試験が終わるとその日のうちに高飛びしてた2年目、3年目
ここコルカタの試験システムはインドらしく、全学年がいっせいに試験を受けるのではなくまず1年生、それが終わってから2年生。。。と順繰りにやってくるので、自ずと毎年試験の時期が少しずつズレて、いよいよ夏を避けられなくなった去年
いつ終わるとも分からない学生たちのストで試験を受けられる受けられない騒動からの村八分
学年91人のうちたった7人で臨んだ試験は、今となっては良き思い出です
あの時も辛かったなぁ。。。

天候的条件に加えて夏が辛いもう一つの理由は、これまたインドらしいというか、長期休みの設定にワケがあって
夏休みが5月中旬から約1ヶ月+試験休み=約2ヶ月
↓約2ー3ヶ月後
puja vacationが10月中旬から約1ヶ月
↓約6ー8ヶ月後(試験は夏休みは全く考慮されずに行われるので長さがいろいろ)
翌年の夏休み

というすさまじくアンバランスな長期休みの配置で、puja vacationから次に帰国できる時までの時間の長いこと!

さてそんな今年の夏はどんな試練がやってきたのかというと、インドいじられ祭です!
わたしが通う大学はインド唯一の政府立ホメオパシーの大学で、日本だと想像できなさそうですが完全にホメオパシー版「白い巨塔」です
ちなみに、これまた日本からすると考えられなさそうですが、インドのホメオパシーは完全に男社会なのです

わたしの師匠は、そんな大学の中で、一番行列のできる外来医で、その謙虚さとマテリアメディカの知識から学生たちにも愛され。。。結果、ほかの先生たちからの嫉妬の的となり。。。詳細はよくわからないけど、自分でその地位を退き、個人診療所で身を立てる決断をしたのでした
インドで公務員はやはり福利厚生に恵まれた安定の職業である中、さらに支える家庭もあっての中で、大きな決断だったと思います
で、話を現在に戻すと、嫉妬に燃えた先生方がめでたく今も大学に残っておりますので、この師匠を師匠と仰いでいるわたしがどうなるかというと。。。(過去にスパイを送り込んできてどの学生が師匠の診療所に通ってきているのか確認され済み)
光栄にも授業で最低2回はあてられる(1回もあてられない生徒もたくさんいる中)
case takingをする授業でわたしが提案するレメディは全否定される
なんなら今までの勉強の仕方を全否定される
さらにはインドにきてからの時間の過ごし方を全否定される
そしてこの方々の脅し文句は、「きみの行動は次の試験の結果に影響しますからね」

先生方の感情に試験結果が左右されるというのは、実際うちの大学で珍しいことではないようで
学生たちのごますりのプロさ!
それに比べてわたしのごまのすれなさ!

これは今に始まったことではなく、思い返せば小学校の時も先生と折が合わないことがあって
学校でいっさい笑わずに過ごした1年とか
学校とか権力とかどうも苦手!

しかしここインドではわたしのブスっと攻撃は、どうも違う解釈をされるようで
笑わない=真剣
「まい、静か過ぎる!もっと話しなさい。もっと笑うようになれば早く上達するようになる」
と言われたのは放課後のヨガ教室で
たしかにほかのおばちゃんたちのしゃべること、しゃべること(ヨガやりながら)
わたしからすると、いやヨガしに来たんだよね?だけど
これが真剣過ぎると言われる由縁なのでしょうかw

そう、いじられ祭といったのは、いじられのはこの大学の中だけではなく、ヨガ教室でも、加えて寮の部屋でも
(ルームメイトも面倒見がいいってことは。。。なのでした)
正確にはいじられるというよりは、ご指導ご鞭撻をいただくというやつです
大学でのからみは、「られる」というよりは「め」に置き換えたほうが適切なんではないかと何度も思いましたがw

これもインド(&周辺国)と日本の違いの一つなのかもと前向きな解釈を
わりと信じてもらってやりたいようにやらせてもらう環境でこれまで育ってきて
たぶん勉強しなさいと親に言われたことは一度もなかったような(お風呂掃除してとかはあったけど)
そっとしてもらう、失敗してもいいからのびのびやらせてもらうことに愛を感じる日本人、というかわたし
一方ここインドでは、お母さんたちが1日少なくとも4回とか寮に住んでる子どもに電話してくるような感じで
子どもも電話がないと、ほっとかれていると感じて落ち込んだり怒ったりするそうで
そんなことされたらわたしはもう母さんの番号ブロックしちゃうよって感じなのですが
干渉される=気にかけられている=愛されている
というインドの方程式
頭で理解できても、心がついてかなーい
せめて学校だけならまだしも、放課後も、さらに部屋に戻ってまでも。。。
かといってブスっと攻撃が真面目解釈されるお得感満載で虚しさいっぱいのインド!
どうするわたし

な精神状態で気温38度湿度80%以上
グチりの綱の マイシスターも忙しそうだぜ!
ブログに書きたくても、母ちゃん心配しそうだぜ!

(インドブログは状況説明から入らなければいけないので、いつも大変な分量になってしまい恐縮です)

いつも通り、悩み抜きました!

1.嫉妬に燃える先生たちとの向き合い方
分析した結果、敬意をかいまも見せない自分の態度が、余計先生たちに火をつけていることを理解しました
かといって尊敬できないものは尊敬できない
ごまなんかすれない
でも先生たちの指摘が全部的外れかというと、たしかに授業中の質問に答えられないのは明らかに自分の勉強不足によるもので
だから、これは先生たちと向き合っているというよりも、自分のエゴとの戦いなんだなと
笑えない自分
自分の非を認められない自分
先生たちの神性を認めない自分。。。

師匠のもとに通うのを控え、基本の勉強をまずしっかりすることにしました
先生たちの神性に敬意を払うことに決めました

そしたらいとも簡単に先生たちの態度が一変
わかりやす過ぎるよ、インド 人!

2.結果に対する心構え
指摘を受けると、わたしの性格はまず怒りの感情が湧き上がってくるのですが
マイシスターは、「ああそうでしたか」って感じで、まず滅多に怒りません

指摘の件に限らず、とにかくインドでこれまで一番向き合ってきた感情が怒りで
なぜなら、ちっとも「わたしの」期待通りに事が進まないから!
今になって思い返せば、いちいち日本の当たり前をこのインドにあてはめてしまっていたのだと、それはうまくいかないよと
だから最近は、うまくいっても「ああそうなの」うまくいかなくても「ああそうなの」の精神で

クリシュナも「何事もヨガの境地で行い、結果に対する執着を捨て、成功も失敗も平等に観よ。いかなる環境にあっても心を平静に保つことがヨガである。」とおっしゃっています

たしかに師匠も、フォローアップできた患者さんが「すっかり良くなりました!」といっても「ひどくなってるんだけど、どうしてくれるの」(ホメオパシー的悪化としてあり得る反応)といっても、「ああそうなの」な顔をして話を聞いています
わたしはかなりわかりやすく患者さんたちの経過に一喜一憂している今現在
これじゃあ1日100人みるホメオパシーの医師にはなれないなと

良くなるように自分のベストは尽くす!その後の結果は任せる!
これがわたしにとってインド生活をなるべく怒らずに過ごす極意かもとようやく

怒られても「ああそうでしたか」けなされても「ああそうでしたか」褒められも「ああそうでしたか」


そんなこんなで持ち直し、というかなによりも帰国の時が日に日に近づいているのが一番のレメディのような気もしますが
なんとかやってます!
いろんな人のいろんな表現の愛に支えられてるんだな!

順調にいけば、インドで過ごす夏ももうあと一回だけ
当初は恐ろしく長く感じられた6年ももうだいぶ終わり寄り
インドにホメオパシーを勉強しにきたつもりが、人格矯正プログラムがメインだったなんて
どこまでも恵まれております


あーおいしいざる蕎麦が食べたいな!

2017/03/12

苦しむこと

インドにきてから、ほぼ苦しみについてしか語っていないような気がするけど
今日は肉体の苦しみについてを

試験勉強からのlaptopで翻訳作業の流れ、加えてホメオパシーの分厚い本を抱えての長時間バスや飛行機での移動のためか
腰痛から首痛
インドでの雑なX線撮影で、見事に「頸椎症」とのお名前を頂戴し
追試の前に泣き崩れたのは、わたしの記憶に新しいところ笑

しかし、なぜか師匠はこの首の痛みをちっともまともに取り合ってくれない!笑
(意地悪ではなくて、もう一つ診断名がついてることの治療中のため、のはず)

世界中の頸椎症の人とわかりあえるくらい痛いのにー

そこから三十路直前の肉体的自己改革が始まりました笑

インドでの生活は明らかに運動不足で、それまでインドなのに俄然エクササイズ系のハタヨガ(逆輸入系)に、ちょいちょい通っていた頃は肩こり知らずだった身体
まずは定期的に運動をすることから

インドの友人たちのセルフィーへの情熱は、基本自分のベストショットを携帯の待ち受けにするレベルなので
なんてことない授業中もセルフィーのタイミングだったりして
そこに映る自分の姿に違和感
隣に映るインド美人と比べてどうにもならない顔の大きさはさておき、なんか姿勢が悪いかも
俗に言う巻き肩とかいうやつにカテゴライズされるやつで
姿勢改善も

さらにこの疲れやすさ
スリランカでシーフードを食べまくってるときはハイパーに過ごせたので
わたしのベジで牛乳苦手なインドでの食生活は、もしかしてタンパク質不足なのかも
プロテイン風なものも追加

ああでもないこうでもない、いろいろ試して数ヶ月
気付けば、首の痛みがほぼ良くなっている!

もし
なんかのレメディのおかげでスルスルとこの痛みが改善していたら、わたしはきっと自分を不健康にしている要因に注意を払わないままだっただろう

基本的に具合の悪いときは寝て治す家に育ったので
なにかある度に、なにか飲まなきゃ!なにかしなきゃ!
という感覚はあまりないのだけど

やっぱり痛かったり苦しかったら、どうにかしたくなるのも今回すごくよく分かりました
特に状況的に休んでいられないときなんか

いろんな自分なりの試行錯誤の果てに、
苦しむというとは、「苦しみを生むなにか」が自分にあるからなんだと

それがわたしの頸椎症の場合は、上に書いたようなことで
人によってはそれが食事であったり、生活リズムであったり、トラウマだったり、遺伝的なことだったり、精神的なことだったり
同じ頸椎症という診断名でも、「苦しみを生むなにか」は人それぞれなのでしょう

師匠もガンのホメオパシー治療のときによくこう言います
「ガンを発症する原因は、一概に語ることはできない
それは単純なものではく、複合的なもので
人によって違う
同時にそこがガン治療におけるホメオパシーの可能性なのだ」

ホメオパシーは、同じ病名でも一人一人を個別化をして治療します
一人一人のその複合的な原因を、明らかにして見極めてレメディを選んでいくのです

よく「なになに(病名)のレメディはありますか?」と聞かれるけど、答えはyesでno
というのもホメオパシーは”病気”を治すのではなくて、病気を患っている”人”の治療をするからです

さらにホメオパシーは、この遺伝的な部分(ホメオパシー的にマヤズムと呼ぶもの)へのアプローチができるところも、すごい強みだと思ってます
(ただ遺伝的な部分に対する治療は、やはり相当時間がかかります)


ホメオパシーから話を戻して

苦しみ万歳!的なマゾヒズムを唱えたいわけでも、苦しみありがとう!的なエモーショナルな感じでもなく
今回師匠の見事なスルーによって、教えてもらったことは

苦しんでいるということは、自分に直さなければいけないなにかがあるということ
周りにではなくて、自分に
同じ環境でも苦しむ人と苦しまない人がいるということは、やっぱり自分になにかがあるんだということ
そのなにかが改善されるまで、苦しみは続く
苦しみは「なにかが変だよー」というサインなんだということ

これは決して肉体だけの話ではなくて、わたしの得意分野精神的苦しみについてもきっとそうで
わたしはインドにほんとに自分を改善しにきたんだなぁと何度も何度も思う
ただ精神的なことは、肉体以上に変化に時間がかかるようで
今もまだいまいち進化を感じられないのですが
きっと苦しみが苦しみじゃなくなったときに、わたしはインドを出発できるのだと、時に前向きに思ってます

たとえば、以前も書いたルームメイトのこと
前のルームメイトは今回の部屋替えで一人部屋をget(彼女は最高学年なので)
実はわたしも一人部屋をgetできるかもという噂が流れ、大いに期待しちゃってたのに
やはりまだ苦しみ足りなかったのか、神さまからの許可がおりず
初めての後輩ルームメイトを迎えました
後輩としてめっちゃ気を遣ってくれるからなのか、いまだかつてない快適感!
一人よりいいかもと思うくらいの過ごしやすさで、これをcompatibleというらしい(というかなんでもしてくれるw)
なんか、これまでの苦しみが報われるときがくるんだと
大袈裟すぎるかもしれないけど、わたしはふいに確信しました

いつかきっとインドでのこの日々が、報われるときがくる
いつかわからないけど、いつか必ず
どんな小さな苦しみも、すべて

3.11からこの6年、「忘れないように」と思って生きてきていたけど
今年は、忘れないなぁと
わたしが今歩く道は、そこから伸びているから

早くに亡くなった友達たちも
忘れないようにと体に刻もうとしたこともあったけど、忘れようがないのだと
その子たちとの時間があって、今のわたしがいるのだから

この6年間
忘れないということは、苦しみ続けることだと思っていたような気がします
でも、なんかそうではないのだと
わたしにとっては
そこから伸びる道を、しっかり生きること
今のわたしをしっかり生きること

祈るように生きる時間が少しでも増えていきますように

ホメオパスという、人の苦しみと向き合う職を選んだこと

それは確かにこのインド修行が必要なはずで
そしてそれは確かに苦しみネタが絶えないわけで

今のわたしにとっては、苦しむことは生きることそのものでもあるのかもしれない
全然前向きに聞こえないけど、前向きな意味で笑


2017/02/22

愛する技術

ホメオパシーの本とヒンドゥー教の本と英語の授業で課されて読んだ本以外でおそらく初めて読んだ英語の本
The Art of Loving - Erich Fromm

心理学者の書いた本だそうで、ほぼ数行おきに辞書を引いて読みました
日本語訳本も出てる

そのうちのThe practice of loveがかなりぐさっときたので、書き留めておきます

筆者は初めに、愛することはart(技や技術)であると述べて、どんな技を習得するにも以下のことが必要だと
それはもちろん愛することも例外ではないんだよと書いています

愛を実践するために必要なこと

それは
Discipline(自制心)
Concentration(集中力)-sensitive to oneself(自分自身に注意深くあること)
Patience(忍耐力)
Rational faith(理性に基づいた信念)(Rational faithとはproductiveなものだと)

これってまさにホメオパシーを学ぶことにも必要なものだなぁと

今までわりと視野せまく、ホメオパシーだからホメオパシーだけ!グルジだけ!bfだけ!と過ごしてきたけど、それで行き詰まったとき、立ち位置を変えてみることも大事だなぁと
ちがうものを通して、物事の本質について考える
だから良い本を読むことはたのしいし、いろんな経験をしている人と話すのもたのしい

自信に満ち溢れた友だちに「愛することって簡単じゃないよね」というと
「簡単だよ、自分のこと愛してる?」
「almost」
「じゃあ難しいかもね」

そこで自分を愛するということについても考えていたのですが、
これまで結構自分に対する愛がcondtional loveだったんじゃないかと
あれができないとヤダとかダメとか自分に課していて
だから負けず嫌いだし、うまくいかないと不機嫌になり笑 なのかもなぁと
でももしかして愛そうとしている自分が、これまではマーヤにかられた不完全な自分であったからで
魂である自分を愛せば、unconditional loveになるのかもしれないと
そしてそれは自分だけでなく、まわりの人たちについてもで
それがrational faithをもつことなのかもしれない


鬱滞しがちなインドの日々
かたくなってしまいがちな心もなにかのせいにするのではなくて、
やわらかく保つ方法を学びたい

もう大丈夫、と思えるまできっとインドでの修行はおわらないのでしょう

なぞの中だるみ期間
乗り越えたいよー